おかえりなさい(完結)
□3#似ているから
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「だって、ここは戸部さんが用意してくれたおうちで、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、お客さんもみんな優しくて。
こんな、こんな記憶もない、得体のしれない私に優しくてっ」
記憶がないにしたって、何かがおかしいと自分でも感じていた。
それが、嘘と決め付けられたことで、箍を外してしまったみたいに溢れてしまう。
こんなこと、言いたくないのに。
「それなのに、淋しいなんて、言えるわけない。
そんな、我儘……っ」
急にぎゅうと誰かに抱きしめられる。
ここにいるのは利吉さんだけで、着物の匂いも利吉さんだ。
「いいんだよ、淋しいって言っていいんだ、美緒は頑張った」
利吉さんの優しい言葉がひどく胸に痛くて、苦しい。
どうして、この人は私の欲しい言葉をくれるのだろう。
「だから、もっと我侭になってもいいんだ。
父上と一緒にいたいというのなら、そう言ってもいい」
山田さんと一緒にいたいなんて、考えたこともなかったけれど、それが利吉さんの口から出たことで私は反射的に否定していた。
「違うっ」
「美緒」
宥めようとする利吉さんの目を見つめて、違うのだと言っても伝わるのかどうかわからない。
でも、言わずにはいられなかった。
「違うんですっ!
山田さんは確かにあこがれの人だけど、そういうんじゃない!
私、山田さんとどうにかなりたいわけでもないし、奥さんから奪いたいわけでもないんです。
ただ、山田さんは……似ている気がするから、だから……っ!」
ないはずの記憶の影と山田さんの姿が重なるのだと、その時初めて私は気がついた。
「似ているって、誰に?」
時折現れる記憶の欠片が、それが誰なのか教えてくれる。
夕暮れの中、小さな私の手を引くその人は。
「……さん、に」
「え?」
それはこの三年ずっと思い出せなかった記憶の断片のようなもので、今初めてカチリと何かに嵌った気がする。
「……お父さんに、似ている気がするんです……」
「………………え?」
驚いた利吉さんが私を離して、まじまじと顔を見つめる。
「ええと、もう一度聞くよ。
美緒、父上が誰に似てるって?」
「……何度も言わせないでくださいよ。
自分でも、ちょっとどうかと思うんですから」
利吉さんは少し考える素振りをしてから、おもむろに立ち上がった。
そして、見たこともない怒った笑顔で言う。
「ねえ、美緒。
ちょっと私につきあってくれないか?」
「え、でも、お店がっ」
「ああそうだ、母上もね、君の作る南蛮料理が食べてみたいって言ってるから、しばらくうちに泊まるといい」
「へっ?
い、いや、でも、私がいないとここを開けられないし、お爺ちゃんとお婆ちゃんも心配だし」
「そう長いことじゃない。
三日もしたら、ちゃんとここに返してあげるし、出張手当もはずんであげるよ」
きり丸ではないけれど、出張手当という言葉に思わず私は利吉さんの手をとっていた。
「本当ですかっ?」
利吉さんは私の手を握り返し、しっかりと頷いてくれる。
「じゃあ、美緒も準備があると思うから、夕刻ごろに迎えに来るよ」
「わかりました。
……あ!」
「ん?」
いつもは言えない言葉が言えると気がついて、私はにっこりと微笑んでいた。
「お待ちしてます、利吉さん」
利吉さんは少し照れた様子で、でもしっかりと頷いてくれて。
「ああ、じゃあ、また」
利吉さんが言った直後に吹いてきた大風に私は目を閉じてしまって。
開いたときには利吉さんの姿はなかったのだけど。
「ふふふ」
初めて利吉さんにお帰りの挨拶をできたことが嬉しくて、いつまでもひとり嬉しさを噛み締めていた。