バサラ2

□スメル・ダーク
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 この部屋を訪れての第一の感想は、異質であるということだ。壁紙や家具が特徴的な訳ではない。いたって普通のフローリングの上に硝子のテーブルと灰色のソファ、薄緑のカーテンが騒々しいビルを映す筈の窓を隠している。テーブルの上に置かれた灰皿と微かに煙草の香り。ダイニングキッチンとなっているそこから見えるシンクや器具は、男が一人で住んでいるとは思えない程、嫌に所帯染みていた。
 この部屋の何が異質か……ということであるが、原因の全てはお互いソファに対面するように座っている、目の前の男にある気がしてならない。プライベートな空間だからか、いつもヘアアクセで上げられている髪を男は手でかき上げ、そのまま頬杖をついた。男から向けられる視線、雰囲気が異質であるのだ。

「で、何しにきた訳?また馬鹿みたいな妄想話をしに来たなら帰ってくれるかな。こっちも久々のオフで疲れてるんだよねぇ」

「妄想か。そんな存在しない話をする為にお前の所にわざわざ来るとでも思うのか?」

「まぁ…ないだろうね。でも何回言われても同じ答えしかないよ」

 男は言うと、ポケットから煙草を取り出し火をつけた。溜めてから吐き出された煙がぶわりと広がり、暫し浮遊してから姿を消した。
 すっ、男は煙草とライターをテーブルの上を滑らせるようにこちらへ寄越してきた。吸いたいでしょ?どうぞ。睨んだような視線を向けながら男は微笑んだ。
 差し出されたそれをしげしげと見つめる。少しして堪えきれずに吹き出すようにして笑った。男は怪訝そうな顔をしている。

「よりによってお前と同じ銘柄なんざ、馬鹿げてんなあ」

「何でだろうね。よりによってアンタと選ぶものが同じだなんて、胸糞悪いよ」

「おいおい、思ってても言うんじゃねぇよ」

「アンタが黙っててくれるなら、俺も何も言わないんだけどね」

 それから暫しの沈黙。騒いでいるのはお互いの口から吐き出される白煙のみであった。指の先まで火が迫りようやく押し潰して吸い殻を灰皿へ。
 さあ本題へ入ろうか。と切り出そうとしたのだが、男は唐突に立ち上がるとまた微笑んだ。喉乾いたでしょ、何か持ってくるよ。そうしてキッチンへ向かった背に小さく舌打ちをした。
 まるでこの漂う煙のような男だ。核心すらも突かせずふらふらと動いては飄々と、そうまるで見下すような態度だ。全く腸が煮えくり返る。そんな思いをしてまでも求めるなど、随分と殊勝になったものだ。


「はい、どうぞ」

 硝子と氷がぶつかり、カランと涼しげな音を立てた。男は目の前に黒い氷の入った水を目の前に置くとまた対面するように座った。
 そして、はたと気付く。溶け始めた氷から、水に黒が染み出てきたのだ。よく見れば氷から溶け出し浮遊するそれは、蟻の頭であった。未だ溶けない部分には所狭しと蟻の死骸、それが集まり黒く見えていたのだろう。
 男の表情は貼り付けられた面のように微笑んだまま動かない。この男がわざわざ製氷器に死骸を積め、これを作ったかと思うとおかしかった。カラカラとグラスを揺らした後、斑点模様の水になった所でテーブルの上におき直した。

「で、これはあいつの差し金か?あいつは何処にいる」

「嫌な顔もせずにすぐそれか。全くつまんないね、アンタ。何度も言ったでしょ。ここには俺以外誰もいないし、アンタが言う人間なんて存在しない」

「はっ、誰が人間だなんて言った?」

 男は口を閉ざし固まった。あの気色悪い笑みを消して、こちらを伺うように見ている。

「嗅ぎ慣れちまった臭いがするんだよ。あいつの臭いがびっちりとなぁ、煙草の匂いなんかじゃ消せねぇ。入った瞬間に俺は分かったぜ。なあ、もう白状しちまえよ」

「気色…悪いね。本当に」

 ※※※

 黒く淀んだコップをそのままに、また今日も部屋を後にした。男が閉めた玄関の扉を暫し見つめ、ようやく背を向け歩き出す。
 またここを訪れた時には、さらにあいつの臭いが増していることだろう。早く白状してしまえばいいのに。男でさえ、この今の身体に宿る前から嗅ぎ続けていた臭いを忌々しく思っているのだろうから。
 ……敗北だ。どちらが手に入れてもあいつは変わらない。何も争いなど起きないこの世でさえ、あいつは置いていってしまう。あの部屋に漂っていたのは、何度も何度も嗅ぎ続けてきた腐臭であった。
 いや、もしくは本当は存在自体なく、ただこの臭いが自らにこびりついてしまっているだけなのかもしれないが。勝者は存在しないことだけは理解していた。


END
 

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