■事件編

□愛しのコンビ
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立ち並ぶビルの隙間にそびえ立つ古びた小さな建物から、淡い光が漏れる。
決して清潔感があるとはお世辞にもいえないその建物の小さな窓から煙と共に甘辛い匂いをさせ、空腹感を煽る。
青島は寒さで手を擦りながら、その匂いを大きく吸い込み、怪訝な面持ちのすみれに得意げな顔して扉を開けた。

「いらっしゃい!!おっ青島くん!!」
「寒いねぇ。親父さん。あ、ここ座って。すみれさん」

威勢のいい店主に軽く手を上げ、アーミーコートを脱ぐとすぐにカウンターへ座り、隣の席へ手招きして生中といつものと頼む青島の姿に、常連の風格を感じながら、すみれは無言で隣に座わった。

「青島くん、イタリアンは?」
「仕方ないでしょ。今日は臨時休業だったじゃない」

原因は他でもない。
湾岸署を飛び出て向かった先が、今日に限って臨時休業だったのだ。
そこで青島が一度連れて行きたい店があると、連れてこられた場所がここの場所だった。

「でも高級じゃない」
「あのね、確かに高級じゃないよ?でもね、ここの大将の焼き鳥旨いんだから!!一度騙されたと思って食べてみてよ。きっとすみれさんもハマっちゃうよ、あっ、でも、ここはみんなには秘密。すみれさんだから連れてきたんだからね」

愛嬌のある笑顔でそう言われると、悪い気はしない。そして、"すみれさんだから"という一言を付け加えて気持ちよくさせるのよね、といつも思う。

「あーっ、誰にでも言ってるんでしょ?」
「ホントだって。誰も連れてきたことないよ。疑い深いね」
「人を疑うような仕事をやってるもんで」
「あ、そうでした」
「でも、こんな所に焼き鳥屋さんがあるなんて気付かなかった」
「そう?」

周りを見渡しても、カウンターの席以外は小さなテーブルが二つ縦並びに椅子と並んでいる程度の狭いこの店を見つけてしまうのも青島くんらしくて笑ってしまう。

「いつもの、はい、お待ち」
「どうも。はい、すみれさん」
「美味しそう」

青島は店主からカウンター越しに渡されたお皿を愛想よく受け取り、すみれの前に置く。
すると、すみれは嬉しそうに香ばしい香りが漂う焼き上がったばかりの焼き鳥の串を摘んで、一口頬張った。

「美味しいっ!!」
「でしょ?ここの親父さんね、ネタにもこだわってるんだけど、焼く炭が他の店とは違うんらしいんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「ちょっと、聞いてんの?」
「旨けりゃなんでもいい」
「ハイハイ、そうでしたね」

人差し指を立てて、自慢げに話す内容なんて全く興味がない。
特に青島はそういった類いの話をしだすと長いのを知っているすみれは、少し不貞腐れ、ビールを飲み干す姿を横目で見ながらクスリと笑ってスマートフォンを鞄から取り出した。

「ねえ、青島くん。さっきの日帰り温泉だけど、ここでいい?」
「え?」
「ここよ。朝早く行けばここのランチが食べられるの。前から気になってたんだ。ここの懐石料理」

見せられたスマートフォンの画面を覗くと、温泉から見える景色と懐石料理の写真が掲載されていた。

「本気だったの?」
「冗談だと思ったわけ?」
「そうじゃないけど」
「じゃあいいわよ。一人で行くから」

驚いた様子の青島に、少し寂しく思うも、急な提案なのも確かで、青島に断られた理由は幾つも見つかる。
だから、いつものように強がった。

「ま、待っててば。誰も行かないなんて言ってないでしょ。行くよ。行きますとも」
「何よそれ。行くの?」
「俺と行きたいんでしょ?」
「そうね……行きたい」
「それは俺の奢りだから?」
「勿論」
「安月給なの、知ってるよね?」
「始末書、今後は手伝わないわよ。係長」
「……わかりました。奢ります」
「よろしい」

