不始末の激情

□第九章
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「ここでええのかのう」

坂本は宴の後で、また子に告げられた場所へと足を運んでいた。
船内は外の暑さなど感じぬ程に涼しく、それ故、燥いでしまったわけだが。
そんなもの、後悔先に立たずである。
飲み過ぎたようで、酒が体に回り、既に全身が熱を帯びていた。これは暑さのせいではない。なんたって足取りがフラフラなのだから。

街灯にもたれかかって、力を抜くと自然と息が漏れた。
照り付ける日差しで温まったのか、背中に触れる無機質な鉄の固まりが熱い。

「…懐かしくなって、ついつい付き合ってしもうた」

高杉と盃を交わすのはいつぶりだろう。
酒を手に持ち、誘われた時は夢でも見ているんじゃないかと思った程だ。まさか、こんな日が再び来るとは考えてもいなかった。

昼間から酒が飲める時代とは。あの頃とは違い平和になったものである。
だというのに、わざわざそれを壊そうとするもんだから、高杉の全てを理解することは難しい。

「けんど、高杉の人脈を当てにしていいものかのう……」






「大丈夫。しっかり仕事はこなすから」
「…!!」

突然、会話が成り立ったことに驚き、坂本は街灯から体を起こした。
いつの間にやら隣に立っていたのは、白い隊服に身を包んだ長髪の女。
凛とした声は、風鈴のように涼しげ。暑さを感じさせない白く透き通った肌は夏を忘れ去れる。

「貴方が坂本辰馬?」
「そ、そうやか…」

酔っているとはいえ、ここまで気配なく隣に立たれるとゾッとする。
坂本が胸の内を読まれぬようにニコリと笑ってみても、相手は表情を変えることがなかった。

「私は見廻組副長の今井信女。異三郎が用事で来れなかったから、変わりに来た」
「……異三郎?たしか見廻組のトップじゃな」
「そう。今回の密輸入の件、私達はもう話を聞いてるから」





見廻組。
普段、宇宙を飛び回っている坂本も名前くらいは聞いたことがあった。真選組と同類の職務形態を持つ幕府に仕える警察機関だ。
何故、高杉と敵対する筈の存在である見廻組が繋がっているのか。
桂、高杉に関してはやりたい様にやればいいと、口出しはあまりしてこなかった辰馬だが。ここまで来ると高杉は一体何を仕出かすつもりなのかと、恐ろしくなる。

「早速だけど。明日の正午過ぎ、港に一隻の客船が入る」
「……それが例の?」

信女はコクンと小さく頷いた。

「その客船の内部。人目に付かない場所で取引が行われるみたい。奴等が暴れて一般人に手を出されても困るし、私達は少人数で攻めるつもり」
「あはは。わしも一般人なんじゃがのう」

辰馬の言葉を無視して、信女は続ける。

「攘夷浪士数人なんて、私一人でも充分だけど。紅桜の力がどれ程のものかわからないから。それでも私と異三郎、そしてアナタ。三人で充分じゃないかしら」
「少数精鋭ちゅうことか」
「大人数で行ったら周囲の目を引く。敵に気付かれて、逃げられても困るし」

陸奥を同伴させようかと迷った辰馬だが、信女の話を聞き思い止まった。
自分の身に何かあった時の為に外で待機させておくことにし、乗り込むのは自分一人にする。
坂本は実際に信女が剣を振り回している姿は見ていなかったが、相当の実力の持ち主あることは、わかった。

「私達も水面下で動いていたから。すでに敵の本拠地も把握済み。明日、見廻組と奉行所の連中で同時に奇襲をかける予定」
「なるほど。同時に攻めることで逃げ場をなくすわけか」
「そういうこと」
「それで?手柄は全て見廻組に…?いやぁ、上手いこと考えよる」

坂本の言葉に「その方がアナタも助かるでしょ?」と信女の声が笑った。
相変わらずニコリともしないが、声色が僅かに変化したように感じる。



真選組は辻斬り犯である似蔵を追い、見廻組は黒幕である天人の組織を叩くというわけだ。

見廻組に紅桜の情報を流した高杉は、結果的に幕府の手助けをしたことになるが、自分達の紅桜が天人により改造され出回り、彼等が利益を得る事を嫌がったのかもしれない。
岡田の身勝手な行動で警察機関を刺激し、結果的に鬼兵隊の活動の邪魔になるならば、たまには此方側に手を差し出す事も面白みがあっていいと考えたのだろう。

それが高杉の暇潰しなのだ。

彼のシナリオ通りに事が進むのは納得がいかないが、今回の騒動に快援隊が関わっていると知られれば、今後、天人相手の仕事に影響が出るかもしれない。
故に、成り行き任せにするしかなかった。


坂本はまいったな、と頭を掻く。

「じゃあ、明日。港で会いましょう。パーティーに参加するという名目で一般人に紛れて乗船をするんだから、目立つ格好はさけて」
「わかったが」

人目につかないように、最小限の会話だけを済ませて、二人はあっさりとその場を離れる。
言うことを聞かない足に神経を集中させて、なるべく真っ直ぐ歩くように心がけたが思うように進まなかった。

「あははは。明日、大丈夫かのう」

坂本が振り返った時には既に信女の姿はなく。温められたアスファルトによって空気がゆらゆらと揺らいでいるだけだった。

「明日…大丈夫かのう」







*******







信女は、息を潜めて呼吸を最小限にした。
そして刀に手を添えて、身を屈める。
途端に、暑さで緩んでいた空気がピンと張りつめた。

「盗み聞き」





「!?」

信女は刀を抜き、白い物体に刃先を突き付ける。
坂本との会話中も周囲に意識を向けていたのだが、どうやら盗み聞きをされていたらしいと気付いたのは、明日の策について話をしたあたり。



対して、白い物体。
物陰に身を潜め、坂本と信女の会話を聞いていたエリザベスは、びくりと体を震わせ、声の主を見て驚いていた。
それもそのはず。視線の先にいた筈の信女が、少し目を離した途端。自分の後ろにいたのだから。

「アナタ。確か桂小太郎の…」

信女は、エリザベスにまじまじと視線を這わせる。
動かなくなったしまったエリザベスから、様子を窺っているような気を感じて、信女は刀を鞘に収めた。

「安心して。私達は別にアナタ達の諍いには興味がないから」

彼女の言う、アナタ達というのは一体誰のことなのか。
高杉と銀時、そして桂の過去の関係を知っているのだろうか。
何も分からない以上、ここでは迂闊に何も言えないと、エリザベスはプラカードを出さずに信女を見つめ返すだけである。

「でも今回は、あの男。高杉晋助の動きを止めない方がそっちの為にもなると思う。アンタの頭にそう伝えておきなさい」

信女は、そう言い残してそのまま隊服を翻し行ってしまった。



その場に暑さが戻り、ハッと我に返ったエリザベスは、坂本を目で追ったのだが。
坂本は既に通りの遥か先を歩いており、人影に紛れてしまうところだった。





 
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