まあまあ短めのお話Vol.2

□Liberation
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 前日夕方から八雲が泊まり、その日はデート―――と言っても彼にとっては『女性のつまらないショッピング』に付き合うだけの事だろうけど―――の予定だった。

 なんてことのない、平和な休日の朝。

 昨夜『その気』になった八雲に早々にベッドに引きずりこまれたせいで疲れ切ってすぐに眠ってしまい、いつもよりも大分早く目が覚めてしまった。
 目覚めて直ぐに感じるのは、後ろから絡みつく固い腕の感触と確かなぬくもり。
 枕になっている腕は肘が曲がり、晴香の首のあたりを抱え込んでいる。もう一方の手はゆるく体に回され、大きな掌はちゃっかり胸のふくらみを掴んでいた。
 しょうがないなぁと苦笑しながら身体を捻り、どうやって八雲を起こさないようにこの腕の中から抜け出そうかと考える。
 腕が巻き付いているだけじゃなく、逃げ出そうとしようものならその手に力が入るのだから、正直困ってしまう。それでもほんの少しずつ身体をずらし、長い時間をかけて漸く硬い檻と掛け布団の中から抜け出した。
 そろそろとシーツの上を移動して、頭が漸く布団から出る。床に足をつけた途端、ひやりとした空気に包まれて肌が粟立った。


 「あ…私、何も着てない」


 一糸纏わぬ自分の姿。どうりで肌寒かったわけだ。


 行為が終わった後、いつもは下着とプラス1枚程度、適当に何かを羽織って眠る。
 八雲が手加減を忘れた時は動く気力も無くそのまま泥のように眠ってしまうけれど、そういう時は彼が自分のシャツやスウェットで包み込んでおいてくれる。
 けれど最近は気温が暖かくなってきたせいもあって、汗が引くまで待っていると2人してそのまま眠ってしまう時があった。昨夜もどうやらそうだったらしく、火照った身体を冷まそうと横たわってから後の記憶が無い。
 晴香はベッドに腰掛けた状態のまま、床に落ちていた八雲のシャツを拾って羽織り、薄明るい窓の外を見て情けない声を上げた。


 「ああっ、結構降ってる」


 昨日の日中の暑さが嘘のように気温が下がり、太陽が隠れるどころかしっかり雨。パタパタと窓を打つ音を聞きながら晴香はがっくりと肩を落とし、不貞腐れた顔を上げて空を仰ぐ。


 天気を気にするのには、わけがあった。
 事件の時は腰が軽いくせにそれ以外だと出不精な大きな黒猫は、デートの日に雨が降ろうものならこれ幸いに外出を拒否してくる。
 ただでさえ色んなものに巻き込まれて『普通に外でデート』というものが少ないのに、天気のせいでその機会が更に減るのかと思うと灰色の空が恨めしくて仕方なかった。


 「あーあ、夕方までは降らないって言ってたのに……天気予報の嘘つき」


 「―――……さっきから煩いな、君は」



 ぶちぶちと悪態をついていると、もぞ、と背後で布団の塊が動く。洗い晒しのシーツの端から顔を覗かせたのは、まだ覚醒しきっていない瞳をした八雲だ。
 どうやら独り言のせいで目が覚めてしまったらしい。その彼に向かって、晴香は自身の不満を伝えるように唇を尖らせた。


 「だって、外……」

 「雨、か」


 大欠伸をひとつかました彼は億劫そうに上半身を起こし、背後から晴香と同じく窓を見上げてぽつりと呟く。


 「まあ、別にいいじゃないか。わざわざ濡れに出てく事もない、今日は家でゆっくりしていよう」


 予想通りの言葉に、晴香はがっかりして溜息を吐いた。

 ああ、やっぱり。

 確かにふらふらと出て行くには今日は雨が強い。買物をしても、荷物が濡れてしまうかもしれない。
 デート日和でないのは分かってるけれど、楽しみにしていた晴香はなんとなく諦めきれない。思いっきり不満そうな顔をすると、彼はそんな彼女の顔を見て薄く微笑んだ。


 「そう不貞腐れるな。前同じように土砂降りだった時、『今日は神様がのんびりしていなさいって言ってるんだよ』って脳天気な事を言ってたじゃないか。今日もそう思えばいいだけだろう?」


 晴香は彼の穏やかな顔に『それは違う』と反論したくなった。
 確かに以前そう言ったが、それは事件のせいで彼が2週間以上も休みなしで走り回っていたからだ。
 疲労が顔に色濃く出ているというのに、土砂降りの中それでも出て行こうとする八雲を引き止めたくて、咄嗟に口から出た言葉だった。
 あの時は真剣な晴香の顔を見た彼が、強張っていた頬をふと緩めて従ってくれたけど、今は状況が違う。全然違う。


