小説

□人魚の泪
1ページ/1ページ








『足が欲しいなら……くれてやる。

…但し…その声を奪う。』





ーーーーそれでもよかった。




声なんて……


"人間の足"が手に入ることに比べれば
簡単に手放せるものだった。








海の魔女から貰った足で
海上へ上がり


砂浜に足をつけた時……
初めて感じる陸は暖かかった。





…そして

慣れない足を一歩、一歩と踏み出せば


ナイフが突き刺さるかの様に、


声を出そうとすれば

喉が焼かれるかの様に
痛みが走る。





どうしても…何を捨ててでも


ミンソク兄さんと別れてでも


あの日の夜
僕が荒波から助けた王子に……




初めて
苦しいほどに恋をした
人間に……





こうして

会いに来たかった。





「君……」




ーーーーそう、


この涼しげな瞳
綺麗な顔立ち

海風に靡く
銀色の髪……



「……名前は…?」





…彼に何を聞かれても
答えることはできない。





"…ルハンといいます"




伝えたい気持ちと

今、こうして彼の瞳に
僕が映っていることに


……涙が溢れた。






________






「セフン王子…!

……その方は?」




「大丈夫。

僕が面倒みるから」




突然現れた
口も聞けない僕を

王子は城へ置いてくれた。




側にいさせてもらえるだけで
幸せだった。





「君の瞳…

海みたいに
すごくキラキラしてますね…」





口の聞けない僕に
いつも王子は優しかった。




……こんな僕が
恋心を持っているなんてこと


王子は知るわけもなくて



日々

伝えたい気持ちだけが
心の雫となる。








……僕は、



次の満月の夜までに

王子と結ばれなければ



…魔女との約束の通り


泡となって
消えてしまうのに。





______





ある日差しの綺麗な日暮れに

セフン王子は僕と浜辺へ向かった。




そう……

この浜辺に
王子を引き上げて


初めて近づく"人間"に

小さく声をかけたんだっけ……



すごくドキドキして
一瞬にして心を奪われたこと

今でも鮮明に憶えてる…






「…海は好き?」



コク…

僕はうなづく。




「僕…

ここで誰かに
命を救われたことがあるんです。

嵐の夜
荒波から救ってくれた命の恩人…


……誰なのかもわからないのに

…いつもそのことばかり
考えてしまう。

こんな気持ち……初めてで…」






……ドキっとした。






"貴方を助けたのは

……僕なんです"



今すぐに
伝えたかった。





でも……


何も……伝えられない。



僕が助けたという事実も

王子へのこの気持ちも、全て。





「……ただ…

…その小さな声に目を覚まして
少し瞳を開いた時

すぐに…海の方へ
姿を消してしまったように
見えたんです。


……人魚だったとでも

いうのかな……」






…苦しい。


すごく…苦しい……






ーーー王子への想いと

何も伝えられない時だけが


刻々と増してゆく。





_______






ーー来たる夜……



少し雲に掛かる…満月は

異様なまでに白く明るく



皆が寝静まった頃
砂浜の岩辺に


僕はひとり
空を見上げていた。








満月………



……何も伝えられなかったんだね


僕は。




ーー泡になることなんて
怖くなんかないと


王子の瞳に
僕がもう一度…映ることができたら

それだけで十分だと


自分に言い聞かせてきたのに……



今になって…

消えてなくなることが

こんなにも
悲しいなんてーーー…





…声も失って
痛みも抱えてまで

こうして
王子に会いにきた。






どうせ泡になってしまうなら



誰にも見られない場所で


静かに消えてしまいたかった。





ーーーーその時…


岩影から
懐かしい声がした。






「………ルハン!」




!?

……ミンソク兄さん…!



……来ちゃダメだよ!!

もし人間に見つかったら……




「心配しないで!

それより…これを…!」




ミンソク兄さんが僕に手渡したのは

美しく輝く
綺麗な短剣だった。





「魔女から手に入れたの…

これで
…王子の心臓を刺して!」



…!?



何…どういうこと……




「この剣で…王子を殺して!

命を奪うのならまだ間に合う!!


そうすれば…
お前は泡にならずに

全て忘れることができるから…!」






……っ、…嫌だ……


できない……!!

僕にはそんなこと……




「やるしかないでしょう!?


泡になって消えちゃうんだよ!?

……ルハンが消えるなんて

俺、絶対に嫌…!!!」




…ミンソク兄さんは
そう言い残して
海の中へ去って行った。







_______







ーーー

バルコニーから吹き込む

海の香りのする風に


満月に優しく照らされた部屋の
カーテンが靡いていた。





足音を殺して…
短剣を片手に

薄暗い部屋の中
眠った王子に近づく。





…王子の顔を見た。




美しい…そして

すごく……愛しい……。





……それでも

ミンソク兄さんの言葉が…

表情が

…頭の中を過る。






……震える手で

短剣の矛先を

王子の胸にあてる。






ーーーー僕は……

何をしようとしているの?





