何れ、壊れる
□はじまり
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「近頃。ゴミ共が煩いようだが。しっかりと躾はしてあるのか」
思考を押し潰すような重い空気が支配している。
闇を全身で感じるとは、こういうことなのだろう。空間の支配者が口開くと、更に闇が深くなった。
「申し訳ありません。少しばかり泳がせ過ぎました」
男はそう言うと、片膝を地に付けて頭を下げる。
ぐるりと取り囲むように高い位置からの視線を受け、死人のように微動だにしない。
ややあって「面を戻せ、朧よ」と許しが出た。朧は僅かに身体から緊張を抜いていく。
「潮時だろう。そろそろ、アレを使うとするか」
笠を目深に被り表情を半分程も隠した天人は、そう言うと厭らしく笑い。長く息を吐いた。
アレという言葉に、他の者達が顔を見合わせる。
「いや。我々にとってアレは切り札であろう。まだ使い時ではない」
「しかし、アレをこのまま好きに泳がしておいていいものか」
「我々さえも手に負えなくなるだろう」と次々に言葉がかかる。
どの声も一つ一つが空気を揺らしていた。
その様子を、中央に跪く朧は黙って聞いている。自然と拳に力が入り、腕には血管が浮かんでいた。
「案ずるな。アレの意志は此方にある。命じれば我々の手となり足となり動いてくれよう」
散っていた意志を束ねた一人の天人が、クツクツと喉を鳴らし口角を上げる。
「烏よ、アレを使うぞ」
「御意にございます」
朧は、その場にしっかりと言葉を残しつつも、次には闇へと姿を消していた。風が僅かに起こっただけで、音はない。
「もう充分に遊びはさせてやった、そろそろ動いてもらうぞ。───白夜叉」
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どさり、と人であったものが倒れた。直ぐに有り得ない程の赤が溢れ出てくる。
刃には動物の脂と肉片がこびり付いていた。あぁ、汚らしい。しかし魅力的であるとも感じる。
男は指で優しく刃をなぞり、汚れを落とした。そして慣れた手付きで刀を鞘に納める。
「呆気ねーなァ」
緊張感のない間延びした声を出して、それでも男は嗤った。
人間らしさを削ぎ落としたような、堕ちきった笑みであった。
何処かで高い笛の音がする。その音を他人事のように意識の外側で聴いた。まだ音は遠い。
半刻もしないうちに此処等は煩くなり、人が溢れかえるだろう。明日になれば幕府の要人が暗殺されたと、世間が騒ぐだろう。
だが、男にとっては何もかもがどうでもいいことだった。
「早く。俺を捕まえてみろよ」
生気を感じられなかった死体のような男が、初めて生き生きと赤い眼をギラつかせた。
抑えきれなくなった笑い声が口から漏れていく。男は白髪を揺らして、狂ったように嗤い始めた。
返り血を浴びた白地の着物が風に靡く。対して、青い流水模様は青空のように澄んで見えた。
懸隔しているその光景は、人に恐怖を与えるのに充分なものだった。
まずは何から始めようか。
あぁ、考えただけで気が狂ってしまいそう。
全身を駆け巡るのは、そう。喜び。