満足そうに笑うすみれに、やれやれと頼んだばかりのビールを呑んだ。


自分にとって特別な存在なのに、あと一歩が踏み出せない。
それでも、いつもの冗談の言い合いは、結局どこまで本心かわからなくても楽しくて居心地もいい。

それに、予約や約束事という言葉は、刑事という仕事を愛している二人にとって、あまり意味を持たない。
だから、このお誘いだって、冗談半分にしか思っていなかった。

嬉しくも言葉に出来なくて、結局、誤魔化してしまう。

「ねぇ」
「なに?」
「そこには混浴、あるのかな?」
「青島くん、女の裸見たいの?ヤラシ」
「すみれさんと入りたいなぁ、俺と一緒に入っちゃう?」
「冗談」
「だよね」

答えのわかっている質問で、誤魔化すのが得意になっている。

「どうせ他の子をのぞくのが目当てなんでしょ。軽犯罪法違反で逮捕ね」
「……信用ねぇな。俺」

そろそろちゃんとしなきゃな、と鼻先を掻いた。









早朝の冷たい空気が、いつもより清々しく気持ち良いのは、久しぶりの休暇らしい一日に期待が高まるからだろう。

「お待たせ」
「遅いわよ青島くん。5分遅刻」
「ごめんごめん」 

待ち合わせの改札口に大きく手を振り、腕を組んで立っていたすみれの元にアーミーコートをなびかせ駆け寄った。

「もうっ!!それに、なんでそのコートなの?」
「あ、これ?つい手に取ってた」

コートを掴んで、へへっと笑う青島に、眉間に皺を寄せる。

「ちょっとは気を使ってよね。一緒に歩きたくない」
「じゃあ今から着替えに戻ったほうがいいの?」
「そんな時間はないのっ!!温泉行きのバスに間に合わないでしょ。ほら、置いてくわよ!!」
「はーい」

品川駅から目的の温泉地に向かうバスに乗る予定なんだから間に合わないでしょ、と先に駅内へと歩きだしたすみれの背中を追いかけ、隣へと並び肘で突いた。

「携帯、鳴らなかったね」
「朝、青島くんからキャンセルの連絡が無かったからほっとしたわよ。ある意味、奇跡」
「ホント、年末近いし、どっちかに呼び出しあっても可笑しくないもんね」
「このまま携帯が鳴らないのを祈るばかり」

互いにスマートフォンを手に取り、マナーモードに設定した。

「早く温泉に浸かりたいわね。ランチも楽しみ」
「透き通る海はないけどね」
「十分じゃない?」
「十分過ぎるかも。俺、温泉なんて何十年ぶりかな」

ラッシュの時間と重なり、ホームにはかなりの人でごった返す。乗り慣れているとはいえ、電車という密室に押し込まれて身動きの取れない時間を過ごすのは気分のいいもんではない。
でも、今日は少しだけ楽しく思えた。


暫くするとホームにアナウンスが流れ出し、ゆっくりと停車した電車の扉に人々が群がる。青島は小柄なすみれを守るように肩を掴み、その流れに合わせて前へと進んだ。

「ちょっ、ちょっと?」
「はぐれちゃマズイでしょ。痴漢防止にもなるしね」
「痴漢を捕まえるいいチャンスかもよ」
「こんな日に仕事はよそうよ」

確かにそうね、と肩をすくめて笑いながら青島を見上げた。

「あっ」

でも、そこにはすみれが予想していた青島の顔ではなく、鋭い眼差しで遠くを睨んでいた。

「青島くん?」
「……アイツ」
「なに?」

青島の緊張が空気感からも、すみれに伝わる。

「逃した被疑者。この電車に今乗った」

流れ込む人に紛れて、被疑者の乗った電車に押し込まれていった。
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