まあまあ短めのお話Vol.2

□Little Ladyにご用心
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 僕は今、困っている。






 それはもう、今まで生きてきた中で困惑の出来事ベスト5に入るくらいの困惑加減だ。

 まず、動けない。

 そして何を言えばいいのか分からない。

 ただ自分の脚を見下ろすだけ。

 一つだけ言えるのは、右脚に張り付いている「これ」が、恐ろしいほど「あれ」に似ている、という事。

 それだけだ。


 「これ」は白いフード付きのワンピースに、カラフルな花柄のレギンスを身に纏い、そこに…僕の靴の上に両足を乗せていた。

 若干痛いし、何より歩けない。

 この状況を打破すべく頭をフル回転させようとするが、相手の出方もわからないので途中で止まってしまう。せめて「これ」が何か喋ってくれればいいのだが、大きな瞳でじっと見つめてくるだけで一言も発しようとはしなかった。





 僕は、高くなった空を仰いで大きな溜息を吐く。






 それから下を向き、「これ」…3・4歳くらいの女の子に話しかけた。















◯ Little Ladyにご用心 ◯













「すまないが、退いてくれないか?これじゃ動けないんだ」


 何とか微笑みらしきものを浮かべて言うと、意外な事に女の子は大人しく退いた。だが、相変わらずふくふくの小さな手はジーンズを掴んだままだ。
 その手を自分の手で包み込むようにして出来るだけ優しい仕草で外すと、僕はその子に目線を合わせる為にしゃがみこんだ。
 さっきから、この女の子の容姿が気になって仕方がないのだ。
 ぷくぷくに膨らんだ頬はまさしく「ほっぺた」と呼ぶのに相応しく、押さえていてあげないと落っこちてしまいそうだ。
 小さい子特有の柔らかい髪はショートヘアで、明らかに普通の子よりも茶色い。さっき覗き込んだ少し目尻の下がった大きな目も、黒瞳がちで色素が薄い。身体つきも華奢で、肌も真っ白だ。少し撫で肩のところまで「あいつ」によく似ていた。


 ―――いや。似ている、なんてものじゃない。
 僕は小さく頭を振った。
 あのトラブルメーカーの幼少時をそのまま見ているようだ。

「まさか…本人、とか言わないよな?」

 あり得ない事だけど相手があれだとあり得てしまう気がする。こちらの理解を超えたトラブルを運んでくるあいつのこと、とんでもない状況になっても納得できるように思えるのは…僕がしょっちゅう迷惑をかけられているからだ。
 そんな心情のまま思わず呟いてみれば、目の前の幼女は不思議そうな顔で首を傾げる。
 女の子はしがみついたもののどうしたら良いのか分からなかったようで、眉を下げて心細そうにしていた。その様子が哀れを誘い、なんとなく僕は奈緒にするように柔らかい髪を撫でる。

 ―――途端に、小さな眦がほっと緩んだ。

 そんなところまで「あいつ」によく似ていて、僕は本気で不安になってきた。
 本当に本人じゃないだろうな…。
 だが、こうしていても拉致があかない。僕は自分を指差すと、ゆっくりとした口調で幼女に名乗った。

「僕は、八雲だ。やくも。わかるか?」

 僕の名前を耳にした瞬間、大きな瞳が嬉しそうに輝く。僕はこくんと頷く小さな頭を撫でてやった。
 ふっくらした頬とちいさな口が何とも可愛らしく、思わず顔が弛んでしまう。だかそんなものに和む前に、聞く事は先に聞いておかねばならない。

「君は何処から来たんだ?名前は?まさか、1人で来たんじゃないだろ?」

 ここは大学構内だ。小さい子がホイホイ迷い込むとは考えにくいし、母親と一緒だとしても部外者はまず入って来ない場所だけに疑問が残る。
 ……まあ、目の前の幼児がトラブルメーカーそっくりの容貌をしているのを見ると、普通は通用しないのかもしれないけど。あいつも、ドジで抜けてるけれど侮れないから。色んな意味で。
 ……という事は、この子も僕にトラブルを持ち込むと言うことなのか?そう思うと余計にこの子の素性が気になって、僕は再び名前をきいた。










