突発的血液不足

□A『侵蝕』
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何かを振り払うように、銀時は歩みを進めた。

「おい…どーすんのこれ。ヤべーよ、もう帰れねーじゃねェか」

次に新八と顔を合わせたら、ロリコン野郎とか言われるのだろうか。
むしろそう罵ってくれた方が助かる気もするが。結局そんな事はどうでも良かった。

神楽の心を傷付けたかもしれない。それが一番マズかった。
神楽の震えた姿が脳裏に焼き付いて離れない。保護者として親同然に思っていた人物から手を出されたのだ。当たり前である。
こんな事が星海坊主にバレたら、間違いなく命を狙われるだろう。殺される。

「弁解なんて…意味ねーよな。……きっと」

途中までの記憶はあるというのに、気が付いた時には新八がいて。自分が神楽を押さえ付けていて、な状況であった。
弁解をしたところで、『飲み過ぎて記憶がありません。次の日、起きたら隣にアナタが寝てました』くらいの煩わしさである。

銀時は溜め息を何度も吐きつつ、行く宛もなく町をひたすら彷徨った。
頭も痛いし、喉は干からびたようにカラカラ。口の中にさえ水分がない。
景色が蜃気楼のように揺らめいて見え、擦れ違う人間達がボヤケて見えた。

銀時は先程の事で確信した。今の自分は血液しか受け付けないらしい。
そして血を求める欲求は、とても強い。気をつけないと自分を見失いそうな程である。
全ての原因は、あの天人との接触だろう。
身体の変化から考えると、吸血鬼のようなものだったのだろうか。
伝説に登場する吸血鬼というのは、血を吸い栄養を摂取する。そして血液を吸われた人間は、吸血鬼の仲間となる。
信じられないような事だが、そうだとすれば今の自分は吸血をしなければ生き長らえないということになる。日差しが鬱陶しいのも納得だ。試してはいないが、十字架とかも駄目なんだろうか。それはちょっと笑える。
こうして昼間でも外を歩けるのだから、まだ完全には身体が変化していないようだが、このままでは人間でなくなるのは時間の問題だった。

しかし、腹が減っては何とやら。
物事を冷静に処理出来ない頭では、いくら考えたところで答えは出そうにない。
この際だから真相を確かめる為に、そこらへんに居る奴の首にでも噛み付いてやろうか。との恐ろしい考えが頭の中を過ぎる。
あぁ、でも汚いオッサンやら、汗臭い男の肌になんて触れたくない。なんて余裕のある考えに、案外まだ大丈夫じゃないか?と思った。





「銀さぁぁぁん」
「…あ?」

振り返った途端に腹に衝撃を受ける。普段なら避けられる筈の恒例の奇襲攻撃も、調子が悪い為かガッシリと捕まってしまった。猿飛だ。
すらりと伸びた両手足を器用に絡み付けて、銀時から全く離れようとしない。
抱き枕か俺は。と銀時は眉を寄せた。

「暑苦しいな!離せ!!」
「嫌よ!ここで会ったのも運命じゃない!」
「自分から後を付けといて運命もクソもあるか!」

この女ならば、喜んで血を分け与えてくれるのでは?そんな考えを振り払うように、猿飛を引き剥がす。

「……くそっ」

だが、もう限界だった。渇きすぎて痛みを持ち始めた喉に、一滴でも水分を染み込ませたい。声も掠れていた。
再び、吸血の欲求が高まってくる。
少しだけ。少しだけなら血を貰っても大丈夫だろう。協力をしてくれるかもしれないし、と。銀時は自分自身に言い聞かせて、背徳感を殺す。

「ちょっとこっち来い」
「……きゃ!嫌だ、銀さん!こんな昼間から…」

銀時は猿飛の腕を引っ張り、路地裏へ逃げ込んだ。昼間であるのに薄暗い場所に心が落ち着いた。一息つく。
猿飛の紅潮した表情から本音を読み取った銀時は、僅かに救われた気持ちになった。

「少しだけなら……平気だよな」

滑らかな手触りの髪を後ろへ流しストールを外すと、透き通るような肌が露わになる。
猿飛は、銀時の自分に対する扱い方が普段と違うことに興奮気味であり、キャーやらイヤーやら叫び声を上げていた。鼻息も荒い。

「悪ぃ、さっちゃん。ちょっと協力して」
「っ!?協力って私に一体何をさせるつもり!?」
「えっーと……なんつーか。本当の事を言っても信じられないかもしれないけどさ。俺実は、血を──」
「協力って…まさか、こ、ここ、こ子作り?………キャーッ!!ついに私と銀さんが結ばれる時がきたのね!!」

