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私は、太陽を知らない。
知識としては知っている。自ら光を放つ恒星で、空を明るく照らし、月の輝きの源にもなる煌きの星。
だけど、見たことはない。
いつだって、私が見上げる空に浮かぶのは四つの月。
翡翠、黄金。緋色と紫色。
夜空を彩るのは、それらと無数の星々だ。
その星々だって、距離が遠いだけの恒星だと知ったのは先日のこと。今でもその煌きに目を奪われることがあるというのに、それらよりも近い距離で輝くという太陽は、どれだけ眩しいのだろう。
きっと、目が焼かれるほど明るい光なのだろう。そう思うと、太陽を見たいなどという欲求もわずかだが薄れた。
今恋しいのは、淡く儚い月の光だ。翡翠のように美しい色をした、緑色の月はいつも空から私たちを見守ってくれているのに、今日は朝からずっと雨が降っていて、空は灰色の雲に覆われてしまっている。
最も、この島に朝という概念があるのかも疑問だが。

「…雨は好きなのですけどね」

確か、魔女様もそう言っていた。夜の雨は好きだと。
だけど、雨が降るとあの方の象徴である月が陰ってしまう。
それは少し、寂しかった。

「貴方たちは、雨は好きですか?」

その問いに、答えはない。
ただ響くのは、雨が地面を叩き、流れていく音だけ。
だけど、それらの音を聞いて私は笑った。
その音そのものが、返事のようなものだから。

「そう、それは良かったです」

髪を濡らしてく雨の感触が心地いい。
肌に張り付く服の感覚が気持いい。
他の人たちはそれらを気持ち悪いというのだろう。だけど私はそうは思わない。
濡れてぐずぐずになった地面にしゃがみ込んで、私は目の前の植木鉢に微笑みかけた。

「……早く咲いてくださいね、わたし=v

私が話しかけていたのは、四葩の花だった。そして、私の名前はヨヒラ。
その地に根付き、その地の色に染まる花の名前だ。
まだ目の前の植木は蕾をつけたばかりだけど、この雨を受けたのだ、じきに花開くだろう。
何色の花を咲かせるだろうか。
青だろうか、紫だろうか。見たことはないが、緑の花もあるらしい。だけどもそれはそういう品種でもない限りは病気の証しだから、咲いたら処分せねばならないという。一度ぐらいは見てみたいものだが。
四葩の花は、紫陽花とも呼ばれる。むしろそちらのほうがポピュラーな呼び名か。
花弁が四枚だから、四つの葩で四葩。正確には、花弁と呼ばれている部分は萼だけれど。
花言葉は「移り気」や「辛抱強い愛情」など。あとは「あなたは冷たいが美しい」などがあるらしい。
様々な色の花を咲かすから、移り気か。冷たい雨の中に咲き誇るから、辛抱強いのか。
私は、自分と同じ名を持つこの花が好きだ。
同じなのではなくて、この花の名が由来になったのかもしれないが。
自分の名前に込められた意味を知ったとき、私は確かに高揚したのを覚えている。
ふと空を見上げると、雲と雲の隙間からわずかに月が見えた。差し込んできた淡い光に、瞳を細める。
もうすぐこの雨も上がるだろう。そしたら家に戻って、シャワーを浴びて着替えて出かけよう。
そう考えて立ち上がる。ゆるく結った長い髪が泥で汚れてしまったが、誰かが見ているわけでもないのだし、気にしないことにした。

「…あ」

植木鉢の紫陽花が、一輪だけ、緑色の花を咲かせていた。

*
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