突発的血液不足

□D『拡散』
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天候の為か人通りが少なくなってきた町を、一台のパトカーが走っていた。回転灯は付いていない。

カタン、カタンと規則的に身体が揺れる。
感染の疑いがあるお妙を一度屯所へと運ばなければならない為、土方は運転を続けていた。
真実を知ってからというもの、お妙は黙ったままであり、その間一貫して外の景色を眺めていた。
外に青空は見えない。どんよりと分厚く黒い雲が空を覆っていた。同じく、車内にも雨が降りそうな程に暗い空気が詰まっている。

「あの」
「なんだ」

屯所までもう少しという所であった。
背後から突然に声を掛けられ、土方はバックミラー越しにお妙を見る。
彼女は先程から変わりなく、不安げに顔色を悪くしたままであったが、妙に艶っぽい瞳を潤ませていた。

「これ外していただけませんか?」
「…人の話聞いてたか?」

お妙はカチャリ、と音を立てるように手錠を擦り合わせ、ミラー越しでも見える高さまで両手を上げている。
ゆらゆらと揺れる鎖。微笑んでいたお妙との差異が妙に違和感を作り出していた。

「大丈夫ですよ。そんなに直ぐに身体に変化なんて現れないでしょう」
「何が大丈夫なんだ?駄目だ、それは外せない」

土方はそう言って視線を前方へと戻す。相変わらず眉間には皺を作ったままだ。
土方とて、犯罪者でもない女に手錠を掛け拘束をすることに抵抗を感じていたに違いないが、これも任務であるし、被害を拡大させない為の策なのだ。

考える素振りを微塵も見せない土方に、若干呆れた様子のお妙が身を捩り始める。

「ちょっと…あの」

チラチラと外の景色と土方の背中を交互に見ては、落ち着きがない態度を取るお妙。
これには土方が「あぁ」と声を漏らし、彼女の行動の意味を理解したと言うように、大きく溜息を吐いた。

「じきに着くから我慢しろ」
「…気が利かない人ですね。そんなんじゃ女性にモテませんよ」
「は?」

なんだと、と振り返った土方だったが、お妙が余りに殺気立った顔、黒い笑顔を貼り付けていたので、土方の口から次に出る筈の言葉は飲み込まれてしまった。
彼女の笑顔は、この世の何より恐ろしいものだ。近藤が好意を寄せていなければ、真選組が関わりたくない人物の一人である。

「…早く済ませてこい」

それだけを言って、土方はコンビニの前に車を止めた。そして彼女の手錠を外す為に、車から降りて後ろへと回り込む。
護送中に手錠を外すなど、彼女が極悪犯ならば勿論そんな事はしてやらないが今回は特別である。
何せ、彼女は局長お気に入りの女であるし、そもそもが犯罪者でないのだから。

土方は後部座席の扉を開けると、お妙の手錠を外してやった。
そして自身のベルト通しに手錠を掛けると外に出やすいよう、エスコートし手を貸してやる。

「ほら、さっさと行ってこ……」





それは一瞬の出来事だった。

「捕まえた」
「!?」

伸ばした手をお妙にグイと引き寄せられ、土方が前のめりに体勢を崩したのだ。
支えが無くなった身体は、そのまま座席に倒れ込み、勢いで閉まったドアが密室空間を作り出した。
女に覆い被さる形になってしまった土方の顔の下には、金色の瞳で優しく微笑むお妙の顔がある。

「何を…」

何が起こったのか分からない、と混乱している土方の首に、お妙が婀娜っぽく両腕を絡めた。
そのまま細い指が癖のない黒髪を撫で回し、甘い声が耳に言葉を吹き込んでいく。

「随分と良い匂い、するんですね。土方さんて」
「ちょっと…まっ…」

反発する力より強く、お妙の顔が土方の肩に埋もれる。
邪魔とでも言うように、スカーフを歯で押しやり、お妙は熱っぽい吐息を首筋に吹き掛けた。

「すごく…美味しそう」
「…!?まさかお前…もう金狼化して…」

そう気付いた時には遅かった。
ずぶり、と二つの異物が肌を突き破っていたのだ。

僅かな痛みに土方の身体が一度跳ねる。

「…くっ」

押し返そうとしても、情けないことに腕に力が入らない。
首筋から、じわじわと広がる甘い刺激。理性さえも吸い出されていく感覚に土方の瞳が細められた。
ぞくぞくと背中を掛け上がる快感、脳内麻薬が思考能力を奪い。視界が明滅する。

僅かに呼吸を乱し上下する肩に、お妙は優しく愛撫するよう、更に舌を滑らせ血液を吸い出していった。

「気持ち良い…ですか?」
「……っ」

甘ったるい声で囁くお妙は、完全に普段の彼女ではない。
疼き始める男の性に。何をしているんだ、と土方の頭の片隅に残った理性が警報を鳴らす。
油断していたとはいえ、全く無様なことだ。
近藤に悪いと思いながらも、このまま堕ちていっても良いと思い、いっそこの快楽が続くのであれば天人になっても良いと思ってしまった。
金浪族の能力を身を持って体験し、このまま被害が広がってしまうのはまずい、と危惧の念を抱く。

