☆長編
□KEEP 3
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静まり返った早朝の事務所に着き、やかんに水を入れ、コンロに火をつける。
その間に、コーヒーカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、沸いた湯をそれに注ぐ。
そして、リングの側に座って煎れ立てのコーヒーで目を覚ます。
これが俺の日課だ。
コーヒーを飲み終える頃には、随分といつもの顔が並んで、各々、今日の一日を迎える準備を始めだすと、あかねさんが元気よくおはようございます!、と入って来た。
その瞬間、事務所の中が明るい雰囲気へと変わるのは気のせいだろうか。
「おはよう、良牙くん」
「おはようございます。あかねさん」
「へへっちょっと寝坊しちゃった」
寝坊したと言う程の遅れではないのに、可愛らしく舌を出し、小さい声で俺に耳打ちする。
「あかねさんでもそんな事あるんですね」
「あるある!!眠さと戦っていつも負けそうになるわ。それに比べて、良牙くんっていつも早いわよね。尊敬しちゃう」
「そんな事はないですよ」
「それなのに乱馬ったら……まだ来てないわよね?」
「そのうちに来ますよ」
急ぎながら準備を進めるあかねさんに合わせて、俺も隣でウォーミングアップを始めた。
「少しは良牙くんを見習えばいいのよ!」
「誰が良牙を見習えって?」
「乱馬?いたの」
「けっ、いたのじゃねぇよ。ほら、これ洗っておけ」
「わかりました!」
あかねさんは口を尖らせて渡された洗濯物を洗いにその場を離れた。その後ろ姿を追い払った張本人の乱馬は、なにか物言いたげな顔して見ている。
合宿から戻ってからというもの、あかねさんは俺でもわかるほど、どこか吹っ切れたような態度に乱馬も気が気じゃないのが伺える。
そして俺とあかねさんは以前より話す機会が増えるのを、どこで見張ってるのか遮るように乱馬が現れる。
いつもの光景だ。
「相変わらずだな」
「別に……。」
深く言わなくてもわかってるくせして、普通をわざとらしく装って言葉を返すのを見ると、コイツなりに何か焦りがあるんだろう。
「今日、乱馬も来るんだろ?右京の店」
「ああ」
「そうか、じゃあ早く終わらせようぜ」
俺は、それだけを言い残して練習に向かった。
右京の店がオープンする前に、三人でお祝いに行こうと決めたのは、五日前の事。
その時に、あかねさんと右京が仲良くしている事を知って正直驚いた。
あかねさんは乱馬と右京の事をどこまで何を知っているのか……。
流石に興味の無かった乱馬と右京の仲が気になり、俺はその日に、オープン前の店にいるであろう右京の元に足を運んだ。
「どしたん?良牙」
「忙しいのに悪いな」
「別にええよ。適当に座って」
まだ片付けられていない店のカウンターに座り、辺りを見渡した。
「あと少しだな」
「そやねん、はい。どうせ今日はあかねちゃんの事かなんかやろ?こんなもんしか出せれんけど、どうぞ」
「……さんきゅ」
右京はよく気が付くし、感も鋭い。
出された焼酎とつまみをカウンターのテーブルを置いて、また右京は片付けを始めた。
「最近どうだ?」
「何やねん、その質問。わかりにくいで」
「……乱馬、ここに来るか?」
「たまに顔出すぐらいやね……ってうちとらんちゃんの事が気になってここに来たんやろ?」
「ぶっ!!」
口に含んだ焼酎を思わず吹いてしまいそうになる。
「汚いなぁ、ほれ、これで拭きぃや」
「お前もっとやんわりあるだろ?」
「顔に書いてるで、気・に・な・る、ゆうてな」
「うるせぇ」
こういう類は女のほうが強い。
カウンターのテーブルに両肘をついて笑ってる右京に参ったと、率直に質問を変えた。
「じゃあ訊くが、お前乱馬と付き合ってるのか?」
「何や、急にストレートやね」
「右京が言い出したんだろ?」
「そうやったわ。うちとらんちゃんか……。」
茶化されながらも、そこから右京は笑顔を崩す事なくポツポツと思い出話を加えながら語りはじめた。
乱馬と付き合ったが何も進展しなかった事や、再会してから、また好きな事、乱馬があかねさんの事を想っているのに気付いている事。
俺が思っていた以上に、右京は現実を知り、受け止めていた。
「でもな、うちは卑怯な女なんや……。あかねちゃんもらんちゃんの事を好きなん知ってて、誤解を解いてない」
「……。」
「あかねちゃん、うちとらんちゃんが付き合っとると思っとるんよ。それをうちは否定せんかった。でも、それがらんちゃんを手に入れられる手段の一つなんやったら、それでええんや……。」
一通り話し終えた右京は、自ら酒をコップに注いで、それを一気に飲み干した。
「……寂しいヤツだな」
「良牙にはわからんわ」
「それで、あかねさんが傷ついたとしてもか?」
「……。」
「あかねさんを傷つけるヤツは俺が許さん」
「……。」
「でも、あかねさんが乱馬と付き合って傷つくのはもっと許さんがな……。言っただろう。俺があかねさんを守るってな」
「!!」
「そろそろ帰るぜ。邪魔したな」
本当は最初から強がって笑っている事もわかってる。そんな右京を理解していないんじゃない。
そうさせている乱馬の態度が許せんだけ。
「り、良牙っ!待って!!」
席を立って店を出ていく俺を追いかけて来くる右京に名前を呼ばれても振り向かなかった。
「金は机に置いてるぜ……。」
すると、背中にふわっと温もりを感じた。
「少しだけ、少しだけええか?」
「……。」
後ろから抱きついていた右京は泣いていたのかもしれない。
辛くて今にも心が折れるのを、乱馬を想うことで支えている右京に、俺は遠回しに肯定した。
それであかねさんが俺の所に来てくれるのであれば……と思っていた。
結局、俺も右京と同じ寂しいヤツだ。
ここで右京を抱いて慰め、更に寂しいヤツにはなりたくなくて、結局、一度も振り向かずにその店を後にした。