一寸先は闇

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20xx年.


月の無い、真っ暗闇な夜空の下に、いくつもの高層ビルが並ぶ煌びやかなネオン色の大都市が広がっていた。
建造物が放つ光や自動車のエンジン音、行き交う人々の波は真夜中だというのに止まる事を知らない。
そんな街の光も届かない大都市の外れの海沿いに、今はもう使われていない古い工場地帯があった。
夜の暗闇と静かな波音と古い建物が風で軋む音が、廃墟が持つ不気味さをより一層引き立てている。本来なら人の気配など微塵も感じさせないはずのその空間に、ひとつの小さな明かりが灯った。
工場と工場の間を縫うように続くコンクリートでできた道を、左目に白いガーゼの眼帯をつけた赤毛の少年がひとり歩いていた。左手に持つ懐中電灯の灯りがゆらゆらと揺れる。
まだ高校生くらいだろうか。着崩した黒いスーツを身に纏い、腰のホルスターに三十八口径のリボルバー銃を差しているその姿は、まだ幼さが残る十代の少年にはやや不釣り合いに思える。
しかし少年からは、普通の同世代の少年達が持っているような無邪気さや爽やかさはまったく感じられなかった。
少年が放つ空気は重く、冷たい。
まるで氷のような陶器のような、そこに感情が存在しない、何処かリアリティーが感じられない不思議で浮世離れした雰囲気を纏っていた。
少年は廃墟の不気味さに怯む事なく、どんどんと工場地帯の奥へと進んでいく。

しばらくして少年はひとつの倉庫の前で足を止めた。
横一列に並ぶ、全て同じ作りの赤茶色に錆びたトタン屋根の倉庫。
地面までピシャリと降りているシャッターは、少年が足を止めた倉庫だけ完全に降りきっていなかった。大人でもしゃがめば通れるくらいにシャッターが開いていた。
少年は懐中電灯をシャッターの下へ向けた。
照らされた地面には他の倉庫とは明らかに違う異常が見られた。
シャッターの奥から少年が来た方向とは逆方向へ向かって、何かを引きずったような赤黒い痕が続いていた。
それは乾いた血痕だった。
少年はしゃがみこみ、血痕をまじまじと観察する。
誰かが物を引きずったと言うよりは、血まみれの何かが自らの体を引きずって倉庫から這い出てきたみたいだと少年は思った。その何かに心当たりがあった。
少年は立ち上がると、シャッターを自分の背の高さまで開けて倉庫の中へと迷わずに入っていった。

倉庫の中は異臭が漂っていた。ナマモノが腐ったような強烈な臭いだ。
少年は手の甲で鼻と口を押さえながら、懐中電灯で辺りを照らす。
倉庫内の床にはダンボールが絨毯のようにひかれており、その上にボロボロの毛布や空の弁当箱、空き缶などの生活感が感じられる物が泥棒にでも入られたかのようにぐちゃぐちゃに散乱していた。
そのどれにも、乾いた血痕が大量に飛び散っている。
シャッター下にあった痕を追うと、倉庫内を回り、横のガラスが割れた窓へと続いていた。
窓の下には割れたガラスが散らばっていて、窓から入ってきた何かがこの倉庫を住処にしていたホームレスを襲い、シャッター下から出て行ったと言う想像が少年の脳裏に簡単に浮かべられた。
しかし肝心の被害者の死体が見当たらない。

「…食われたか」

ぽつりと呟いた少年の声はひっそりと静まり返った空間に響かなかった。まるで被害者の方にも非があると言いた気な、呆れたような小さな声。
足元に転がるコンビニの弁当の蓋には、賞味期限がちょうど今から一週間前と示されたシールが貼られていた。
その情報から被害者は少なくとも一週間前にはまだ生きていた事がわかる。襲われたのはごく最近の事なのだろう。
普通なら、もっと早く来ていれば救えたのかもしれないと悔やみ、悲しむ所かもしれない。もしくは、自分が今いるこの場所で非日常な惨劇が起きていたなんてとゾッとし怯える所かもしれない。
しかし少年はそのどちらでもなかった。
顔色ひとつ変えず、目のあたりにした惨劇の痕をテレビの向こう側の光景のように受け取る。
他人の命なんてどうでもいい。面倒臭い。
少年は考える事を止める。

『凪(ナギ)、そっちの様子はどうだった?』
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