本棚


□【another oneself】
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その家は、深い森の奥にあった。
色とりどりの紫陽花が咲いた生垣に囲まれた、コテージのような小さな一軒家。木で作られたその家には、申し訳程度の大きさのテラスが備え付けられていた。
生垣も建物も、人の手によって手入れされているようだった。几帳面なものが手入れをしているらしく、細かなところまで手が行き届いているのが遠目でもわかる。つまり、この家には人がいるということ。
その家の主・ヨヒラは今−自身の家の掃除に追われていた。
仮にも、掃除し隊を率いてる身としてはあるまじきだが、実のところ、ヨヒラ自身の性格はかなりズボラである。
手に届くところに物がないと気が済まない。ベットサイドには読みかけの本も読破済みの本も無造作に山にされ、床にはデビルの構成をねる際に使ったメモがあちこちに散乱している。台所は綺麗に片付けられているように見えるが、食器棚の中は乱雑に皿が詰め込まれている。食器を洗うのは好きなので丁寧に磨くのだが、それをしまうとなると一気にやる気がなくなるのだ。
そして今朝方。ついにデビルの−主にバアルの怒りを買ったのだった。
ちなみに、家の周りの生垣の世話をしているのは主に彼であり、ヨヒラ自身は水やりぐらいしかしていない。植えたのはたしかに彼女だが、いかんせん不器用で、整えたつもりが見るも無残な状態になったことがあるぐらいだ。あの出来事以降、ヨヒラは枝切りバサミに触れようともしない。

「あう…重いです…」

二階の寝室から一階の書斎へと本を運ぶために何度も階段を往復する。筋力のない彼女が一度に持てる本の量は限られているというのに、寝室に散らばっていた本はおよそ書斎に仕舞われるべき本の半分以上だった。
いったいいつから片していないのか。腕が痛いと泣き言を漏らす少女を見つめながら、デビルたちは溜息を吐く。

「よくそんな性格で、掃除隊なんか作ろうと思ったな」
「だって、食器洗うのは好きでしたし…」
「そんだけだろーが。それ以外のことはまったくやろーとしねーくせに」

ヨヒラの手から本を奪い取り、その角で彼女の額を殴りながらアロケルは言う。なんだかんだで腕の中の本を全て持っていくあたり、手伝う気はあるのだろう。…あまり甘やかさないでほしいのだが、とふたりを見つめていたバアルは考えた。
額に手を当てて涙目になっているヨヒラはそんなアロケルの気持ちに気付いておらず、書斎へ歩いていく彼の後ろをついていく。あの少女は自分に向けられる好意に鈍いというか、なんというか。彼女の妹は、「褒められること、慕われることに慣れていない」と言っていたが。全体的に、正の感情に対する免疫がないように思える。逆ならまだ分かるのだが、自分は慕われるような人ではない、と自負していたあたり、自分を卑下しているようにも思える。
そんなことはないのに、とバアルは思う。少なくとも、彼女とともにこの家にいる60柱のデビルは、彼女に共感し、共鳴し、ともにいるのだから。

「作った、というよりは…言ってみたらできてしまった、という方が正しいんですが」
「言いだしっぺの法則、っていうじゃねーか。…この本はどこの棚だ?」
「入隊希望が来るなんて、思ってなかったんですよ。…それは錬金術関連ですから、あの右の棚です」
「オメー以外にも掃除してたやついたじゃねーか。…こっちは?菓子の本だからそっちか」
「それは、そうですけど…」
「あー、もういいから。残りの本とっとと持ってこい」

アロケルに追い出されるようにして書斎から出てきたヨヒラは、どことなく不満げな表情でまた階段を上る。簡単な本の整理を彼女に任せないのは、そのまま片付けを放棄して本を読みふける可能性があるからだろう。事実、あの少女はそれを何度も繰り返している。
そのことと、あとは掃除をサボった罰として、重たい本を持って階段を往復させるのはまぁ当然だと思えた。
これで確か、6往復目だったか。寝室に残っていた本はあとどれだけだったか、と考えた時。
コンコン、と玄関がノックされた。

「あれ、バアル?誰か来ましたか?」
「私が出よう。お前は早く部屋を片せ」
「う…わかりました」

階段の半ばあたりで振り返ったヨヒラを制し、バアルは立ち上がった。今日は来客の予定があっただろうか、もしかしたらリベンジに来た他のウィッカのアナザーかもしれない。だとしたら、今日は帰ってもらわなくてはならいな…と思案しつつ扉を開けると、そこにいたのは見覚えのある人物だった。

「…オリアス」
「ただいまっス。まだ片付け終わってないんスか?」

バアルがヨヒラに片付けを命じたとき、ほとんどのデビルは邪魔にならないようにとソウルストーンの中へと戻っていた。監視役としてのバアル、手伝いをしているアロケルの他にも数名実体化していることにはしているが、その殆どは外出していた。オリアスもその一人だった。
そのオリアスの背後に立つ少女の姿に、バアルは首を傾げた。
もうソーウィンも終わったというのにかぼちゃの被り物で顔を隠しているその少女は、口元しか見えないものの、すこしだけ不機嫌そうに見えた。
それになにより、どこかで見たことあるような気がした。

「…オリアス。そいつは?」
「あー、そこで会ったんスよ。迷子だそうなんスけど…」

オリアスもよくわかっていないらしく、視線を宙に彷徨わせる。その態度にイライラしながらも、この少女を家に上げてもいいものかどうか、家主であるヨヒラに問おうと部屋へ視線を向けた。

「ヨヒラ、迷子だそうだが」
「ちょっと待ってください!今、降りますから!」

ばたばたと二階で慌ただしい足音が響く。慌てると転ぶぞとバアルが呼びかけるも、大した効果はなさそうだ。
また両腕に本を抱えて階段を下りてきたヨヒラは、オリアスの後ろに立つかぼちゃ頭の少女を見て、目を見開いた。

「あな、たは…!」

引きつったような声を漏らしたヨヒラに、バアルもオリアスも僅かにだが驚いた。彼女が嫌悪の感情をわずかにでも含んだ声を誰かに向けて発するなど、滅多にないことだったからだ。
だけどふたりの驚愕の表情は、すぐに別のものに変わる。

「ヨヒラちゃんっ!」
「おいこら、足元!」
「へ?…っわ!?」

駆け足で階段を下りようとしたのか、つるりとヨヒラの足が滑った。前のめりに、本を抱えた姿勢のまま階段を転がり落ちていく少女の体を、バアルはただ呆然と見ているしかできなかった。わずかにあがった悲鳴は騒々しく痛々しい音にかき消されて聞こえることはなかったが、書斎にいたアロケルが飛び出してくるには十分な音だった。

「おい、どーした…ってヨヒラ!?」
「あー…アナザーって怪我すぐに治るんでしょ?ほっとけば」

来訪者のかぼちゃ少女の呆れたような声に、バアルは小さくため息を吐いたのだった。

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