しかし、吸血されればされるほど快感は首から全身へと広がっていった。土方の最後の理性を破壊させようと、お妙は絡ませていた腕をほどき、土方の胸に当てる。
指を這わせ、胸から腰へ手を置くと、互いの腰を押し付けるように密着させた。

「そ…れ以上…は……」
「あら、駄目ですか?」

駄目に決まっている、とは言えず土方は身を捩った。

夢の中のように、ぼんやりとした思考の中、ふと顔を上げるとサイドガラス越しに通行人と視線が交差する。
相手は顔を赤らめ、そそくさと立ち去ってしまい、土方はその事を疑問に思ったのだが─────





そこで土方はハッと息を飲み、お妙を突き飛ばした。

「っんの!!何しやがる!!」
「…きゃ!!」

車体が大きく揺れる。
土方は勢いで頭をぶつけたが、気にすることなくそのまま外に飛び出した。
一方、狭い車内で座席に倒されたお妙は痛みに顔を歪めている。

「テメェ…はめやがったな」
「仕方ないでしょ。喉が渇いてしまったんですもの」

いやに色っぽく、お妙は小首を傾げる。
唇に吐いた赤を舌で舐め取る仕草は、遊廓の女に引けを取らないくらいに妖艶であった。

「少しくらい分けてくれたっていいじゃない」

彼女はそう言って笑っていたが、その笑顔は普段のものとは違って見える。
先程、相見えた銀時程に犬歯は発達していないものの、人間よりも鋭く伸びた二つの牙が存在し、金の瞳が爛々と輝いていた。

「聞いてないぞ……こんなに早く侵食するってのか」

情報が不確かであると、念の為にお妙に手錠をしていたわけであるが、まさか本当に侵食が進んでいるとは思っていなかった。
身体の天人化には個人差があるのかもしれない。

「くそっ」

土方は露骨に舌打ちをし、早くしなければ自分もコイツらの仲間入りだ、と顔に影を走らせた。
とにかく一刻も早くお妙を連れていかなければならない。

車から降りてきたお妙に、手錠を突き付ける土方。

「……手を出せ」
「嫌です」

自由になった腕を組み、そっぽを向く。抵抗をするお妙に、土方はいよいよ腰の刀に手を置いた。
通行人が二人を一瞥しては去っていく。



やれやれ、とでも言うようにお妙は両眼だけをゆっくりと土方の手に向け、顔を強張らせた。

「乱暴な男の人は嫌いだわ」
「そりゃ良かった。俺も乱暴な女は好きじゃねェからな」
「あら…?そうは言っても貴方は私を斬れないでしょう」

お妙は自信満々に口角を上げ、土方を金の瞳に映す。
土方が知った顔を斬れないと、彼はそこまで非道でないと考えての事だったに違いない。
しかし、

「試してみるか?」

土方は素早く抜刀すると、大きな一歩でお妙に迫ったのだ。
お妙が呼吸を止め蒼白した顔で後退りをすれば、首に当てられた刃が、じりりと後を追った。

「人を虚仮にしやがって」
「…!?」
「こうして近藤さんを襲ってみろ、いくら相手がテメェでも容赦はしねェからな」

低く、低く、土方が唸る。
それに嘘はないように見え、彼は殺気をも放っているようだった。
醜態を晒してしまった不甲斐なさも含まれていたのだろう。冷静さを欠いた土方には正常な判断が出来なくなっていたのだ。

固まったお妙の身体。
土方は、その機会を逃さず手錠を掛けた。
そして首に当てていた刀を納めると、お妙を車へと押し戻す。

「…くそ」

自分にも腹が立っていた土方は、乱暴にドアを閉めエンジンをかけた。



「あ、あら…?私……」
「戻ったか」

どうやら正気に戻ったらしいお妙は、金色から戻った瞳を見開き、周囲を見回していた。事態が呑み込めていないのだろう。
土方は顔に虚脱したような安堵の色を浮かべ、ハンドルを握る。

「わ、私……急に頭がボーッとして…それで」

お妙は落ち着きなく視線を泳がせ、何があったのか記憶を辿っていたようだ。
そして全てを思い出した時には、彼女の顔がみるみる赤く染まっていった。

「私!?何て事を……!!す、すみません……!!」
「…大丈夫だ」

そう言った土方は、汚れたスカーフを緩めると、傷口にあてがった。
振り返る事が躊躇われたので、お妙とは一度も視線を合わせていない。

「飛ばして行くぞ」

ホッとしたのも束の間。
自分の身体で侵食が始まっていると考えると自然とアクセルを踏む力が強くなる。
フロントガラスには、ぽつりぽつりと水滴が付いていた。
厚く重なっていた雲が、ついに耐えきれずに雨粒を落とし始めたのだ。




 
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