放浪の舞姫

□1#囚われの舞姫、外界へ出る
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 まるい、まあるい月が見える。
 闇がゆったりと私に寄り添ってくる。

「小太郎」

 私が呼ぶと、部屋の中に人影がひとつ現れた。
 部屋と言っても、調度一つ無く、出入口は屈まなければ通り抜けられない不便な部屋だけれど。
 畳敷きなのがせめてもの情けなのか。
 いや、一般的な茶室はこうだったような気がする。
 だれだ、こんな不便な部屋を考えた奴は。

 その私の前に現れた男は目元まで隠れる黒い兜を被った、忍装束の黒い影のような男なのだけれど。
 一応、ここに私を囚えた男に仕えている…ことになっているらしい。

 らしいというのは、それを風の噂が教えてくれるからだ。
 この眼の前の風魔小太郎という男を金で雇っている男がいると。
 その名を、松永久秀と言うと。

「そろそろ、ここから出たほうがいいかなぁ」

 小太郎からの返事はないが、気にはしない。
 もともと無口な男だが、ここに囚われてから私は彼の声の一切を聞かなくなったように思う。

「本当に面倒なんだけどさー」

 綺麗に着付けられた紅の舞装束だが、私は存在にそれらを脱ぎ捨てる。
 身軽な襦袢姿になってから、畳を一枚剥がし、その下にかくしておいた男物の藍色の着流しを着る。
 そこまでして準備をした私に、小太郎が刀を一振り差し出した。
 受け取って、鞘から刀身を抜いて中身を確認する。

「無名の刀だが、卿ならば使いこなせよう」
「…餞別なんて、どういう風の吹き回しよ、久秀」

 振り返ると、いつのまにそこにいたのか、髪の一部だけ白い壮年の男性が部屋の中にいる。
 どうでもいいが、三人も入ると流石に狭い。

「何、やっと卿が鎮魂の舞を見せてくれるつもりになったというのでね」

 その言葉に私は眉を潜めた。

 この松永久秀という男が私を攫った理由が、私の一族に一子相伝で伝わる珍しい舞を見たいがためということ。

「誰が見せるって言ったか。
 それに、私の舞にそんな力はないよ」

 だが、私はそれを教わっていない。
 教わる前に、一族は流行り病で死に絶えたのだ。
 私はただ一度儀式を盗み見たことがある程度。
 それを久秀も知っているはずなのに、人の話を聞かない男は部屋の隅に座り、徐に茶を淹れ始める。

「一杯だけ飲んでいくかね」
「作法なんて知らないんだけど」
「構わぬよ」

 私は座り、松永が淹れている間に髪を高く結い上げる。
 が、なかなか上手くいかない。
 見かねた小太郎が手伝ってくれて、ようやく髪を纏め終えた私の前に、淹れ終えたばかりの茶が置かれる。

 私はその器を両手で持ち上げて、そっと口をつける。

「苦い」
「卿は相変わらず、警戒もなにもないな」

 そうだろうか、と小太郎をちらりと横目で見るが、その表情を窺いみることはできない。

「彼もつれてゆくのかね」
「金も払えない主に付いてくることはないからね、小太郎」

 私が小太郎を見ずにいうと、困惑した空気だけが返ってきたような気がする。

 主、と呼べるのかどうかはわからない。
 なにしろ小太郎は私が舞姫を継ぐ前から、ここに囚われる前からの知己なのだ。

「ふっ、なにやら不満そうだが」
「気にしないでください」

 さてと、と私は立ち上がり、帯刀する。
 それから、久秀に深々と頭を下げる。

「何の真似かね」
「一年間お世話になりました」

 律儀だなと返される間もなく、私は自然に小太郎へ向かって手を伸ばしていた。
 小太郎も自然と私を抱え上げる。

「それでは、ちょっとだけ小太郎をお借りしますね」
「ああ、…元気で」
「久秀も」

 互いに短い挨拶を交わして直ぐ、私はそれまでの暗い室内から一瞬にして外へと運びだされていた。
 久々に見る空はいくつもの星が瞬き、眩い光を放つ望月に私は目を細める。

「そうだね、京の外れにでも置いていってもらおうかな」

 小太郎は口答えせず、風が耳元を通りぬけ、私はすぐに何も無い道の真中に下ろされた。
 山道のようで、月も星も良く見える。
 私を下ろして直ぐ、小太郎が道を指す。

「あっちが京か。
 ありがとう、小太郎」

 微笑んで礼を言ったが、小太郎はその場を動く気配を見せない。
 本当に行くのか、とでも問われているようだ。

「ああ、気付かなかった。
 金は後で稼いで払うから、心配しないように。
 …え、違う?」

 首を振られ、私は思案する。
 だが、まるで言いたいことがわからない。

 困惑する私の両肩に小太郎の手がかかり、まっすぐに見下ろされる。
 その瞳は兜の下に隠れて見えないけれど。
 口元が、かすかに動く。

「ーーーー」

 私は恥ずかしくなって、でも真っ直ぐにその顔を見つめ返し。

「小太郎」

 かすかに潤んだ私の目元を指でぬぐい、風が吹くようにその姿は掻き消えた。

「…さよなら、小太郎」

 一度目を閉じ、それから私は真っ直ぐに前を向いて歩き出す。
 一度も振り返らずに、まっすぐに。
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