突っ込む気力もないので、ははは。と乾いた笑い。苦笑いしか出てこなかった。
猿飛がこちらの話を聞いてくれる気配はない。こんなことも想定内と言えば想定内であるが。





「おい!!お前達、そこで何をしている!!」

女の騒ぎ声を聞きつけたのか、通りから路地を覗く奉行所の男と目が合った。強姦でもしてると思われたらたまったもんじゃない、と銀時は慌てて猿飛を落ち着かせる。

「ちょ……暴れんな!!とりあえず黙れ!!」

どうにか叫びを止めさせようと声をかけたが駄目だった。
毎度のことだが、この女は人の話を聞く耳を持っていない。流石に今だけは勘弁して欲しいと思ったところで無駄なことである。
暴れる猿飛の姿に、怪しいと言わんばかりの視線が銀時へと向けられた。
ここで下手に抵抗すれば、仲間を呼ぶだろうし。逃げてしまえば、日常が益々遠退いていくだろう。

「…しょーがねぇな」
「っ!?」

銀時はやむを得ず、猿飛の頭を強引に引き寄せ口付けをした。
宥めるように、左手を頬に添え優しくなぞる。

「んんぅっ…」

突然のことに猿飛は少し驚いた素振りを見せたが、すぐに落ち着き、むしろ銀時のされるがままになっていた。頬が更に赤く染まっていき、瞳を閉じる。
猿飛も銀時の背中に手を回し、二人の身体の隙間が埋まった。

これには奉行所の男も良いように捉えてくれたらしく、「まったく昼間から…けしからん」と言い残して、ようやく姿を消してくれた。
安堵から緩んで沈む身体。口を合わせたままの銀時から息が洩れる。

「ん…っ」

視線だけを動かし男を見送ったところで、『口を開け』とばかりに猿飛に舌先で唇をつつかれた。
顔を背けそうとすると、今度は猿飛の方から離れまいと後頭部に手を回される。癖っ毛を更に乱すような厭らしい手付きに、銀時の顔が歪む。
しかし、これから食事の手伝いをしてもらうわけだし。自分から口付けしてしまったから(不可抗力ながら)と口を開けてやると、滑った温かい舌が待ってましたとばかりに入り込んできた。
互いにソレを絡め合い、吸い合う。イヤらしい淫音が鼓膜を刺激した。指の先までとろけそうだ。
押し付けられた胸に、無意識に手が伸びた。が、そこでどうにか思いとどまる。
やべーな、理性がぶっ飛びそう。なんて思いながら、男ってつくづく欲求に従順な生き物だと自嘲の笑みを零した。
口を離すと、たっぷりと透明な糸が引いた。恍惚したような吐息を洩らす、猿飛と視線が絡む。

銀時の目の色が赤からみるみる変わっていく。
駄目だ。もう戻ることは出来そうにない。この女の血が死ぬほど欲しかった。





「声、出すなよ」

炯々たる金色の瞳を細くし、嗤う。
銀時は口端を片方吊り上げ、低い声でそう囁いた。今朝よりも存在感を増した鋭利な二つの歯が垣間見える。
銀時の言葉に何か勘違いをしているようだが、猿飛は激しく何度も首を縦に揺らしていた。

「少し痛ぇかも」
「…?」
「でも、お前痛ェの好きだろ」

髪を掻き上げ、首筋に口先を当てた。熱が伝わる。鼓動が早くなる。
本能とは怖いもので、誰に教えられたわけでないのに、銀時は食事の方法を知っていた。

「…っ」

プツンと肌に歯が食い込む。深く、それでいて優しく。
だが、やはり痛いのだろう。猿飛が耳元で息を呑んだのが分かった。

切迫した短い呼吸を繰り返し、猿飛の身体がしなって震えている。怖い思いをさせてしまったかもしれない。と申し訳なくなり、細い身体を抱き寄せた。
銀時は溢れてきた温かい血液を零すまいと、口を強く押し付けて肌に吸い付く。女が、ぴくりと反応した。
首を反らし、天を仰ぐ。空気を求めてだらしなく口が開く。

「っ…んぅ」
「まだ足りねェ。我慢しろ」

色の良い薄い唇から、熱っぽい吐息と声が漏れる。
あぁ色っぺぇ。なんて思い。こんなことをするのはいつぶりだろうか。と思う。
銀時の中でも、食欲とは違う別の欲求が生まれ出るのを感じていた。

口内を満たす血液は鉄臭いかと思えば、蜜のように甘く滑らかだった。
更に血を求めて肌にしゃぶりつくと、耳元で女の乱れた甘い喘ぎが聞こえた。その声の一つ一つに、自分が破壊されていくような錯覚に陥る。
銀時は血を喉に送り込む度に自分の身体が軽くなるのを感じ、熱い液体が全身を巡っていくような感覚を得ていた。
このままではいけないと思いつつも、喉は忙しなく動く。

