明るい陽射しの中、八雲は眩しさにゆっくりと覚醒して目を開けた。 どうやら、カーテンが開いているらしい。 横向きの身体をごろりと仰向けに して手を伸ばし、隣にある筈のぬくもりが無いことに気付いて頭を上げる。 皺のよったシーツの隙間からは既に温度が失われていて、主の不在をひんやりと訴えてきた。 溜息をひとつついて、体の向きを変える。ぐるりと部屋を見渡せば、求めている姿はすぐに目に入った。 晴香はベッドの反対側にある窓の外をぼんやりと眺めていた。ぶかぶかの八雲のシャツを身に纏った華奢な背中は儚く、太陽に淡く溶けてしまいそうに見えた。 「…起きてたのか」 上体を起こして声をかければ、弾かれたように晴香がこちらを振り返る。八雲の寝起き姿を見て一瞬で真っ赤になったかと思うと、落ち着かない様子でもじもじとシャツの裾を下に引っ張り、「おはよう」と裏返った声で挨拶をしてきた。 その様子を見て、不思議と安堵の息が出る。 八雲は床に脚を下ろし、脱ぎ捨ててある下着とジーンズを身につけて立ち上がる。ぼさぼさの寝癖頭を掻きまわしながら大欠伸をして、そして晴香の元にぶらぶらと近寄っていった。 「どうした?」 近づく八雲を見上げて恥ずかしそうに微笑む晴香に、何をしているのかと問い掛ける。満ち足りた機嫌の良い小さな顔を見て、八雲の口元も自然と綻んだ。 「あのね、お天気」 「天気?」 「うん、そと、お天気雨なの。見て」 そう言うと、晴香はまたきらきらと輝く瞳を窓の外にやった。 夕べ一度止んだ雨は、夜半過ぎから再び降り出した。雨と晴香の甘い声が混じった音を一晩ずっと聞いていたのだから、よく覚えている。 今は晴れてはいるが、成る程彼女の言うとおり、パラパラと雨が降っていた。 「…綺麗だけど、なんか不思議だね。晴れてるのに、雨なんて」 「狐の嫁入りか…」 「あ、そうそう、お天気雨ってそうとも言うんだよね。お母さんもそっちで呼んでた。ちょっと可愛いよね」 「狐に化かされたような気分になったってだけだろ。イギリスとイタリアも狐の嫁入りって言うんだ」 「へえ…流石八雲くん、物知りだね。ねえ見て、虹も出てるよ、綺麗」 うっとりと光のスペクトルを見つめる晴香を後ろから閉じ込めるようにして、窓のサッシ部分に手をかける。虹は空高く多彩な円弧を空に描き、その足下はまるでこの部屋に続くようにして消えていた。 ふと彼女を見下ろせば、開いた襟元から、柔らかく盛り上がった胸に赤い痕がよく見えた。昨夜、八雲が施したものだ。 それをぼうっと見ていると、何だかもう一度付けてやりたいようなおかしな気分になってきたが、晴香の明るい声で我に返った。 「虹のある婚礼なんて狐の花嫁さんも嬉しいだろうね」 「…君は狐っていうより狸そっくりだけどな」 「関係ないじゃない」 「狸の嫁入り?」 「なにそれ!大体嫁入りって何処に…」 晴香はそこで漸く振り返り、知らずうちに縮められた八雲との距離に息を飲んだ。甘い匂いに誘われるように後ろから腕を細いウエストに廻すと、先程と同じように晴香の顔色がみるみる赤く染まっていく。寝起きの艶やかな素肌に惹かれて桃のような頬に唇をひとつ落とせば、彼女は更に挙動不審になった。 「何処に、なに?」 「ど…何処に…何処に、嫁入り…しようかなー…なんて…その…」 「へえ?」 しどろもどろになってしまった晴香を見下ろしながら八雲は意地悪く笑う。 「そんなに迷う程貰い手があるんだ?この浮気者」 「え?あ、いや、違うよ、だって、その、きゃあ!」 狼狽えたままの晴香を抱き抱え、悲鳴を無視して数歩でベッドの前に辿り着くと、八雲は程よくスプリングのきいたマットの上に彼女を落とした。そしてつかさず自分も乗り上げ、細い肢体を組み敷いた。 「な、な、無いですっ!貰い手なんて無いですっ!」 「本当に?」 「本当に!だから捲らないで!」 シャツを捲り上げようとする八雲の手に逆らうように、晴香の両手が裾を掴んで下に引っ張る。 「嫌だ。君が何処になんて迷わないよう、しっかりと所有権を主張しておかないと」 「絶対迷わないったら…あっ!」 八雲は晴香の手首をがっちりと捕らえ、茶色い頭の上に縫い止めた。 「絶対?」 「一人だけしかいないのは、昨夜でよくわかったでしょ?意地悪」 「まあ、な……」 身動き出来なくなった晴香は、大きな瞳を潤ませて己にのし掛かっている男の名前を唇の動きだけで呼ぶ。 そこにあるのが拒絶ではなく狼狽であるのを見てとり、彼は自分のそれで見るからに柔らかそうな唇を塞いだ。 一度目は誘うように撫でるように。二度目は深く、強く。 晴香の身体の力が抜けるまでじっくりと口づけると、八雲は顔を上げて尋ねた。 「晴香…嫌?」 「私…もっと虹、見たかったのに…」 言葉は拗ねているが、既に過去形になっているのが、受け入れの証。それに気づいた八雲の口の端が、ゆっくりと持ち上がった。 「虹なら、ここに繋がってるから大丈夫だ。目を閉じれば見える」 「ここに?」 「そう。ここ」 晴香の心臓のあたりを、軽く叩いてやる。不思議そうな顔で説明を求める彼女を無視して、八雲はもう一度頭を下げてキスをした。 『虹の根元には宝物がある』 戯れ言だと思っていた伝承。 今ここにあるのは金銀財宝よりも価値のあるもの。欲しくて、手に入れるのが怖くて、でもやっぱり欲しくて仕方のなかったもの。 たった一人に愛されるという、自分にとって手が届かないと思っていた儚い夢。 今日も、明日も、明後日も覚めない、虹色に輝く確かな夢。 それを僕は手に入れた…とこれ以上ない幸福感に酔いしれながら、八雲は晴香の身体を愛し始めた。 End. _| ̄|○お…お題むいてねぇ〜!でもでも、取り敢えずこれで一区切りです!ここまで読んでくださった方、ありがとうございましたm(_ _)m |