まあまあ短めのお話Vol.2

□Liberation
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 澱んだ空。




 その背面に隠れた太陽。






 夏になる前のこの季節は天気も気温も微妙で、晴れて夏空が広がるかと思えば翌日には天候が崩れてぐっと気温も下がったりする。そう、まるで今日のように。

 晴香はそっと自分の身体を抱きしめた。

 雨が止めどなく降り注ぐこの天気は昨夜からで、朝から気温が上がらずに長袖を着ていても肌寒さすら感じる。
 梅雨前線と台風の影響で、この雨は暫く続くそうだ。


 「雨、雨、雨……かぁ」


 薄暗い部室の中でスマートフォンの天気予報を開き、画面に仲良く並んだ傘マークを眺めながら呟いてみる。それに応えてくれる人は今のところ、誰もいなかった。






 この部屋の主―――学生課を騙くらかし、本来部室であるこの場所を隠れ家にしてしまっている八雲は、今御子柴准教授に雑用を言いつけられて留守にしている。
 2人で隠れ家に向かっている途中に中性的な美貌の教授に声をかけられ、そこで一度分かれた―――いや、正確に言えば八雲が連れ去られるのを見送ってから、そのまま真っ直ぐここにやってきたのだ。

 ……そして私はその留守をおとなしく守っているというわけ。

 別に、何かを約束していたわけでも頼まれたわけでもない。勝手に「待ってるね」と言っただけ。
 遅いなんて文句を言おうものなら間違いなく『別に待ってろと頼んだ覚えはない』と切り返されるだけだろうけど、さっさと帰れず大人しく待ち続けるのはやはり、彼との時間が大切だからに他ならなかった。

 同じ学部でもないし、一般教養の選択すらあまり被らない2人は、一緒にいる時間が多そうで実は少ない。バイトの無い日の放課後の数時間がメインだけれど、レポートや試験、同じ学部の友人達やサークルなどの付き合いもあるし、事件の手伝いもあるわけだから(これは大学生でも八雲限定だけれど)、二人きりで過ごせる時間は少なかった。
 それを考えると教授の手伝いが終わるのを待つなんて、大したことはない。

 大したことは、ないのだけれど。

 それでも時間が経つにつれて焦れてくるのは、人間だから仕方がないと思う。


 「まだかなぁ、八雲くん」


 晴香は少しだけ溜息を吐いて、今日何回目かの台詞を口にした。
 『そう長くはかからないと思う』と言っていたし、事実まだ30分も経ってないのだけれど、待つ身にはとても長く感じる。テレビもラジオもない殺風景な部屋で待ち続けるのは、意外とつまらないものなのだ。
 『暇を持て余すなぁ』と思いつつ鞄の中を漁ってみるが、手持ちの文庫本は今日の昼休みに読み切ってしまったし、スマホで調べたいものも特にない。

 ……早く帰ってきて。

 晴香は溜息を吐いて立ち上がり、手持ち無沙汰に窓をあけ、雫の溢れる世界をじっと見上げた。











 雨の音は好きだ。

 軒を打つ水の音、地面に降り注ぐ細やかな音が辺りにさらさらと蔓延して心を落ち着かせる。
 こうやって1人でがらんとした室内に閉じ込められていると、子供の頃雨の日に体育館にいるのが好きだった事を思いだす。
 人の少なくなっていつもより広く感じた体育館。
 大きな半円形の屋根を打つ雨音。
 内部の大きな空間に響き渡って、それは不思議と美しく感じたものだ。
 あの頃からきっと自分は雨の音が好きだったんだろう。子供心にもノスタルジックなその雰囲気に惹かれ、イメージが色濃く記憶に残っている。
 幼い時分はただそれだけだったけれど、大人になってからは―――雨は特定の思い出とセットになった。


高校の帰り道、雨宿り中に告白された記憶。(当時は誰かと付き合うなんて考えられなくて残念ながら断ったけれど)
 居なくなった友人を探して、呆然としながら彷徨った記憶。(あの後突然犯人に攫われたんだっけ。おまけに思いっきり頬を張られた)
 事件が解決しても尚、歌い続ける優しく切ない幽霊の記憶。(あれは哀しい事件だった)


 ……あれ?なんかあんまり良い思い出がない?


 晴香は一瞬首を傾げたが、直ぐに頭を左右に振った。

 ううん、そんな事ない。
 ここ最近は……大体八雲と一緒の思い出だから、どんなものでもとても大切。

 いつかの帰りの車の中。雨音を聞きながら、うとうとと居眠りを始めた時さり気なく貸された肩の優しい記憶。

 小雨の降り続く夜。傘の陰でこっそりとキスした時の、温かく柔らかな記憶。

 初めてデートしたのも雨の日だったし、凍てつく冬の雨の中、互いの腕で暖めあったのも幸せな思い出。


 窓のへりに肘をついてうっとりとその雨音に聞き入っていると、脳の裏側から煙のようにたくさんの記憶が蘇ってきた。



 そういえば……この間も八雲と私の部屋でこの音を聞いてきたんだっけ。




 他に誰もいない秘められた空間で。



 それは丁度今日と同じ、雨で、気温が下がった日。







 2人は並んでベッドの上に横たわっていて……空気がまだ蒼く包まれている早朝に、目が覚めた。






























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