おかえりなさい(完結)

□[立花仙蔵] 立花君と雨
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 今日はあいにくの雨だが、私は変わらずに店を開けている。
 客はほとんどなく、とりとめのない思考の波に埋没する時間が案外に私は好きなのだ。

「いらっしゃ…うわー、大変っ」

 そんな時にお客様が現れても応対するのには、慣れた。

 突然現れた客は当然ながらずぶ濡れで、今日の雨はシトシトとかなり少なめなのに随分濡れてるなーなんて暢気に考えながら乾いた手ぬぐいを持って戻る。
 店内に入った立花君の足元には水たまりができていた。
 普段の立花君は羨ましいほどの自信に満ち溢れているというのに、今日はなんだか様子がおかしい。

「ほら、ちゃんと乾かさないと風邪引く…」

 立花君の髪を拭こうと、頭に手ぬぐいを持った手を伸ばした瞬間、私は冷たい暗闇に包まれていた。
 そして、その暗闇は、ひどく、震えていた。

「立花君、奥の部屋に行こう」

 雨の冷たさだけじゃない震えだと感じたから、私は立花君に何も聞かないことにした。

「誰にも会いたくないなら、私の部屋を使っていいから、少し休んでいって」
「……美緒、私は…」
「今は何も言わないで。
 落ち着いてから、それでも話したいなら、その時に聞くから。
 だから、今は休んで」

 私は立花君を引き摺るようにして、自分の部屋へと連れていった。
 もっとも、体格差があるから、立花君自身が歩いてくれなかったら、ずっとあのままだったかもしれない。

「今着替えを持ってくるから、濡れた服は脱いでおいて」

 立花君を部屋の前に連れてきて、私は急いで衣装部屋へとむかった。

 とりあえず、適当な着物を見繕って、部屋へと戻ったが、立花君は私が去った時のままで立ち尽くしていた。
 足元の暗い水たまりの影に立花君が引きずり込まれてしまいそうで、私は身震いして、慌てて立花君をその場から移動させた。
 何故そんなことを考えたのか、後から考えてもよくわからない。

「立花君、これに着替えて」
「美緒、私は」

 こちらの声は全く聞こえている様子のない立花君に息を吐き、私は立花君の着物に手をかけた。

 次の瞬間、私は立花君を見上げていた。

「信じてくれ、美緒、私は」

 ひどく切羽詰まった様子の立花君に押し倒されたのだ。
 何故なのかわからないけど、きっと立花君には理由があるのだろう。
 不思議と私の中に焦りの気持ちは生まれなかった。

 伸ばした腕で立花君の頭を胸に抱き込んで、できるだけゆっくりと話す。

「うん、信じる。
 私は、立花君を信じてるよ

 立花君になにがあったのか、私は知らない。
 でも、これだけは私は知っている。
 戸部さんも山田さんも、そして彼らの教え子たちも皆信じていい人だ。
 私が、ここでおかえりなさいを言っていい人達なのだ。

 立花君の長い髪をゆっくりと撫でていると、立花君からは震えが伝わってきて、なんとなく泣いている気がしたから、私はそのまま動かなかった。

「…美緒、離してくれ」

 しばらくして、いつもの立花君の声がして、私は腕を緩めた。
 体を起こした立花君は、気まずそうに顔を逸らしている。
 私が起き上がると、立花君は地面に頭をつける勢いで頭を下げた。

「すまん、美緒」
「え? 気にしてないしいいよ。
 そんなことより早く着替えなよ」
「…少しは気にしてくれ…」
「今、あったかいお茶を持ってくるから、ちゃんと着替えておきなさいよ」

 私は衣装部屋へ行って着替えてから、お茶を淹れて、立花君のところへ戻った。
 今度はちゃんと着替えた立花君が部屋の入り口に座っている。

「はい」
「ありがとう」

 お茶を飲む立花君をじっと見ながら考え込んでいると、目の前で手をふられて、我に返る。

「どうした?」
「ううん、なんでもない。
 それより、落ち着いた?」
「ああ」
「…謝る以外で、私に話したいことはある?」
「…いや、無い」
「そう、じゃあ私は仕事に戻るから、しばらくここで休んでいるといいよ」

 そして、私は仕事に戻っていったのだった。

 それから、客のいない店の中から雨の外を見つめて一日を過ごしたが、今日は他に客が来なかったので、早々に店を閉めた。
 立花君が来た後、店にたってはいたけど、考えることは立花君のことだった。
 気にならないとはいったけど、普段あんなに自信に満ち溢れていた立花君の様は不安でしか無い。
 それに、あの昏い水たまりは、とても嫌なものしか私に思い起こさせない。

「立花君?」

 店が終わって、すぐに覗いた部屋の中では立花君が横になって眠っていた。

「…おつかれさま、だね」

 近寄って、そっと顔にかかる髪を避けようとしたら、手を掴まれていた。
 ぱちりと開いた立花君の目が私をとらえる。

「美緒」
「少しは眠れた?」
「ああ…」
「夕飯は食べてく?」
「…すまん」
「謝らなくていいの、友達でしょ?」
「…すまん」

 謝りながら腕をひかれ、私は立花君の上に倒れこんでしまった。
 どけようとしても、しっかりと抱きしめられて身動きできない。

「美緒が望むなら、そうでありたいと思っていた。
 だが、私には無理だ」
「立花、君?」
「友達のままなど耐えられない」

 抱きしめる腕が強すぎて、息が苦しい。
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