バサラ2

□ラストダンス
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 外からは扉を釘で打ち付けさせた。中からは錠を石で叩き穴を潰した。もう二度と開くことのない扉の外で、どんちゃんどんちゃんと、命じた通りに小太鼓やら尺八など様々な音色の祭り囃子が響き続けている。

 どんちゃん、どんちゃん。それに合わせるように男は一人揺れていた。
 男は骨と皮ばかりになった身体を右往左往と、這いつくばりながらもまた立ち上がる。その動きにより蠢く髪だけが美しさを保っており、異様であった。眼は天井をぎょろりと睨んだまま瞬き一つしない。
 同じく閉じることを知らぬ口からは涎が垂れ続け、べたりと裸足でそれを踏みならす。時折、男からはあっあっというやけに甲高い声も発せられていた。
 政宗は、それを祭り囃子に合わせて手を叩きながら眺めていた。男がゆらゆらと踊る、舌舐めずりをしながら下から上へと視線を巡らせる。
 その時、ぼたりぼたりと男の股から糞が床へと落ちた。今まで顔を眺めていた視線もそこへ落ちる。政宗はまた舌舐めずりをした。
 それを男は理解したのだろうか。喉仏が暴れたかと思うと舌を仰け反らせ、げえと吐き出した。床は涎と糞、吐瀉物にまみれた。男はそれに足を滑らせまた転んだ。
 祭り囃子は鳴り続けている。政宗は手を止めない。男はまたもや立ち上がり、揺れ続けようとぶらりぶらりと腕を天井に向かい持ち上げた。
 震え続ける腕では叶わぬことだが、どうやら頭を抱えたいようだ。痛むのだろう。
 今や男の脳味噌は、まるで蛆虫に食い荒らされた屍のように穴と化していたからだ。
 また男が足を滑らせ転がった。何度も擦りむいた膝小僧からは、血や膿に混じり、細長いみみずのような何かがぐじゅりと頭を覗かせた。

 どんちゃん、どんちゃん。その音色に合わせてうぞうぞと蠢く気配がする。身体が無性に痒い。
 政宗は眉をしかめて、右の甲を掻きむしった。ずるり、と皮がいとも容易く剥けて、蛆虫のようなものが這い出そうと口を動かしているのが見えた。

「ああ、やっとだ。幸村」

 政宗は微笑みながら男に囁いたのだが、喉からは男のようにあっあっという甲高い声しか発せられなかった。
 とうとう頭が痛み出してきた。相変わらず身体は漆を塗られたかのように、気の狂う痒みに包まれている。
 けれど、政宗は手を叩き続けた。ぱん、ぱんーー親が童子をこちらへ呼ぶように。
 男は揺れながら、ゆっくりと、何度も転びながら歩み寄ってくる。政宗はそれを舌舐めずりをしながら、待っている。痛む筈がない足を傍らに置いたまま、ただ待っている。


 ※※※


 生き地獄というものは、まさに尊厳や誇りを全て無慈悲に奪われるのだ。
 こうして男は衰えていく自分を嘆いた。何も出来ない、その無力さは最たる毒であった。
 それを見つめてきた。何も出来ぬまま、ただ男が嘆く様を見つめてきた。同じく吐き出すことを許されたのは、男の気力が失せ意識を失った時のみであった。
 どうせ人を殺めた末路が変わらぬのならば、名を誇る武人の糧として、敗北を認め地に伏したかった。その武人が目の前の男ならと、そう願っていた日々はもはや霧のようだった。
 もう幾度の夜を迎え、限界を越えたのか生き地獄は幻想となっていた。これは男を我が物にしようと、自ら囲っているのだと。それを彩るは命じさせた祭り囃子の音色ーー正しくは、牢の門番の声であるのだが。

 外から投げ込まれる獣肉、男はそれを含むくらいならば飢えた方がいいと吐き捨てた。たしかに、この腐りかけ蝿がたかるものなど口にしたくはない。
 とはいえ、籠城の際は弓矢で射られた兵を民が我先にと食い荒らし、特に旨いらしい頭部を奪い合うのが常だ。飢えには堪えられず、男もまたいつしか肉を頬張っていた。
 それからだ。こうして体内を破られる感覚が走り、止まない痛みに出るのは甲高い奇声のみとなっていた。
 けれど、尊厳や誇りがまるで始めから存在していなかったかのような有り様は、せめてもの気休めであった。
 このまま二人で狂ってしまえたらと幾度も思った。男のように蛆虫が体から這い出た瞬間、ようやくそれが叶ったつもりでいた。


 ※※※


 気が付けば、もう男は目前まで歩み寄ってきていた。
 もう一歩、ずるりと足を動かしたと思えば、身体をひしゃげるようにして覆い被さってきた。それを抱き止めれば、まるで童子のように震えているのが分かった。
 かちかちと歯を鳴らしながら、嗚咽を噛み殺している。虚空を睨み続け乾ききった筈の瞳からは、涙がこぼれ出していた。
 男は懸命に何かを言おうとしている。それに応えようと言葉を発するつもりが、ああ上手くはいかない。
 言葉の変わりに未だ美しく揺れる髪にそっと触れた。これで伝わるだろうか、理解したと。これでは死んでも死にきれぬーーそう、お前は言ったのだろう。

 さあ、祭り囃子の音色が騒々しさを増して近付いてきた。それに合わせ男の口が獣のように弧を描くのを、恍惚としながら見ていた。ああこれを、これこそを待ち望んでいた!


「連中にも見せてやりてぇな!あのお偉いさんが犬っころよりも汚くなって、見世物小屋にも出せねぇくらいの有り様でよ」

「もうくたばってんじゃねぇのかい?」

「まあ、くたばってるだろうがね。あんだけ恨みがある奴等なら、死骸でも唾を吐きたい連中は大勢いるだろうよ」

「ようやっと臭いこの牢番から足を洗えるんだ。ちょっくら鬱憤ばらしにと思ってな……。ほら、あそこだ」 



 END
 

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