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□キスして、ほしかったのに
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ゆっくりこちらに歩いて来る。

どうしよう、と心だけが焦ってわたしは動けずにいた。


足音だけが辺りに響く。

伊月はわたしの前まで来ると、しゃがみ込んだままのわたしの腕を引っ張った。

それはいつもの優しいやり方じゃなくて、
足をフラつかせたわたしは、伊月に支えられてなんとか立ち上がった。

目の前には伊月の整った顔。


不意にさっき見てしまった光景がフラッシュバックする。

人気の無い裏庭。抱き合う男女。女の子の背中。伊月の顔。声を失った私。


目があったのはやっぱり気のせいじゃ無い
目が合った、瞬間、走り出していた。

「そんなにショックだった?」

私の心を見透かしたように、いじわるに笑う伊月の瞳。


そう、わたしと違って余裕なんだ。勝手に目撃して勝手に逃げ出したわたしとは違って。


わたしが何を見たって、伊月には何でもないことなんだから。

ショックだったよ。

でもそんなこと、言えない。

悔しくて恥ずかしくて涙が滲む。

『ショック、じゃ、ないっ』

泣いたって仕方ないって分かってるのに。
「そんなかわいい顔で見ないでよ」

目を逸らそうとしたら、顎に手を掛けられて無理矢理上を向かされた。逃げようにもすぐ後ろが壁で。

射るような視線に、捕らわれる。


違う、伊月はこんなことしない。

いつもの伊月じゃなくて、少し怖くなった。




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