不始末の激情

□第一章
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季節は夏。
耳障りな蝉の声と、心地よい風鈴の音が町に響いていた。

道路は蜃気楼のように揺らめき、うだるような暑さと対称的に青く澄み渡る大空はどこか涼しげである。
なんでも今年は、例年を大きく上回る程の暑さだとか。
こうなってくると、もはや殺人的な暑さである。

「土方さぁん、随分と遅かったじゃねぇですかィ」

立っているだけで汗が湧き出る陽気の中、土方と沖田はスーパーで買い物を任されていた。
と言っても、買い出し担当は土方ひとりになっていたのだが。

「さっさと帰りやしょうよ、土方さん」
「そう思うなら、テメェも手伝えってんだよ!!」

沖田は一人で、パトカー内に待機。
愛用のアイマスクに手をかけて、チラッと覗かせた目に映るのは、袋いっぱいにお茶やらジュースやらの飲料を詰め込み、汗だくで買い物を終えた土方の姿であった。

上着を脱ぎ、シャツを肘まで捲し上げても、暑いものは暑い。
普段はポーカーフェイスの土方も、この自然の猛威には敵わないようで。
両手に荷物で汗を拭うことが出来ない為か、漆黒の髪からはポタリと汗が滴っていた。


土方は後部座席のドアを開け、さっさと荷物を積み込むと、やっと自由になった右腕で額の汗を拭う。
すると一回で腕がびっしょりと濡れてしまって、更に不快感が増してしまっただけであった。
早くシャワーでも浴びたい。
そんなことを考えていると、沖田が助手席から手を伸ばし、素早くスポーツドリンクを手に取るのが見えた。

「しかし、とっつぁんもなかなかの太っ腹ですねィ」
「おい、聞いてんのか。つーか、先に飲むんじゃねぇ!!」

全く暑さを感じさせない涼しげな顔で、沖田はスポーツドリンクに口をつけると半分程飲んだところで、ドリンクホルダーに差し込み、再びアイマスクで目を覆った。

土方が字の如く汗水垂らして買い込んで来た飲み物達は、松平からの差し入れである。
差し入れと言っても渡されたのは数枚の札であり、現物は自分達で買ってこいとのことだったのだが。


実は今、屯所一帯の地区は停電中。
もちろん冷房機器も使えず、殺されるんじゃないかってくらいの暑さに悲鳴をあげていた男達を救おうと。
仕事中に松平が屯所に立ち寄っていったところで、金を置いていったのだ。

「ったく……何で俺達が買いに行かなきゃなんねーんだ」
「いいじゃねーですかィ。車内は冷房が効いてて、なかなか涼しいですぜ?」
「そうだよな、一歩も外に出てねぇからな!テメェは!!」

運転席に座ると、外の暑さが嘘のような涼しい車内に、自然と全身の力が抜けていく。

「土方さん…暑いからってそうカリカリしないでくだせェ。普段から暑苦しい存在なのに、今日は拍車がかかってらァ」
「誰のせいだ!!」
「そんなに暑いってんなら、冷たくしてやりましょうか。永遠に」
「なんでそうなるんだよ!!」

エンジンをかけ、そそくさと駐車場を出る。
何故、スーパーの駐車場にパトカーがいるのか、何か事件でもあったのか。と不審がる住民達の視線を受けて、気まずさを感じつつ、だ。
そうして追い出されるようにスーパーを後にしたわけだが、屯所に戻ったところで、再び地獄のような暑さが待っているのは火を見るより明らかであり。
ならば、このまま車を乗り回し、見回りでもした方がいいのではないか?と、そんな考えが土方の頭を過る。
だが、差し入れを任されてしまった以上、逃げるわけには行かない。
屯所では、自分達の帰りを待っている者が居るのだ。
















「そういえば、辻斬りの話。どう思います」
「…あ?」

ようやく、汗が引いてきた時だった。
沖田はアイマスクを外すこともなく、そう土方に問う。
信号待ちで煙草に火をつけた土方は、てっきり沖田の意識はもう夢の中なのだろうと思っていたもので。
突然の質問に、少し間抜けな声で返事をしてしまった。

「ほら、近藤さんが言ってたじゃねーですかィ。これで三件目だって」
「あぁ、変死体の件か。どう思うもなにも、犯人は何の考えもないだろうよ。ただの愉快犯だろう」
「…愉快犯ねェ」

納得がいかない、とばかりに唯一姿を見せている唇を僅かに尖らせる沖田。
辻斬りは今に始まったことではないし、真選組は今までも似たような事件を数々取り扱ってきた。
しかし、どうも引っ掛かるのだ。

というのも、今回の辻斬りの被害者は全て体の一部分が抉(えぐ)られていて、見るも無惨な姿になっていたからである。
刀一本であそこまでの傷を負わすことが出来るのか?と、まずそこが謎であった。
刃物で人間の肉や骨、組織を壊し、更には丸ごと抉り取るなど相当の時間を要するだろう。
それに、抉り取られた部位は全て見付かっておらず、捨てられた形跡もない。では、持ち帰ったとして一体どうするというのか?


その非道とも言える殺害方法から、どの第一発見者も嗚咽を漏らし、しまいには倒れ込んでしまった者もいたという。
通報を受け、まず現場に駆け付けた隊士いわく、出血量の多さや血液の飛び散り方から、『桜の花弁』が散っているようだった、と。

「……夏に咲く桜なんて、随分と酔狂なもんですねィ」

沖田はそう呟いて、腕を頭で組んだ。
帰れば、暑さで寝ることも出来ないだろう。ならば、今の内に寝ておこうと座席を少しだけ倒して、アイマスクの中の瞳を閉じる。



外はいつもと変わらないのどかな光景で。
アイス片手にはしゃぐ若者に、暑そうに舌を出して歩く野良犬が横断歩道を横切っていく。
時刻は昼過ぎ。
更に気温は上がり、異常な暑さが江戸を包み込んだ。








 
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