松 夢小説

□迫る恐怖
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「なぁ、なんで逃げるんだ」

「待ってくれ、逃げないでくれ。」

「俺をからかうのはやめろ、ハニー」

ダメだ、おかしい。

こいつはおかしい。

私は必死に自分の家を目指して走る。
深夜の暗い道を必死で走る。
ヒールだから走りにくいとか、汗でメイクがおちるとか、そんなこと言ってる場合ではない。

彼とは別れたハズ。

家だって教えてないし、仕事場だって教えてない。
私がいつも仕事に行く時に通っている道だって教えてない。
そもそも、彼が住んでいるところとは二駅くらいの距離もある。
もうわけがわからない。
…遡れば少し前のコトだ。

残業でいつもより帰りが遅くなってしまって、溜息をつきながら1人で帰宅途中だった。
家と仕事場は、そこまで離れていないから交通機関を使わなくても帰れるのがせめてもの救い。
1人で、ふと最近別れてしまった彼のことを思い出した。

別に心残りはなかった。

付き合い始めてから最初はとても彼は優しかった。
六つ子の兄弟で、ニートだっていうこともあったけれど、気遣ってくれてとってもいい彼氏だった。
けれど、付き合っていくにつれてだんだんと彼が束縛をし始めたのだ。
それに耐えきれなくて、私はメールで別れ話を切り出した。
それがついこの間の話だ。

直接「別れよう」なんて言ったら何をされるかわかったもんじゃない。
何よりも恐かった。
彼からのメールは、「わかった」という一言のみの返信だった。
それを見て、案外あっさりなんだと思っていたのが仇であった。

人気がない暗い道のなかで、聞きなれた姿が現れたのだ。


「今日は遅かったな。
心配したんだぞ?」

「か、カラ松なんで…」

「ほら、疲れただろ。
手、つないで帰ろう。」

「意味わかんない。
なんで此処にいるの?」

「ハニーの働いてる場所を知っておくのは、彼氏としては常識だろ?」

「違う、そうじゃなくて…!」

「ほら、手つなごう」

「私達、別れたたんだよ!
もうこうゆうのやめてよ…」

「どうしたハニー?
…もしかして、会社で嫌なことでも会ったのか?」

「カラ松!」

彼は聞く耳を全く持たない。
その笑顔が気持ち悪い。
ゾっと寒気がするのだ。

「大丈夫、大丈夫だハニー。
俺がずっとそばにいてやるからな。」

「っ!触んないで!!」

不意に伸びてきた手を叩いて、急いでその場から逃げるように走った。
そしてそれが今に至るのだ。
私の働いている場所を知っているのも恐かったけれど、あたかもまだ付き合っている恋人のようにふるまってきていた。

「(頭おかしいんじゃないの?)」

後ろから聞こえてくるカラ松の声が恐い。
止まったら捕まる、何をされるかわかったものではない。
走りながら警察に通報しようかとも思ったが、スマホを操作をしながら走っている余裕はなかった。

ハァハァと息をあげながら走っていくと、やがて自分の住んでいる1人暮らし用のアパートに辿りつく。
不都合なことに、このアパートに住んでいるのは今現在私しかいない。
こんなことになるなら、隣人がきちんといる家にすればよかったなんて今更なことであった。

カバンから鍵をだして、鍵穴に鍵をさして、ドアを開けて家に入る。
そしてすぐにドアを閉めて、鍵を二重にかける。
それから私はドアに背をむけて、ずるずると玄関に座り込む。
家に無事にたどり着けた安心感と荒い息が同時にでてくる。
家にさえつければ助かる、と思っていたが、

「ハニー、いるんだろ?」

「?!」

ドア越しでカラ松野の声が聞こえる。

「そこにいるのはわかってるんだぞ。」

全身の血の気が引く。
嫌な汗と恐怖が身体を襲う。
ガチャガチャとドアノブをひこうとしている音と、ドアを拳で叩いている音が余計私を恐怖させる。
私は身を縮ませて耳を両手で塞ぐ。
それでも嫌な声と音は聞こえてくる。

「なんでこんなことするんだ?
俺は、こんなにもハニーのことを愛しているのに。」

「っだから、私達は別れたんだってば!!
お願いだから帰って!
もう私に近づかないで!
お願いだから!」

「俺の何がいけない、俺のなにが駄目なんだ…俺はただハニーと一緒にいたいだけで、」

「いきなり何も相談なしに別れようって言ったのは謝る!
でも、それくらい私はカラ松の束縛が嫌だったの!
だからもう」

「俺が嫌だったのか?
だって、ハニーは愛してるって言ってくれただろ…」

「だからっ」

私が声を張り上げた瞬間、ものすごく嫌な音がした。
普段聞かないようなその音は、私を絶望させた。

反射的にドアの方に目を向ければ鍵穴とドアノブの部分が破壊されていたのを見ると、私はすぐさま玄関から離れた。
すぐどこかの部屋に身を隠そうとしたが、腰が抜けて足に力が入らない。
立ちあがれないし、歩くことも走ることもできない。
当然のことながら、カラ松は私の家の玄関に足を運ばせる。
その時の彼の目に光はなく、優しい彼はもういないことが確認できた。

「やっと入れてくれたな、お前の家に。
ハァ…ハニーと同じ匂いのする家だ。
もう少し早くここに来ていたかった。」

「ち、近づかないで!!」

「…名前、俺はお前から「別れよう」というメールが来た時、正直信じられなかった。
あり得ないと思った。
俺がこんなにもお前を愛しているのにお前は何が不満だったんだ?
俺は、名前が嫌がることをしたのか?」

カラ松は私にゆっくりと近づく。
腰が抜けて立てない私は後ずさりながらカラ松から逃げる。
当然のことながら、後ずさることでカラ松から逃げることはできない。
カラ松は、私の目の前まで来ると目線が合うようにしゃがみこみ、私の両腕を自分の両腕で掴む。

振り払いたかった今のカラ松の力には全然敵わなかった。

「これでもう名前を失わないで済む…」

さっきの恐い顔とは変わって、気持ちの悪いほど優しい顔でカラ松は笑うと私の両腕をパっと離す。
ここでビンタでもかますことができればよかったのかもしれない。
なんで私は家に着いたのにも関わらずすぐに警察を呼ばなかったんだろう。
自分が憎い。

「もう絶対離したりしない。
ずっと一緒だぞハニー。」

優しく抱きしめられたにも関わらず、私は恐怖に怯えながらも確信した。
私は、カラ松から逃げることはもう一生できないということを。

「名前。
愛しているから、もう泣かないでくれ・・」


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