放浪の舞姫

□6#放浪の舞姫、逃亡する
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 それから連れてこられたのは、どこかの立派な城みたいだけど、私はさほど興味もなかった。
 迷彩男は猿飛佐助、そして居城の主である真田幸村に紹介されたのだが。

 私には心底どうでもよいことだった。
 目を閉じ、与えられた客間で日を過ごし、幾日過ぎただろうか。

「葉桜ちゃん」

 名乗ってもいないのに、私の名を呼ぶ佐助を無視するのはいつものことで。
 だけど、唐突に破られた静寂に、私は動揺した。

「葉桜っ!」

 懐かしい、と思えるほどの時間離れていただろうか。
 別れたのはつい昨日のようにもずっと昔のようにも思えるのに、私は背後から聞こえた慶次の声を振り返って確認する勇気がなかった。

「風来坊、なんでここにいるのさ」
「親切な誰かが俺にこんな手紙を寄越したんだよ。
 葉桜、俺と帰ろう?」

 慶次と佐助のやり取りを耳にしながら、私は両手で着物をぎゅうと握り締める。

「…どこに?」
「どこって、トシもマツ姉ちゃんも心配して」
「帰る場所なんて、どこにもないよ。
 私には、もう何もない」
「葉桜」
「里もない、あいつも、みんな、みんないない…っ、慶次くんだって!」

 勢い振り返って目にした慶次は、急いできてくれたのがわかるぐらいに薄汚れて、焦燥していて。
 少しでも思っていてくれたことだけが、ほんの少し私の心を温めてくれた。

「慶次くんだって、ネネさんのところへ行くんでしょう?」

 胸が痛くて、私は両手でぎゅうと心臓の辺りを握り締める。

「もう私のことなんて放っておいて!
 はやく好きな人のところに行ってあげなよっ」

 私がその言葉がどんなに残酷な言葉か、知らなかった。

「葉桜、ネネは…」
「ネネって、あれ?
 豊臣の奥の方?」

 佐助の呟きに私は目を見開いて佐助を見て、それから慶次を見た。

「え?」
「そうだよ。
 あと、もうネネは、その、死んでる、から」

 すごく苦しげに呟く慶次をみて、私は自分の失言に気づいて口を抑える。

「…じゃ、あ…あの、夢は…」
「夢?」
「私…そんな…」
「葉桜(ちゃん)…?」

 後退る私は、縁側との段差に体勢を崩し、座り込む。
 だけど、冷たい床に触れることはなく、すぐに慶次の大きな腕の中で。

「もしかして、それで俺から逃げた?」
「ぁ…ぅぁ…っ」

 久しぶりに目の前で見る私を覗きこむ慶次の目は、あの夢みたいに甘く蕩けているように見えるなんて、これも夢だろうか。

「てっきり意識もされてないと思ってたな」

 額に押し当てられる慶次の口吻に、私は体中が熱くなる。

「葉桜、アンタが好きだ」

 真っ直ぐに私を見て話す慶次に嘘は見えない。
 でも、でも、慶次の心にはずっとあの人がいて。
 ふるふると頭を振る私の目からいくつもの雫が落ちる。

「葉桜」
「嘘、嘘ばっかりっ。
 慶次くんは今でもネネさんが好きだよ。
 だから、あんな夢を見る。
 アレを見た後で、そんな風に言われても私には信じられないよ」
「ネネさんが好きならそれでいい。
 だけど、私に優しくしないでっ。
 これ以上、慶次くんを好きにさせないでっ!」

 慶次の腕から逃れようとする私を、慶次はさらに強く抱きしめる。

「葉桜」
「やだ、やだ、助けて!
 小太郎っ!!」

 私が叫んだ瞬間、強く押さえ込んでいた力がなくなり、私は小太郎の腕の中にいた。

「っ、風魔の旦那!?」
「葉桜を返せっっ」

 私はその首にすがりつき、小太郎に命令する。
 一度もしたことのない、命令を。



「 小太郎、私をここから逃して!
 慶次くんのいない所へ連れて行ってっっっ!!」



 風が私と小太郎を包み込み、そして直ぐに佐助の声も慶次の声も聞こえなくなった。

 私はどこかの大きな松の木が一本だけ生えた、丘の上に連れてこられた。
 そこに着くまで、子供みたいに小太郎にすがりついて泣いていたから、どこをどうやってきたのかわからない。
 でも、ここに慶次がいないことだけはわかった。

「葉桜」

 低い低い小太郎の声は久しぶりに聞く。
 耳に、心地よく、傷ついた私の心に深く染みる。

「…いいのか?」

 こくりと頷く私を、小太郎は強く抱きしめてくれる。

「…あいつが、葉桜の?」
「そんなはず、ないよ。
 だって、慶次くんにはもう…」

 最初はそうだと思った。
 だけど、自覚してあの夢を見て、無理だと思ったのだ。
 あんなふうに思われたいけれど、あんなふうに思ってくれるはずない。

「…慶次くんに私はもったいない、でしょ?」

 冗談めかして腕の中で笑う私の目元に、小太郎が涙を舐めとるように吸い付いてくる。
 小太郎のこれは昔からの拙い愛情表現で、私はそこに兄弟みたいな感情しか浮かんでこない。
 唇まで降りてくる前に、私は小太郎のそれを両手で留める。

「私、これからどうしたらいいかなぁ。
 慶次くんに簡単に捕まらない場所って、どこか知ってる?」

 少し考え込んだ後で、小太郎はその場所まで私を連れて行ってくれた。
 だけど、どこかで私は期待していたんだ。
 慶次はきっと私を見つけてくれるって。
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