不始末の激情

□第四章
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日が傾き始め、暑さは随分と和らいだ。
空が赤く染まっていき、もうじき夜が来るだろう。
雲は燃えてしまう程にその身を色付けて、目映い金色に縁取られ浮かんでいる。
港に浮かぶ数々の船も赤く染まり、どこか憂いを帯びた風景の中に鬼兵隊の船があった。

甲板にある二つの人影は、向かい合うことをせず同じ方向を見ている。
その一人、高杉はただただ隻眼に赤い世界を映し出して静かに佇んでいるだけで。
濃緑の瞳すら赤く染め上げてしまうこの光景は、内に秘めた闘志を表しているようであった。
この時間になると、高杉は必ずと言っていい程に甲板に出ては外の空気を吸いに来る。
汚い、汚れきったこの世界が。
唯一美しいと思える時間だから。

「さぞかし、今宵の月は綺麗だろうよ」

高杉が振り返りもせずに放った言葉は、波の音に消えていった。
その寂しげにも見える背中を、見つめていたもう一人の男は腕組みをしたまま微動だにしない。



自然の中の夜空は、それは綺麗だと聞く。
人工的な明かりに埋もれた幾千の星が輝きを増すからだ。
停電に見舞われた町に浮かぶ空は、普段とは違った世界を見せてくれるかもしれない。
闇が作り出す、美しい世界。そこに高杉は思いを重ねるのだ。















「晋助。あの娘が例のモノを持って来たでござる」

あぁやはり此処にいたか、と万斉は安堵した。
この時間。太陽が沈む頃に、高杉を探すことは難しいことではない。
船外へ続く戸を開け、赤い世界に溶けることなく佇む黒い影に、一瞬目を奪われたのだが。
自分達の大将が機嫌が良い内にと、用件を告げた。

「…そうか。なかなか度胸のある女じゃねーか。通せ」

万斉に背中を押され、甲板に出た女。
女はゆっくりと高杉に近付くと決意を固め、腕に抱えていた薄手の冊子を握り締めた。
高杉はゆらりと振り返ると煙管に火を落とし、女の姿を見て満足げに笑う。
背後にある沈みかけの太陽が、高杉の顔に影を作り出していて。
その整った顔立ちは妖しい程に美しく、人の心を惑わせるような妖艶さを纏っている。

「約束のモノは持ってきたか」
「……」

女には、高杉の視線が自分の腕の中心に移ったのが分かった。
そして、同時に口元を緩めたことも。
これには自然と噛み締めた奥歯が、音を立てる。

「お前達、鬼兵隊は何が目的なんだ。あのような悲劇をまた繰り返そうとしているのか」
「クク…俺達に揃いも揃って協力するなんざ。本当に面白い兄妹だな」
「答えろ」

的外れな言葉で答えを誑かす高杉を、その女、鉄子は臆することなく睨み付けていた。
やはり、兄のことを言われるのは心底憎かったし。いくら兄が本人の意思で鬼兵隊と関係を結んだとは言え、仇にも近いこの男達に協力することになるなんて。
この現状も、無力な自分も悔しかったのだ。

「悲劇ねェ、そうかもしれねーな」
「…!!」
「まぁ俺にとっちゃこんなもの、単なる暇潰しにしかならねェが」



高杉のその言葉に、途端に目の前の景色が歪んだものに変わった。

鉄子は忍ばせていた脇差を咄嗟に取り出し、高杉の胸目掛けて突き付ける。
しかし、高杉は煙管を咥えたままに薄ら笑いを浮かべていて、自分がこの男よりも弱い立場にいることを本能で知らされた。

「やめとけ」
「……」
「まさか俺を本気で殺れると思ってねェよなぁ?」
「可能性はゼロじゃないだろう」
「ゼロ、だな」
「…この世に絶対などありはしない」

とは言ってみたものの、この時の鉄子は憎しみと怒りに理性を支配されていたに違いない。
それでも。
再び繰り返された悲劇、紅桜によって奪われた命もあるというのに、それを暇潰しだと言う男が憎かったのだ。












「女、二つ教えてやろう」

高杉はそのまま鉄子の腕を掴まえる。

「…っ!!はなせ!!」

だが、抵抗をしたところで女の力が男に敵うわけもなく、腕はビクともしなかった。
胸に刃先を突き刺してやろうも押してみても、逃げようと引いてみても無駄。
この男の細い腕の何処にこんな力があるのだろう、という程に強く握られた腕はついに悲鳴を上げ、手からは脇差が滑り落ちていく。



時が止まったかのように、動かなくなった両者の間を、生暖かい風が吹いていった。
風で靡く前髪の隙間から、高杉の左目を覆った包帯がチラチラと見えていて、不思議と左目は見えていない筈なのに。
鉄子は吸い寄せられるように見つめられた双眼から視線が逸らせなかった。

「一つ。この世にはどうしようもねェことだってあんだよ」
「……」
「人間、死んじまったら終ェなんだ。『絶対』にな」

気が付けば、高杉の顔からは笑みが消えていた。
その視線は鉄子を通り越して、何処か遠くを見ているようだった。










 
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