繰り返される言葉。 毎年、僕が興味がないのを知ってるくせに、よくまあ懲りもせず訊いてくるものだと、ある意味感心してしまう。 そして僕は訊かれる度に、毎回全く同じ答えを君に返すのだ。 別に何もいらない、と。 君がむくれるのは分かっていたけれど、僕は欲しい「物」なんて無かったから。 でも、今年はちょっと…違ったりもする。 『ねえ、お誕生日、何が欲しい?』 たんじょうび。 大学卒業前に付き合いだした僕らは、2年の交際期間を経て、無事…と言うのかわからないが、兎に角まあ、結婚した。 法律で決められてる以上の年齢なのだから、本人の了承があるならさっさと籍をいれてしまえば良いと思っていた僕を、この時期更に暑苦しさと鬱陶しさをパワーアップさせた熊と、その伴侶である敦子さんに力尽くの勢いで止められた。 わざわざ呼び出された上に個別で長々と話を聞かされて、僕は正直うんざりだった。 『駄目よ八雲君!プロポーズ〜結婚式は女の子の夢なのよ!?ひとっつも省いちゃ駄目なの!』 『いいか八雲。とにかく一通りはやっとけ。嫌でもやっとけ。 お前の性格だとキツいのは分かる。でもな、お前。 この先ずーーーーーーっとぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐち言われる事を考えてみろ?」 敦子さんのいやに熱のこもった言葉と、熊の目尻に浮かぶ涙の意味を悟った僕は、彼等の忠告を有難く聞き入れる事にした。 内心面倒臭いと思ったが、プロポーズもしたし指輪も贈った。 長野の彼女の実家に挨拶に行った時、あの頑固親父に僕だけ蕎麦の食品サンプル(レストランによくある見本品。驚いた事にその日の為だけにわざわざ用意したらしい。ある意味尊敬に値する)を出された他は、婚姻を結ぶ為の段取りは驚くほどスムーズに進んだ。 …そしてある晴れた初夏の日に。 純白のドレスに身を包んで瞳を輝かせた君を見つめて、僕は世界でただ一つ、心から欲しいと思えるものを手に入れた実感に震えた。 あれから数年。 僕の傍には変わらず君がいて、花が綻ぶような笑顔を向けてくれる。勿論、それだけじゃない。 怒った顔、拗ねた顔、泣き顔。 疲れた顔、落ち込んだ顔、寝顔。 くるくると回転木馬のように変わっていくそれを見ながら感じる、溢れそうな幸せ。それを更に強固なものにしたいと思ったのはいつ頃からか、僕は憶えていない。 ********* 「ねえ八雲君、誕生日プレゼント何が欲しい?」 休日の午後、洗濯物を干し終わった君が部屋に上がってきつつ、僕に尋ねる。 サンダルを脱ぐ為に一度フローリングに置いたランドリーバスケットを再び手に抱えると、君はソファに座っている僕の目の前にやってきて可愛らしく小首を傾げた。 「今日明日お休みだし、八雲君が欲しい物、一緒に買いに行こ?」 「…買う物なんて、ない」 新聞を広げてそこに目を落としながら答えると、白い手がパッと出てきて、僕からそれを奪い取った。 当然僕はおもしろくない。 「…何だよ、見てるのに」 「ちゃんとこっち見て答えてくれたら返してあげる。ね、何が欲しい?何買いに行く?」 「じゃあ、靴下」 「残念。それはプレゼントじゃありません。毎年毎年食い下がられて面倒臭くなると『靴下』って言うの、やめよう?」 ピシャリと拒否された僕は溜息を吐いて、覗き込むように上体を屈めている君に視線を送った。 こうしたイベントを好きな彼女の企画から逃げられない事は分かっていて、実はもう慣れてしまっているのだけれど、何となく素直に乗ってやれない。いつも、斜に構えた態度をとってしまう。…別にワザとじゃ無い。身のついた習性だ。 一通り例年通りのやり取りをした後、僕は本題に入る事にした。 「だから。『買うものはない』、だ。僕が欲しいものは売り物じゃない」 「えー…?」 僕の言葉に君は人差し指を頬に添えて、こてんと首を傾げた。不思議そうに僕を見るその色素の薄い大きな瞳が、答えを探している。 2、3秒そのままでいたかと思うと、君はハッとしたように傾げていた頭を元に戻した。 「まさか…ベタなところで『プレゼントは君』とか?」 「・・・・。…僕の認識が間違っていなければ、もう既に君は僕の奥さんの筈だけど?」 これ以上何を貰うというのか。 だよねえ、と言いながら君は真っ赤に頬を染めて恥ずかしそうに、そして嬉しそうに笑った。 結婚して数年が経つと言うのに(まだ新婚の部類だが)、君はまだ慣れないらしく、近所の人に「斉藤さんちの奥さん」と呼ばれるだけで照れてしまう。 幾つになっても初心な彼女は、正直見ているだけで面白い。…まあ、ベッドの上では大分初心じゃ無くなったけど。 「ああ…でもあながち間違っても無いのかな」 呟きながら君の手首をそっと掴んで引き寄せると、甘い君の香りに混じって日向の匂いがふわりと鼻を擽る。君は訝しげな表情をしながらも脇に抱えていたランドリーバスケットを床に置き、僕の導くまま膝の上に腰を下ろした。 「間違ってないって、何が?」 「プレゼントは君ってやつ」 「?」 僕は彼女の背中に回していた手を優しく撫でるように前に持ってきて、更に下腹部まで滑らせそこでピタリと止めた。 「ここに、僕と君の子供を宿して欲しいと言ったら、どうする?」 ぱ、と目が見開かれる。 「え?」 ぽかんと口を開けて驚くその顔が可愛くて面白くて、僕は軽く笑った。 ********* 何時だったか、僕の仕事が休みだった時、君の職場である小学校まで迎えに行った事がある。 思ったよりも早く着いてしまった僕は、特にすることも無いので車を降りてぶらぶらとその周囲を歩いていた。 目に入る、見覚えのある学校のもの全てが記憶に有るよりもかなり小さく、自分があの頃より大分遠くに来てしまった事を実感させられる。 子供時代など、学校で良い思いなんて碌になかったけど、それでも感じる懐かしさに目を凝らして見ていると、校舎の側面に回ったあたりに君がいるのに気付いた。 はるかせんせい、と幼い口調が親しみと敬愛を込めた響きで君を呼ぶ。 君は、低学年の子供達に囲まれて楽しそうに笑っていた。 その笑顔は心から子供達一人一人を慈しんでいて…そして幸福そうだった。 その時にふと思ったのだ。 彼女は僕の子供にも、同じ…いやそれ以上の微笑みや慈しみをくれるのだろうと。 思った事そのものが既に僕の中である意味衝撃だった。 僕らの、子供の事を考える。 それは自分でも意外な事だった。 心の何処かで赤い瞳の遺伝子を恐れていた僕は、子供を作ることに積極的にはなれなかった。 君もそれは薄々感付いていたようで、僕に「赤ちゃんが欲しい」と言ってくる事はなかった。 僕は、甘えた。君の気遣いに。優しさに。 …君が本当は心からそれを望んでいるのを知っていたのに、僕は見て見ぬ振りを続けた。 目を顔を反らして、向き合おうともしなかった。自分の本音とも、彼女とも。 それなのに、あの一瞬で無意識のうちに向き合わされ、そしてそれは驚く程素直に胸に落ちてきた。余計な物を取り払った僕の本音が。 そして、気付いた。 君は、僕の母親のようにはならない。 僕の子供は、僕のような子供時代は過ごさない。 赤い目だって、遺伝するかはわからない。よしんばしてしまったとしても、同じ体質である僕がフォローすればいいのだ。 全身全霊で守って…受け入れて、愛せばいい。 僕が、叔父さんにして貰ったように。 君が、僕にしてくれるように。 君と僕で。 未来への架け橋を繋いで。 「ほん…とに?本当に本気で真剣に本心で?」 「信じられないか?」 「だって…ずっと、恐がってたでしょ?子供が好きとか嫌いの問題じゃないのは、知ってたよ」 ずっと逃げていたのにどうしてかと、困惑した瞳が語りかける。腑に落ちないのは仕方がないことだ。僕だってあんな突然、霧が晴れると思っても見なかったのだから。 心境の変化を上手く説明できる自信が無かった僕は、特に言葉を選ぶ事無く端的に述べた。 「…もういいんだ。もう、平気だ。 …悪かったな、待たせて」 ずっと傍で、何も言わずに、何も責めずにじっと待っててくれた。君といる優しい時間が僕を少しずつ変えてくれた。 やっと、君が何より望んでいたものをあげられる。 そして驚いた事に、吹っ切れた今、僕も望んでいる。新しい命を。 両手でその柔らかい頬を包み込むと、その上からその小さな白い掌を重ねて君は笑いながら眦から涙を一粒零した。 「えへへ、何かすっごく嬉しい。すごく…幸せ」 「別にまだ出来てないだろ?」 「そうだけど!でも、幸せなの!大きな一歩なの!」 「産む時目茶苦茶痛いらしいぞ。切ったりするらしいぞ。我慢出来るのか?」 「出来るよ!…多分。産んだこと無いから想像つかないけど。 っていうかこの場面で普通そういうこと言う!?本当は欲しくないとか言ったら怒るからね!?」 「冗談だって」 笑いながら抱き寄せると、君はホッとしたように身体の力を抜いて凭れかかってきた。 細いけれどふかふかの二の腕を僕の首に回して、首筋に額を擦り寄せる仕草が愛おしい。柔らかい茶色の髪を撫で梳いて、その滑らかな場所にそっとくちづけると、君はその優しい瞳を細めてくすぐったそうに笑った。 「ね、男の子かな、女の子かな。私双子だから、やっぱり双子ちゃんかな」 「随分気が早いな。まだ仕込んでもないのに」 「仕込むとか言わないの!…ねえ、八雲君はどっちが欲しい?男の子?女の子?」 「…どっちも」 「本当!?私も両方欲しい! それで名前は…」 まだ存在のWそWの字すらない子供の話を嬉しそうにする君に苦笑しつつ、一向に終わらないお喋りに次第に業を煮やす。 事細かく未来の事を話続ける君に、待たせた年月の永さを知り申し訳無い気持ちにはなったが、如何せん長すぎると僕はその華奢な身体を抱き上げた。 そのまま歩き出すと、君は吃驚して、それから落ちないようにと慌てて僕にしがみついてくる。 「え!?ちょ、ちょっと何!?」 「僕の奥さんは随分とお急ぎのようだから、ご要望にお答えしようと思いましてね」 「よ、要望って…!?」 「今から頑張れば、まあ誕生日は無理だけど今年の秋か冬くらいには出来るんじゃないか?」 ニヤリと笑って見せてから、小さな身体が落ちないようにしっかり抱え直す。 「だからってこんな真昼間からする事ないでしょ…!」 僕の脚が寝室に向かっているのを悟ると、君は真っ赤になって往生際悪くジタバタと抵抗し始めた。それを腕の力で楽々防いで、にこやかに告げる。 「善は急げ、って言うだろ?」 それ以上文句が飛び出してくる前に僕は彼女の唇を自分のそれで塞ぎ、そして行儀悪く脚で寝室の扉をしめた…。 Happy BirthDay Yakumo !! End |