 「流石に梅雨のこの時期にはそんな風に思えません。毎日のんびりする羽目になっちゃうでしょ。それじゃただのぐーたらだよ」


 ふくれっ面でそういうと、八雲が喉の奥で微かに笑う。彼は手を伸ばし、宥めるように晴香の髪を撫でた。
 後ろから抱きしめてくる白い腕は硬くて温かく、晴香は不貞腐れつつも身体の力を抜いて広い胸にもたれかかる。肌に馴染んだ彼の身体は細身ながらも逞しく、多少の傷痕に彩られているものの均整がとれていて美しい。
 その腕に胴体をがっちりと抱え込まれて頭を寄せられると、晴香は頬を擽る漆黒の髪を優しく撫でた。
 八雲は気持ち良さそうに目を細め、薄い唇をゆっくりと開いた。


 「ぐーたらでも良いじゃないか。今日はずっと2人でこうしていよう」

 「ベッドに転がって、ってこと?」

 「いいだろ?泊まりに来るのは久しぶりだし、今週はあの熊のせいで頭脳労働だけじゃなく肉体労働も強いられて、僕は疲れてるんだ」


 大きな黒猫はまた一つ大欠伸をし、喉をごろごろと鳴らしそうな勢いで晴香に擦り寄って来た。力を抜いて華奢な肩に頭を乗せ、逞しい腕に力が入る。
 髪が首に触れて擽ったかったが、甘えてくるその仕草に晴香の頬が弛んだ。


 彼がこうして甘えてくれるのが、嬉しくて堪らなかった。

 初めて会った頃は本当にまあ言いたい放題トゲ放題で、何度も通って一緒に過ごしていたにも関わらず、友達とすら思われて無かった。
 というより、そもそも八雲には友達という概念すら無かった。
 それを繰り返し言い聞かせてなんとか認めさせたものの、そこから先の道のりは遠く、そして歩みはとても遅く―――へこたれそうな程進展はなかったけれど、それでも少しずつ彼自身の事を打ち明けてくれるようになり、頼ってくれるようになった。
 とある事件をきっかけに彼に想いを打ち明け念願叶って恋人になったけれど、付き合う前と態度が全く変わらない彼に、何を考えているのかと暫くは不安になったものだ。
 それが肉体的な距離が近くなるにつれて愛情も不安もきちんと口に出せるようになり、2人の関係は少しずつ変わっていった。
 お互いの関係を手探りで作り上げていき、言葉の大切さをお互いに認識しながら歩んできて、漸く八雲はこんな風に態度で甘えてくれるようになった。

 未だに『あの捻くれ者が』と信じられない時があるけれど、今はこれが自然でいられる。
 八雲だけじゃなく晴香も彼に甘えることを覚え、お互いにとって心地良い関係を築きあげている。

 馴れ合いとかではなく、こうして穏やかに時を重ねることが何にも変えがたいと思うくらい、大切な人。
 雨が、デートがと不貞腐れてみせても、晴香は今確かに幸せだった。






 後ろから回された腕を、ぎゅ、と抱きしめてみる。






 八雲の匂い。





 雨のにおい。






 雨に閉じ込められた2人。






 この肌寒さが、2人でくっつくのに丁度良い。




 幸せを噛み締めつつまったりと互いの体温を味わっているとベッドの上に引き上げられ、ゆっくりと押し倒された。


 「……こんな日はこうして過ごすのも良い」



 ―――『そんな事言って、出掛けるのが億劫なだけな癖に』―――




 そんな文句は、温かな唇に遮られる。

 昨夜の名残の残る身体はあっという間に火がついて、触れられたところからすぐに反応してしまう。
 大きな掌で体の輪郭を確かめられ、長い指が弧を描くように滑る。
 耳朶を食まれながら弱いところを的確に攻められ、湧き上がる熱を抑えられず、晴香は唇から吐息を漏らした。


 「ねぇ、待って……」

 「煩い」


 そう言われると分かってはいたけれど、予想よりも素早く却下されてしまう。
 朝からこんな事…と思わないでもないが、今まで何度も早朝に愛し合っているし、今更だ。
 恥ずかしいからやめて、と言ったところで聞くような人でもないし、抵抗しても押さえ込まれるだけ。それどころかこれ見よがしにゆっくりと身体中撫でられ弄ばれ、気が付けば息を乱して八雲にしがみついている。
 華奢な肢体の隅々まで良く知っている彼は魔法をかけて、理性を失うまで翻弄するのだ。


 「嫌じゃない……だろ?」

 「ん、……ば、か……っ」







 そうして晴香は、八雲という波に巻き込まれ、深く深く沈んでいった。

























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