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夢を見ていた。
悲しい、夢だった。
狭く、暗く、冷たい牢獄の中で、誰かが泣いていた。
月明かりさえも差し込まない場所で、鎖に繋がれた少年が泣いていた。
その姿を見て、私もまた、泣いていた。

「…ら、…ヒラ!」

誰かの声がする。
少し掠れた、独特な声。私はこの声の持ち主を知っている。
光さえも蝕む、だけども優しい闇色の持ち主。至らない私を叱責して、それでも置いていかずに待ってくれる彼。
彼が、私を呼んでいる…?

「いい加減、起きろ…このバカヨヒラ!!」

…バカは言い過ぎじゃあないか?
重たい瞼をこじ開けると、部屋の照明の光が網膜に突き刺さった。見覚えのない天井だ。光に目を慣らすために瞬きを繰り返し、視線を声がした方へ向ける。そこにはやはり―アロケルがいた。
私はベッドの上に寝かされているようで、アロケルは私を見下ろしていた。普段は強気な光を湛えている瞳が、僅かに水気を帯びていた。

「…ぁろ…ル…?」

彼の名前を呼ぼうとしたが、喉に痛みが走りまともな言葉も喋れない。そんな私を見て、アロケルは「喋んな」と私の喉を指差した。

「…アイツの鎌で、声帯が真っ二つになってんだ。しばらくは喋らねーほうがいい」

あいつ?と私は首を傾げる。そもそも、何故私はベッドに寝ているのか、この部屋はどこか…記憶を巡らせて、ようやく私は思い出す。
あの雨の日。赤に塗れた青年のこと。最後、振り上げられた鎌の輝きを。青年の―ディースの笑みと、その言葉を。
思い出して、私はベッドから身を起こす。途端、体のあちこちが痛みを主張した。痛みに呻いた私を、アロケルが支えようと手を伸ばすが、それを制した。

「………」

だいじょうぶ、と唇を動かす。それでもまだ泣きそうな目をして手を彷徨わせるアロケルの服の裾を握り締めてやる。
肌と肌では触れ合えない。だけども、服や物を介せば、辛うじて触ることはできる。黒の意匠が施された緑のローブを撫でて、もう一度唇を動かした。

『私は大丈夫です。それよりも、あなたは大丈夫でしたか?』

私の言葉を読み取ったのか、アロケルは少しだけ目を見開く。

「…テメーは自分の心配をしろ、バカ」
『…ごめんなさい』

俯いてしまったアロケルから見えるかわからないが、それでも唇を動かす。
ふるふると首を横に振ったアロケルは、私が聞きたいであろうことを汲み取って、少しずつ話し始めた。
あれから三日経ったこと。その間、ずっと私は寝ていたこと。体の傷は修復されつつあるが、喉の損傷が特にひどいこと。ここは東の交流所近くの空家だということ。

「あの…北のアナザーがな。戻ってきて、ここまで運んだんだ」

水無月様のことだろうか。今度会ったらお礼を言わなくては…。私とは親しいとは言え、他のウィッカのアナザーが交流所近くまで来るのは、とても危険なことだ。

「で、アイツ…ディースだったか?アイツのことも、東に伝わった。…今じゃ、東にも被害が出てる」
『え、』

今度は私が目を見開いた。この空家はそこそこ広いから、被害者を治療する施設として利用されることになったとアロケルが付け足したが、もはやその言葉すら聞いていなかった。

「事務局のやつらも大慌てらしいぜ。島に縛られてるはずのデビルが無差別にアナザーを襲ってんだからな」

何かのイベントでデビルとアナザーが戦うことがあっても、それはいつもアナザーが「仕掛ける側」でデビルは「仕掛けられる側」だ。今はそれは逆転していて、しかも通り魔のように襲ってくる。
能力の解明も急がれているだろう。だけど、一度戦ったからわかる。彼は、強い。しかもそれなりの知識も持っている。本当に強いアナザー…ランカーの方々と刃を交えるようなことはしないだろう。したとしても、通常のルールが適用されない以上、正真正銘、命をかけた戦いになるだろう。
ぎゅっ、と目を瞑り、ベッドから体を下ろす。そばに置いてあった棚の上に服が置かれていたので、それに手を伸ばす。

「…何処、行く気だよ」
『…止めに行きます』
「バカか。オメーじゃ勝てねーよ」
『勝ちに行くんじゃないです。止めるんです』

白いブラウスを纏い、ふらりとした足取りで部屋を出ようと歩き出して―不意に走った痛みに身体が傾ぐ。
正直、痛いのは好きじゃない。むしろ嫌いだ。バトルで怪我をするのもさせるのも好きじゃないし、武器を捨ててその場で泣いてしまいたいぐらいの怪我をしたこともある。
だけどそんなことも言ってられないから、いつも涙をこらえて戦っている。
……けれど。
私は、最近どこかで泣かなかったか?と頭の中で何かが引っかかる。
考えて、思い出したのは夢の中の出来事だった。石造りの、冷たい部屋で誰かが泣いていた。あの風景を…いや、あの場所と似たようなものを、どこかで見た。昔ではない、そう、割と最近…。

「無茶すんじゃねーよ!まだ休んでろ!」

壁に体を凭れて立ち止まった私の服の裾をアロケルが引っ張る。
逆にアロケルの服を掴み、間近でアロケルの顔をのぞき見る。驚いたらしいアロケルは半歩後ろに下がったが、私はまっすぐ彼の目を見つめた。

『アロケル』
「んだよ驚かせんな!」
『…もしかしたら、なんですけど』

月明かりが差し込む窓の外、天を貫く塔が、ただ静かに佇んでいた。

*
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