おかえりなさい(完結)

□8#おかえりなさい
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「馬鹿美緒」
「ったいなぁ、潮江君。
 そんな風に女の子をいじめてたら、ますますモテないよ?」
「余計なお世話だっ」

 あはは、あの時の潮江君の顔は面白かった。
 その後になんかブツブツ言ってたのは聞こえなかったけど。

「で、いつ倒れたんだ?」
「潮江君たちに会う前の話だよ。
 まだ、ここに来たばっかりの頃」
「……ああ」
「そんときは婆ちゃんと爺ちゃんになんで言わなかったんだって、心配されて怒られた。
 後から、戸部さんと山田さんにも知られて、ものすごく心配されて怒られたの。
 それで、もうバレないようにしないとなーって」
「バカタレ」

 話してる途中で遮るとか、すっごく失礼だよね。
 顔が老けてるからって、許されることじゃないと思う。

「バレなきゃいいってもんじゃねぇだろ。
 ……眠れないなら、伊作に相談するといい」
「うん、ありがとう、潮江君」

 あの話の時も不眠症だったんだけど、潮江君に気づかれてないから大丈夫だと思ってたんだけどなぁ。

「バカタレ」

 あれ、これはいつのバカタレだ。
 それに、頭をなでる優しい手。
 墨の匂いのする、優しいこの手は誰の手だろう。

「長次ばっかりずるいぞっ」

 これは七松君の声だ。
 てことは、もう起きなきゃ。

「静かにしろ、小平太。
 美緒が起きる」

 ゆっくりと目を開くと、まっさきに傷だらけで強面の中在家君と目が合った。
 その向こうには立花君の顔が見える。

「寝てろ」

 低い低い中在家君の声を拾ったけど、私は首を振って起き上がった。
 久しぶりに寝たから、寝起きの頭がくらくらする。

 部屋の中のメンバーが変わらないことを確認して、私は思わずへらりと気の抜けた笑いをこぼしていた。

「おはよー」

 答えを返してくれたのは、善法寺君と中在家君だけで、後はまばらに返ってくるか来ないかだ。
 とにかく顔を洗おうと、布団から出ようとした私は、ようやく自分が寝間着に着替えさせられていたことに気がついた。

 誰が、やったかどうかとか、聞くのはやめておこう。
 藪を突いて、蛇を出す趣味はないし。

 部屋を出て、つっかけをはいて、裏手の井戸まで行く私の後をついてくるのはやっぱり鉢屋だ。
 何も言わないので、私は井戸まで行って、自分で桶を組み上げて、顔を洗う。
 冷たい水が気持ちいい。

 倒れたときは夕刻頃だったのは覚えている。
 鉢屋と利吉さんのバックは記憶の限り朱に染まり始めていたから。

 その後に一度目を覚ましたときは外を見ることはできなかったけど、部屋の中の燭台に火が点されていたし、たぶん夜だったんだと思う。

 で、今のこの空気は早朝の心地良い爽やかな空気だ。

「まだ明け六つだ」
「んー?」
「美緒が寝てから、半日も経ってない」

 鉢屋の意味するところを考えて、私はああと頷いた。

「そんなもんでしょ」

 いくら不眠症が長かったからといっても、それで長く眠り続けるわけじゃない。
 深く眠れたから、寝覚めもすっきりしているし、この分なら今夜も眠れるだろう。

「私は、知らなかったんだ」
「不眠症のことを知ってたのは、同い年の善法寺君らと戸部さんと山田さんぐらいだよ。
 知らなくて当然」

 むしろ、知ってしまってアンラッキーは鉢屋の方かもしれない。
 余計な心配をかけたくはないから、もともと知らせるつもりもなかった。

「利吉さんも?」
「ずいぶんと鉢屋は利吉さんに拘るね。
 ん、山田さんが話してなければ、利吉さんも知らないはずだよ」

 苦笑しながら私が言うと、鉢屋は何故か安堵したようだ。

 そこまで利吉さんに拘る理由は、私にはわからない。
 わからないけど、何かを鉢屋が恐れているのはわかる。
 それは、自分も同じだからかもしれない。

「私はここにいるよ。
 ずっと、皆が卒業しても、ここにいて、お店をやってると思う」
「……美緒?」
「だから、時々は顔を出してね。
 私がよく眠れるように、さ」

 これが私の精一杯のワガママだ。
 鉢屋がいいって言ってくれたから、すこしぐらいはと思えたのも事実。
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