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翡翠の月が照らす、薔薇園にある建物。
そこは東のウィッカのお茶会会場だった。
アナザーが集い、魔女の言葉に口を傾けている中、時計に目をやった主催である東の魔女・クルーデリスはぼそりと呟いた。

「…そろそろ夜も更けてきた。今宵の茶会はここまでとしよう」

今日の茶会は、島を騒がせている「死神」と呼ばれるデビルについての話が多かった。
だけどもクルーデリスはそれについて語ることはできなかった。何も知らないのだ。疑問をぶつけてくるアナザーにわからないとしか言えず、首を横に振るしかできないことが申し訳なかった。今こうしている間にも、己の目が届かないところであの死神に襲われている者がいるかもしれない。そう思うと、アナザーが用意してくれた紅茶も、丁寧に作られた菓子の味も、わからなくなってしまった。

「皆も、例の死神には細心の注意を払ってくれ。妾は、そなたたちが傷つくところを見たくないのだ…」

我ながら、無茶な話だな、とクルーデリスは心の中で自嘲する。自分のために戦えと言っておいて、傷つくところを見たくない、とは。
だが、今回は話が別だ。死神とは…あのデビルとは、本来なら戦う理由もないのだから。しなくてもいい戦いで傷を負ってはならない。負ってほしくないのだ。

「ですがクル様、誰かがなんとかしなければ、死神による被害は広がるばかりです。…自分は、それを見過ごせません」
「そなたは優しいのう…」

アナザーの一人が、そう進言した。その言葉は本心からのものだと、クルーデリスも理解できた。

「そなたたちが何もせずとも、いずれは島があの者に何かしらの制裁を加えるじゃろう。…それはおそらく、もうすぐだ。それまで堪えてくれ」
「…死神は、母様にも危害を加えるかもしれません」
「デビル如きに、妾が負けると?」
「そ、そんなことは有り得ませんけど!」

からかうように笑ってやれば、アナザーは慌てて弁解する。本当に、優しいアナザーばかりだ。被害に遭う者を心配し、母である魔女を案じ、自らが傷ついてでもこの状況をどうにかしたい、と願うものたち。

「確かに、今の状況はあまりよくはない。あの偽物どもも、それは理解しているじゃろうて。…だからこそ、急くでない。状況を見極め、冷静に対処すれば道は開ける。今は、耐えよ」

クルーデリスの言葉に、アナザーたちは渋々と頷いた。こんな事態は始めてだ。何もできない、行動しても見返りもない…島が用意したわけではない、不測の事態。いつ解決するのかもわからない。不安は人の心を不安定にさせる。どうか、冷静な対処をと、クルーデリスは願った。
ふと、会場の入口付近が騒がしいことに気がついた。
そちらに目をやると、アナザーを掻き分けて…いや、アナザーたちが自ら退く形で、そこにぽっかりと空間が出来ていた。そしてその中心にいるのは、黒衣を纏った、赤い髪の青年。

「お前…死神か!」

そう叫ぶように声をあげたのは誰だったのか。おそらく一番死神に対して警戒心を抱いていたアナザーだ。彼の一言で、会場の空気が凍りつく。恐怖、警戒、もしくは疑惑。どうしてここに。何をしに。そんな思いが渦巻くのを感じながら、クルーデリスは立ち上がった。
一歩、ヒールを鳴らして死神に歩み寄る東の魔女を、子であるアナザーは固唾を呑んで見守っていた。
死神と呼ばれたデビルの前に立ったクルーデリスは、彼の腕に抱かれている小柄な姿を見つけて眉をしかめた。

「その者は…妾のアナザーじゃな?」
「…ああ、そうだ。あんたの子だ」

魔女の問いに、悪魔は答えた。
血まみれで悪魔に抱かれているのは、生まれて2ヶ月ほどの幼いアナザーだ。何度か見たことがあったと、クルーデリスは記憶を引っ張り出して唇を噛んだ。傷ついて欲しくないと言ったばかりだというのに、目の前の少女は傷だらけで、一番ひどい傷は腹部を貫通するほどだ。いかにアナザーとはいえ、早く処置をしなければ手遅れになるかもしれない。

「そなたが、この者を傷つけたのか」
「…そうだ。だから、ここに来た」

ざわめくアナザーたちを制し、「何をしに来た」とクルーデリスはデビルを睨みつける。
宣戦布告か、それとも自分に手を出せばこうなるという警告か。それとも…とクルーデリスが思案する中、デビルは少女の体を抱きしめて、震える声で、予想外の答えを吐き出す。

「あんたが、こいつの母親なら…お願いだ。何でも、何でもするから!」

【lonely envy】
 The Last Chapter: whole circumstances

「こいつを、助けてくれ…!」

そう懇願する悪魔の瞳には、確かに、涙が滲んでいた。
それを見ていたのは、残酷と言われる東の魔女、ただ一人だった。
そしてこの日、この時を境に…島を騒がせていた死神の名は、過去のものとして人々の記憶の隅へ消えていった。

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