「は…る、はるちゃん!」









 己を指差して言う子供に、思わず目を丸くしてしまう。

「まさか……君の名前は『はるか』なのか?」

 恐る恐る尋ねると、子供は違うと首を横に振った。

「ううんっ、はるちゃんだよ!」

 紛らわしい。

「んっとね、『はるか』はねーねー」

「…ねーねー?」

 鸚鵡返しすると小さな顔がふわっと綻んだ。

「そう。ねーねーはね、優しくてね、柔らかくてね、いい匂いがするの」
「………へえ。僕の知ってる人で、そんな感じの奴が1人いるよ」

 ちび相手でガードが緩んでいたのか思わず呟くと、幼女は嬉しそうに声を上げた。

「うんうん、やくもくん、ねーねーのおともだちのやくもくんだよね?はる、知ってるよ」

「君は…あいつの…」

 何なんだ、と言いかけたところで後ろから思いっきり慌てた声が聞こえてきた。









「波留ちゃんっ!!」









 僕らが立っているすぐ傍には階段があり、その一番上にあいつは立っていた。
 僕がゆっくりと立ち上がると、同じように見上げていた隣の『波留』とやらが僕に教えてくれる。

「あ、ねーねーだ。やくもくん、ねーねー」
「…わかってる」

 たった一声聞いただけだけれど、顔を上げる前に誰が来たのかわかっていた。あいつの声を聞き違える筈はない。そして、その声は確実にテンパっていた。
 溜息を吐きながら じっくり観察すれば、必死な顔、上がった息。
 成る程。どういう事情かは知らないが、子守を頼まれて引き受けたもののレポート提出があるのを思い出して、仕方なく大学まで連れてきたけど目を離した隙にはぐれて焦って探してた、そんなところか。

「良かった…!もうどうしようかと思ったよー!」

 あいつは大急ぎで階段を駆け降りてきた。その視線は真っ直ぐに幼女に向けられていて、他には何にも注意を払っていないのが見て取れる。その姿を見ればこの先何が起こるかなんて容易に想像できた。
 3…2…僕は脚に力を入れる。
 細い足があと一段あるのを忘れて踏み外し、案の定「あっ!」という小さな悲鳴が聞こえた。


 いつも思うが、何でこいつはこんなによく転ぶんだろう?階段を踏み違えだけじゃなく、何もない所でもすっ転ぶ。不思議で仕方が無い。
 無様に倒れ込む身体を、準備をしていた腕でしっかりと抱きとめる。
 初めの衝撃が去ると、途端に微かな甘い匂いがふわりと鼻を擽った。




 ―――柔らかくて、いい匂いがする、か……。成る程な。

 波留の言っていた事は間違ってない。けど、付け加えるなら、小さくて華奢で、僕の身体に馴染むというか……




「ねーねー、大丈夫?」

 まったりとした思考は波留の声で破かれた。
 もう少し余韻を味わっていたかったけれど、心配そうに聞こえる幼い声にそれを諦め、両手で細い肩を掴み身体を支え直す。
「あいつ」はきょとんと僕を見上げると、急に我に返って驚いたように、あれ、八雲君、と言った。

「ごめんね、また転んじゃった。助けてくれてありがとう」

 丸い頬を赤く染め、乱れた髪を右耳にかけながら体勢を直す。そそくさと離れていった体温の名残りにするりと隙間風が入り込んで、何故だか、寒い。
 あいつは乱れてもいない衣服を整えると、波留と僕の顔を交互に見比べた。

「八雲君が波留ちゃんを…あ、この子親戚の子なんだけど…波留ちゃんを見つけてくれたの?ありがとう」
「いや、そうじゃない。彼女がいきなり僕の脚に捕まってきたんだ」

 出会った経緯を簡単に話すと、彼女は目を見張った。

「へえ、意外。この子割りと人見知りするのに…」
「ふうん。あまりそんな感じはしなかったけどな」
「あ、もしかして…」

 何かに思い当たった様子で、あいつは桜色の唇を手で覆う。

「なに?」
「え.…っと、ううん、なんでもない。多分、八雲くんが若い男の人だからじゃない?」
「そんな理由ってあるのか?聞いたことないけど…まあ、いい。それで….…親戚だって?」

