まあまあ短めのお話Vol.2

□Liberation
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 回想からはっと我に返ったのは、誰かが立てた椅子の音のせいだ。
 どうやら物思いに耽るあまり、彼が戻って来たことにすら気づかなかったらしい。


 「ご、ごめん、帰って来たの全然気づかなかった」


 さっきの金属音は八雲がこちらに歩み寄ってくる際にパイプ椅子にぶつかった音らしく、片手でそれをひょいと退かして近づいてくる。いつの間にやら部屋の電気も消され、空気が濃くなったような、それでいて酸素が薄くなったような妙な感覚に陥る。
 彼は傍まで来て晴香を閉じ込めるように窓枠に手を置き、曇りガラスをそっと閉めた。



 雨の音が、半分程遮断される。



 さっきまで思い出していたのが艶っぽい事のせいか、胸がドキドキして息苦しい。
 回想しただけで顔が熱くなっているなんて随分お子さまだし、はしたない事を考えてぼんやりしてたなんて八雲に知られたら恥ずかしい。
 今までの経験から、目を逸らすと逆に問い詰められる事を知っていた晴香は、今日は逆にじっと見上げてみた。

 八雲も、こちらを見下ろしてくる。

 彼はふっと口元に笑みを浮かべたかと思うと、晴香の細い顎を指先でひょいと持ち上げ、顔を傾けて唇を重ねてきた。


 「……っ」


 晴香はちょっと驚き、それでも温かな感触におとなしく瞳を閉じる。八雲のそれはぬくもりを確認するように滑り、角度を変えてはまた口付けてくる。
 人の気配のない建物の中。雨の音が耳朶を打ち、ゆったりとしたくちづけは嫌でもあの朝のキスを連想させた。

 唇を押し包まれ、八雲の節くれ立った長い指が首すじを撫で上げ、うなじを通って髪の中に差し入る。

 たったそれだけの動きだけで晴香の身体はぽっと熱くなり、そしてそんな自分の反応が恥ずかしくなった。





 そんなに長くないキスが終わり、二人は無言で見つめ合う。とはいっても晴香に限って言えば、余韻にぼうっとなってただ見上げていただけだけれど。
 八雲は赤い瞳を煌めかせ、濡れた唇を親指で拭ってから少し面白そうな表情で彼女の耳もとで囁いた。


 「……あの朝の事でも思い出してた?」


 図星を指され、ぼぼっと頬が熱くなる。


 「な、なんで分かったの……?」

 「なんでと言われてもこまるけど、まあ強いて言うなら……目、かな」

 「目?でも、私窓の外見てたよ?八雲くん、ドアから入ってきたよね?」

 「だから、外から見てたんだよ。裏道を通って部屋に戻る途中……開いた窓の向こうで君が潤んだ瞳で頬を染めて、ぼけっと雨を眺めてるのが見えた」


 裏道は細く木が生い茂っているため、あまり人が通らない。けれど御子柴教授の研究室から戻るには、かなりショートカットできる道筋でもある。どうやら彼はそこを通って来たらしい。


 「全然気がつかなかった」

 「周りが全く見えてなかったんだろう、君はずっと空を眺めていたし、凄く蕩けた目をしてたから」

 「うええ…」


 今更だけれど、一体どんな顔をしていたのだろう。流石に照れ臭いやら恥ずかしいやらで両手で熱い頬を押さえ、八雲から顔を背ける。けれどもその手首をぐいと引かれて勢い余って彼の腕に飛び込んでしまい、そのままの体勢でぎゅっと抱き締められた。


 「あんな顔を見せられたら、僕まで思い出したじゃないか。どうしてくれる?」

 「どうしてって言われても……」

 「責任、とれよ」

 「え?」


 責任って何ですか。

 などと聞き返す暇もなく傾いた身体を抱き直される。腰に回った腕が互いの胸を密着させるように引き寄せ、自然と晴香の背が仰け反る。


 「ひゃあっ」


 耳朶に軽く歯を立てられて、記憶の名残のせいで敏感になった身体がびくんと跳ねる。抵抗する暇も無くシャツの下に八雲の掌が滑り込んできて、硬い指先が素肌をゆっくりとまさぐり始めた。


 「待って八雲くん、ここ、プレハブ……っ」


 鼻先で襟元を掻き分け首すじに顔を埋める八雲を引き離そうと手のひらで押し返すけど、全く効果無し。それどころか大きな手が余計深く潜り込んできて、ぞくりとした感覚に晴香は震え、慄いた。


 「〜〜っ、ちょ…だめだよ……」


 そうは言ってみるものの、身体は正直なもので次第にその気になってきてる。衣服の下で肌をまさぐられ、脚の間に割り込んできた八雲の膝を太腿できゅっと挟み込む。

 お互い呼吸も荒く、身体も熱い。

 喘ぎそうになる唇をぎゅっと噛み締めていると、そこと頬に優しい唇が降りてきて、ふわりと解(ほど)かれる。


 「大丈夫だ……こんな大雨の日になんて、誰も来ない」


 耳元でそう甘く囁かれ、このまま流されてしまおうかと思った瞬間―――1人、雨にも風にも負けないどころか全く気にしない人がいるのを思い出して、晴香はふと顔を上げた。


 なんとなく……嫌な予感がする。


 「あの、八雲くん……」



 晴香が声を掛けるのと、部屋の前が急に騒がしくなったのはほぼ同時だった。






 どすどすどすどす。







 ガチン!!








 ・・・・予感、的中。




 『あ?なんで鍵なんて掛かってんだよ!』


 八雲が、咄嗟に晴香の口を掌で塞ぐ。
 聞き慣れた声は悪態をつき、もう一度ドアノブを回す。



 ガチン!ガチン!



 そんなに回したら壊してしまうんじゃないかと思っていたらそれは止み、その代わりドン!と扉を蹴る音が部屋に響いた。
 その音の大きさにびっくりして、晴香の身体が微かに飛び上がってしまう。八雲に押さえられてなかったら、間違いなく物音を立てていただろう。
 ドアへの八つ当たりはその一回で終わり、後はまた、後藤の来る前と同じく静かになった。
 けれど、いつものように荒々しい足音がしないから、後藤はそこから立ち去っていないのだろう。

 2人はじっと息を潜め、成り行きをじっと見守った。






















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