…こんなにも溢れた想いを

一度も伝えることなく


僕は……今……



セフン王子を
殺さなくてはならないの……?







ーーー涙が溢れて


視界が歪んだ

その時…





眠っていたはずの王子の手が

短剣を握り締め
震えた僕の両手に


…そっと触れた。




!?


…僕は驚いて動くことができない。




王子…
どうして……

眠っていなかったの…!?



王子がゆっくりと起き上がり

手を離した。






そして……

僕を見つめて






「…あの日の夜……

僕を助けたのは……君?」






え……


王子………今、なんて……





「……あの日…目覚めた時

一瞬だけ目にした
あの綺麗な瞳…


眠った僕を見つめる
海のような綺麗な瞳…


……君のその瞳だった」







ーー信じられない……


王子の言葉が
頭の中を真っ白にする。






「君は……人魚?」





王子が僕に近づく。




「まるで…物語みたいに……」



王子の手が再び
短剣を持つ僕の手に触れる。




「…美しい人魚に
助けられた人間は

……君を…

救うことができますか…?」




…やめて……




「物語のように……
君が泡になってしまうのなら


僕は…この命

君に捧げます……」




やめて……!!!





ーー涙がとめどなく溢れた。




ああ……
やっぱり僕は…

王子を殺すことなんてできない……




「どうして泣くの…?」




…愛しているから


そんな一言も伝えられない。






「……君は綺麗です。

どんな君も、美しい。


でも……どんな君よりも
僕は

笑顔の君が好きなんです」




王子の手が

涙の辿る僕の頬に
優しく触れる。



「……君の名前を


…呼びたかった……」




王子が微笑む。



僕の涙は止まらなかった。





一度でいいから

"ルハン"と…呼んでほしい。



……"愛している"と伝えたい。





必死に声を出そうとするのに


魔女に奪われた声は
出るわけもなくて……




「……、…、………」




涙だけが……

言葉にならない気持ちを
物語る。




「君の涙の意味が……

僕の心にある想いと
同じだったらいいのに…」




王子が……寂しい笑顔をみせた。





何も伝わらないの……?

何も………





ーーーそして……




王子の手が

短剣を握りしめた僕の両手を包み



自らの胸に矛先をあてる。





…やめて

王子……




こんなの違う。



違うの……





「君に救われた命…

君を守るために
捧げることができるなんて

僕は…本当に幸せです」






ーーこんなはずじゃなかった…



こんなにも苦しい結末を迎えるなんて

思ってもみなかった。





……会いに来なければよかった?


……王子を救わなきゃよかった?



…こんなにも…
好きにならなきゃよかった…?





今更、何を後悔しても

全部
遅くて。





こんなにも

気持ちがすれ違うほどに

愛してしまったことには
かわりがなくて……。









"王子……愛しています…………"




伝えられない言葉だけが

僕の瞳に

溢れてゆくんだ……。





「…泡になって消えてしまうのは

……君じゃない。


こんな結末…知らなくていい。


全部…僕の愛で……
守ってみせます…



…泣かないで……



この夜の闇と共に…


きっと全て

消えてしまうから……」












_________








「…ルハン、どうしたの?

人間に見つかる前に
早く戻ろう?」



「…うん…」



ーーある夜


ミンソク兄さんと一緒に
久しぶりに海面に上がり

人間の住む世界を眺めた。





……なんだろう。



この気持ちは何…?



ミンソク兄さんと
毎日何の変わりもない毎日を
過ごしていたはずなのに


…どうしてこんな気持ちになるの…?




「ミンソク兄さん…僕…

おかしくなっちゃったのかな…」




……まるで

心に穴が空いたかのような。


すごく…悲しい気持ち……。





「ルハン…!?…泣いて…」




あーーーー……


涙……




「…僕……

何も知らないのに

何も憶えてないのに…


涙がね…?

勝手に……溢れてくるんだ…」




どうして……?


どうしてこんなにも……










____

人間に見つからないように
岩影に隠れて



海辺にたつ綺麗な城と……

その城を照らす
満月を眺めた。






溢れてしまう涙を


何も知らない僕は
止めることができない。



異様なまでに明るく白い
満月は……


何かを記憶しているかの様に


空っぽの涙を流す僕の姿さえ

その涙と共に


優しく
包みこんだ……。






「……教えてよ……



僕は……



どうして


泣いているの………」










Fin.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