 あまりに似過ぎている二人を疑問に思い、僕は彼女に詳しい話を求めた。

「うん、従姉妹の子どもなの。似てるでしょ?」
「似過ぎだ。君が縮んだのかと思って肝を冷やしたくらいだ」
「あははは、変な心配させちゃったね!もともと、うちのお母さんのところ、姉妹が似てるんだよね。従姉妹と私はあまり似てないんだけれど・・・どういうわけか、波留ちゃんと私はそっくりで、親戚中に面白がられてるの」
「ふうん・・・。それで、波留の母親は今日は?」
「うん。今日色々お役所関係に回らないといけないからって預かったんだけど…私、レポート提出すっかり忘れてて」
「…ビンゴ」
「えっ、何?」

 ぽつりと呟くとあいつが不思議そうに見上げてくる。僕はその問いかけを適当に受け流した。

「いやなんでもない。それで?」
「え…あ、えっとね、それで、A棟の教室が提出場所だったから建物の入り口で待っててって言って出しに行ったんだけど、戻ったら姿が見えなくて…」
「とんぼだよ!」

 話の途中で波留の甲高い声が割り込んでくる。

「とんぼがいたの!ゆらゆらって。それで、あっちの草の方にいったの」

 そう言って指差したのは、僕と会った場所よりずっと向こうだ。
 どうやら、蜻蛉を追いかけているうちに元の場所からかなり離れ、迷ってしまったらしい。

「…とんぼが好きなのか?」
「うん」
「見れて良かったな。でも危ないから、知らないところではあまり動き回らない方がいい。波留がいないとねーねーが心配するし、何より…ここだけの話、ねーねーは一人だと迷っちゃうんだ。だから待っててやらないと大変なことになるんだ。わかるか?」

 ちょっと!と隣で文句を言いだしそうな奴を無視して諭すと、波留は幼いながら神妙な面持ちで頷いた。

「うん。ねーねー迷子になったら可哀想だから、波留、ちゃんと待ってる」
「えらいぞ。今度一緒に河原に行こうな。沢山蜻蛉がいるし、はぐれないように見ててやるから」
「うん!」

 いい子だ、と頭を撫でてやると波留は小さな手で僕の手を取り、にこっと笑いかけて来た。その屈託のない様子に、こちらも微笑みを返してやる。
 通じ合うような仕草が嬉しかったのか波留は更に笑顔を深めると、僕の手をくいっと引っ張る。僕は膝をおると、波留の傍にしゃがみこんだ。

「何だ?」
「やくもくん、波留がいない時、ねーねーが迷子にならないように待っててくれる?」

 どうやら見た目だけじゃなく、心配性のところまでそっくりらしい。僕は声を立てて笑うと、小さな保護者にあいつの面倒を見ることを約束した。


「ありがとう、やくもくん」
「どういたしまして」
「じゃあ、だっこして」

 僕の答えに波留は満足そうな笑みを浮かべ、すっかり気を許したのかそんな甘えた事を言ってきた。
 その要望に応えるように腕を出せば、波留が僕の首に抱きついてくる。年の離れた妹がいる僕としては懐かしい感覚だ。
 小さな身体を抱えあげると、僕はあいつに向き直った。

「それで?君はもう用は済んだのか?」
「え?ああ、うん。レポート出しに来ただけだから…」
「他には無いんだな?じゃあ行くぞ」
「え?」
「このまま大学構内にいるわけにもいかないだろ、事務局の人に見つかったら面倒だしな。それに、さっき河原に行こうって約束したけど、この先いつ機会があるかわからないからな。行くぞ」
「わあい、やくもくんと一緒だー」


 波留は明るい声を挙げてばたばたと足を動かす。


「こら、暴れるなよ」

「かわらー、かわらー」

「あっ…ま、待ってよ」



 驚いた顔の彼女を尻目にさっさと歩き出すと、慌てふためきながら後ろからついてきた。


























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