何れ、壊れる

□ゆがむ
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頼りない街灯が照らす道を、一人の女が歩いている。
風に当たり、そよぐ薄紫の髪からは花のような香り。否、凛とした立ち居振舞いの彼女は、その存在そのものが菖蒲(アヤメ)のようだった。
たおやかな身のこなしであるのに、音もなく女は歩みを進めていく。そして自身の身体を抱くように縮こめ、一度身震いした。

「嫌な夜だわ」

猿飛は誰に言うでもなく呟く。それは溜め息にも近い言葉だった。
始末屋だというのに、慣れることがない胸のざわめき。勘は良く当たると自負しているのに。

猿飛は明日、御庭番衆である腕を買われ幕府要人の護衛の任を受けていたのだ。
一度は手放した組織の力を再び利用するなど、あまり良い気持ちではないが、それが主であるならそれに従うまでであった。それが忍びであり、始末屋なのだ。
日頃、表に出ることが少ない忍にまで手を伸ばすとは、余程人手不足なのだろうかと猿飛は考えた。
否、相手がそれほどまでに警戒しなければならない人物なのだろうか。

見上げた視線の先には、万事屋銀ちゃんの看板。夜も更けているというのに部屋の灯りは消えていない。子供達だろう。眠れぬ夜を過ごしているのは自分だけではないようだ。
猿飛が此処に来てしまったのは無意識だった。中に銀時が居ないことは知っている。それでも足は自然と男の居場所へと向かっていた。

銀時が辻斬りを行っていると聞いたのは、人づてであった。いくら報道番組で騒がれようが、世論が傾こうが、猿飛は銀時を信じ続けていた。
そんな中、いつものように万事屋へ足を運んでみると銀時の姿が見えず、子供達が何やら真剣に話をしていたのだ。
天井裏から話の内容を聞いてしまい、猿飛は自分も作られた渦へと巻き込まれていくのを感じ、耐えきれずに万事屋を飛び出した。

それがいつの事だったか。
随分と昔のようだが最近の出来事である。





ぽつり、と冷たい滴が頬を打つ。
猿飛が天を見上げると、いつの間にか月は姿を消し空は厚い雲に覆われていた。瞬く星も見えない。

「本当、嫌な夜だわ…」

降り始めた雨は徐々に強さを増していく。
雨を防ぐ事が出来ずにいると、直ぐに視界が曇っていった。鬱陶しかったが、眼鏡を外せば帰宅する事も難しくなるので仕方なくそのまま歩みを早める。



「あら…?」

暫く歩いた時だった。
ボヤけた視界でも分かる見慣れた人の姿。それは番傘を差して、此方に向かってきた。
近くに来れば、猿飛が頭の中に思い描いていた人物と一致する。

「ツッキーじゃない。どうしたのよ、こんな時間に」
「あぁ猿飛か。ぬしこそ何を?」
「私は…散歩よ。アンタは?」
「わ、わっちも……散歩じゃ」

月詠は猿飛を見ずにそう答えた。それが余りにも子供らしく見えたので、猿飛はクスりと笑みを作る。
お互い似た者同士らしい。
月詠はそんな猿飛の様子が気に入らないのか、眉を寄せながらも顔を赤らめた。

「……か、風邪を引くぞ。取り敢えず頭だけでも入れなんし」
「あら、優しいのね」
「何故傘を持っていないんじゃ。今宵は雨が降ると言っていただろう」

猿飛は「知らないわよ、そんなこと」と口を尖らせながらも、傘の中に身を入れた。
大きくはない傘なので、二人とも肩が濡れてしまう。

猿飛は毒突く気分ではなかったようで、素直に身を寄せていた。
月詠はそんな猿飛を不思議に思っていたに違いないが、彼女もあれこれ言い立てる気分ではなかったのだろう。二人共無言になってしまった。



「私。こっちなんだけど」
「わかった。送っていく」
「いいわよ、そこまでしなくて。アンタも用事があったんでしょ」
「だから、わっちは散歩だと…」

上擦った声で月詠は言った。
揺さぶりをかけるまでもない。間違いなく月詠は嘘を付いている。

「行き先は万事屋かしら」
「!?」
「あの子達ならまだ起きてるみたいだし。行ってみたらいいじゃない」
「…わ、わっちはそんな」

当たりなのだろう。
動揺をしたのか、月詠の傘を持つ手が震えていた。
不安定に揺れる傘に、猿飛が呆れ顔を作る。

「銀さんなら居ないわよ。まぁ、知っていると思うけど」

黙った月詠にチラリ、と猿飛が視線を向けると、彼女は俯いてしまっていた。その横顔は切なげでありながらも、何か考え深い顔付きをしている。

「どうせアンタも銀さんの事が気になって、居ても立ってもいられなくなったんでしょ」

私と一緒ね。と心の中でだけ言葉を添える。
だが顔にも現れてしまったのか、月詠も僅かに表情を崩した。

「……猿飛。ぬしは何を信じる」
「何を信じる?馬鹿なこと聞かないでよ。私は自分を信じるに決まっているじゃない」

つまりは銀時を信じるということか。
言った猿飛は、ふい、とそっぽを向いてしまったが、声色は優しく諭すようなものだった。

「そうか…そうだな」

月詠は猿飛の答えに安堵したのか、幾分ホッとしたような顔を作り、肩を落とした。傘の中の張りつめた空気が、ゆっくりと消えていった。




 
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