「…うっ…ん」

痛みすらも快感なのか、猿飛は銀時の背中に回した手を離そうとしない。
強弱を付け、血を吸い込む度にピクリピクリと痙攣するように身体が動く。

吸血鬼から血液を吸われる間、人間には性的な快楽があるとされている。
このまま血を吸い尽くしてしまえば、獲物は間違いなく死に至る。つまり吸血鬼に狙われた人間は、快楽に溺れながら死んでいく定めなのだ。
その事実を、銀時は知らない。故に無遠慮に牙を沈めていった。

そこで喘ぎ声に混じり、猿飛に力無く「銀さん」と呼ばれる。
銀時は我に返って飛び退くように口を離した。
目の前に立つ女は支えを失って、力無く座り込んでしまった。貧血にでもなってしまったのかもしれない。飲み過ぎたらしい。
しかし銀時の心配をよそに、猿飛の瞳は完全に情欲に染まっており、妖しく揺らいでいた。
首から赤い筋が一筋垂れていて、ソレがまた卑猥である。





「あー……なんか、ごめん」

それしか言えなかった。
体が普段と異なるとはいえ、欲に負けて女を傷付けてしまったのだ。最低である。
それに、これ以上を求められても銀時は何もするつもりはなかった。ただ食事をしただけであるし、路地裏とはいえ、此処は外である。どSと自覚はしているがそんな趣味はない。

体裁を保つべく、日常を取り戻した赤い瞳でヘラッと笑ってみせた。
が、スイッチが入った猿飛には、効果がないようだ。
いっそ始末屋さっちゃんのスイッチが入ってくれれば有り難いのだが。

「うわっ!ちょ…さっちゃん!?」

女が抱きついてきた。これはマズい。銀時が自分で作った状況とはいえ、これはマズかった。淫らに腰を揺らし押し付けてくる。

「銀さん…私こんなプレイ初めて」
「ちょっと待って!いや、あの…これにはワケが」
「私の血を吸うなんて……凄く興奮するじゃない」
「人の話を聞け!!そして、銀時ジュニア!お前も落ち着けェェェェ!!確かに最近はお前を全く使ってやれてねーが…ここで存在を主張しなくとも、父さんはお前を忘れたりなんかしないから!な?頼むから一度冷静になろうか!!」

悲しい男のサガ。である。
猿飛の柔らかい肌、温もりを感じる度に己の存在を主張する股間センサー。完全に臨戦態勢に入った息子は、猿飛の腰の動きに合わせてビクビクと脈打っている。
いっそ、このまま交わってしまえ。と悪が脳内で囁き、そんなことをしようものなら、それこそ取り返しのつかないことになってしまうぞ。と善が脳内で囁いていた。

「銀さん…やっぱり私をそう言う目で見てたのね…」
「ち、違うから!あのね、さっちゃん。男は欲望に酷く弱い生き物なんだよ!…あ、いや、だからって普段から、さっちゃんをそんな目で見てたわけじゃないからね!そんなつもりじゃないんだからね!…ってツンデレか!!」
「このまま…ここでなんて。んもう、銀さんったら」
「……っ!!」

上目遣いに下腹部の膨らみに手を添えられて、撫で上げられる。
与えられる快感に腰が砕けそうになる。身体が跳ねる。これ以上は自分を抑えられる自信がなかった。理性が吹き飛びそうににる。

銀時は心の中でゴメン。と叫んで(息子に対しても)、猿飛の身体を突き離した。

「銀さん…?」

適当な布を探したが見つからないので、自分の帯を外して渡す。これで首の傷を押さえろ、と。
銀時ははだける着物を押さえつつ、女の顔を見ることなく逃げるように通りに出た。
一度、名前を呼ばれたが振り返ることなんて出来なかった。
今、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。

「最低だな。俺……」





*******





人を避けて歩いていくと、川に出た。土手に腰を下ろして横になる。
雲が増え、曇り空になり鬱陶しい日差しは消えていた。もしかすると数日後には昼間に外を出歩けなくなっているかもしれない。傘を常に持ち歩く我が儘娘の気持ちが少しだけ分かったような気がする。胸が締め付けられた。

時間を掛けて対話を続けたお陰で、息子との交渉は成立した。助かった。これには、よくやった自分。と誉めずにはいられない。
身体は驚くほどに軽かった。とりあえすだが、猿飛のお陰で飢えが凌げた。喉の渇きも。

銀時は空を眺めながら、ぼんやりとこれからどうするかを考える。
我が家には帰れないし、寝床はどうするのか?いや、そんなことよりも空腹をどう満たすか、が問題だ。
こんな事で死にたくはなかったが、これ以上他人を傷付けるくらいなら、理性があるうちに自分で終わりにするのもありかもしれない。との考えが過ぎる。
しかし、とりあえずは人間でいられる限界まで動いてみることにした。
身体を元に戻せるならば、そちらを優先したい。

口内には未だ甘い誘惑が充満しており、牙のように鋭くなった歯は何度願ったって消えやしなかった。
何をしたらいいのか分からず、銀時の口からは大きな溜め息が出た。








 
 

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