おかえりなさい(完結)

□1#いつものこと
1ページ/3ページ

ドリーム設定





「お待たせしました、戸部さん」

 店先の長椅子に座る細面で額に三日月傷のある、細目で寡黙な剣客に、私は団子と渋茶を出す。
 彼は黙って茶をすすり、そばに立つ私を見ないで言う。

「旨い」
「ありがとうございます」

 それから、しばらくは黙って団子を食べて、渋茶を啜る彼を見ていたのだが、店の中から呼ばれて、一度店内に戻る。
 呼んだのは店主で、たぶん養父ということになると思う。
 出会った時には目も悪く、耳も遠くなっていて、私を亡くした孫娘と間違えている、らしい。

 私がここに来たのはだいたい三年くらい前で、それより前のことは覚えていない。
 戸部さんは戦災孤児だろうと 言っていた。
 でも、親の顔も思い出せない私は別に哀しくもない。

 覚えている最初の記憶は今より小さな私が戸部さんに手を引かれて歩いているところからだ。
 戸部さんは既にとても強い剣客で、私は彼が負けたところを見たことがない。

 それから三年、私はたぶん十五ぐらいの年齢なのだそうだ。

「戸部さん、お待たせしました。
 いつもの……」

 店主から握り飯の包みを受け取り、また店先に戻ると人が増えている。
 戸部さんの知り合いらしく、ここで話す姿もよく見かける人だ。

「美緒ちゃん、私にもお団子とお茶をいただけますかな」
「い、いらっしゃいませ、山田さん」

 戸部さんの隣に座っている四十ぐらいの髭の男性は、人当たりのよいにこやかな笑顔で私を見る。
 その顔にどうしてかドキドキして、落ち着かない気分になるのは何故だろう。

「少し待ってください。
 あの戸部さん、これ、いつものです」

 戸部さんは何故か複雑そうな顔で私を見ているが、うむ、と頷いて受け取る。
 その包みは懐に入れられ、戸部さんが立ち上がる。

「また」
「はい、お待ちしてます」

 微笑んで軽く頭を下げると、戸部さんは微かに笑ったようだった。

 見送って直ぐに私は店内に戻り、団子とお茶を持って戻る。

「山田さん、お待たせしました」
「ありがとう」

 受け取った山田さんが食べている姿をじっと見つめる。

「うん、美味い」
「ありがとうございます」

 この人に褒められるのは誰に言われるよりも嬉しくて、私は自分でも自然と笑顔になったのがわかった。

「美緒ちゃん」

 山田さんが私を呼ぶ声にどきりとする。

「きみが戸部先生に拾われて、どのくらいになる」
「三年、だと思います」
「何も思い出せないままかね」

 山田さんは私の事情を知る人だ。
 素性についても調べてくれているというが、漠然と私は諦めている。

 三年前に戸部さんに拾われた時、私は本当に何も知らなかった。
 一般常識とされることを知らず、着物ひとつ一人で着ることができなかった。
 普通に育ってきたなら、当たり前にできることができない私を、戸部さんや山田さんはどこかの落城した姫ではないかと調べたらしいが、その頃に戦をしている城で、私ほどの年齢の姫というのはいないらしい。

 私は困ったけれど、笑みを浮かべたまま、山田さんに首を振ってみせた。

「そうか」

 難しい顔で眉間に皺を寄せる山田さんに、私は慌てて付け足す。

「山田さんのせいではないのですから、そんな顔をなさらないでくださいっ。
 それに、私は今でも十分に幸せなんです。
 こうして、住む場所があって、戸部さんや山田さんが来てくださって、他にも来てくださる皆さんもとても親切ですし。
 ……本当に、私には過ぎた幸せで」

 だけど、私が言えば言うほど、山田さんは顔を険しくする。

「両親の顔も思い出せないなんて薄情だと思いますが、だからこそ、哀しくならないわけですし」
「美緒、俺にもお茶をもらえるかな」
「っ」

 唐突にかけられた声で、私はいつのまにか山田さんの隣に彼の息子の利吉さんが座っていたことに気がついた。
 いくら話に夢中だったからって、気がつかないにもほどがある。

「す、すぐにお持ちしますっ」

 慌てて奥に戻る私の背に利吉さんの苦笑の声がかかる。

「急がなくてもいいから、足元に気をつけて」
「は、」

 返事をしようとしたそばから、私は何かにつまづいてバランスを崩した。
 転ぶ、ととっさに身体を固くして、目を閉じてしまう。
 しかし、いつまでも衝撃はやってこなかった。

「急がなくていいって、言ったでしょ」
「あ、ああ、ありがとうございますっ、利吉さん」


 利吉さんが支えてくれたから転ばなかった、と気づいた私は立たせてもらってから、利吉さんに笑顔で礼を言った。
 それから、山田さんに格好悪いところを見られてしまった、と頬を少し熱くして盗み見たが、山田さんは目を閉じて茶を啜っている。
 どうやら、見られていないと胸を撫で下ろす私を、利吉さんが戸部さんと同じような、でも苦笑混じりの笑顔で見ている。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