ムゲン

□3階の女子トイレ
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「あっ」


と長い廊下の途中で足を止め、声を上げたのは私だ。
すると少し前を歩くリドル君は、こちらへ振り返った。


「どうしたんだい?」
「うん、どうでもいいんだけどさ」


再び横へ並ぶように、少し小走りをする。


「君が口にすることは大抵どうでもいいことだろう?」
「ごもっともです」


本当にごもっともでしかないと思ったので、間髪入れずに頷いた。
するとリドル君は……何故か一瞬、ギョッとした顔をしてこちらを見下ろした。その表情で、私の顔を覗いたのだ。
とはいってもその表情の変化とは、本当に僅かなものだ。故にもしかすると見間違えただけかもしれない。

「ん……?」と小さく声を零し、眉を寄せながら見上げると、リドル君は再びフイと前を向いて「……否、何でもないよ」といつもの表情になった。
腑に落ちない、
と思ったけれど別に拘るような意思も気力も意義も無かった。私もいつも通り前を向く。


「……それで?今度は何を聞かせてくれるんだい?」


―――ん?“聞かせてくれる”……?


別に、そうまで表現されるような、価値のある内容ではないと思う。


「うん、どうでもいいんだけど―――3階の女子トイレって、一回も行ったことないなって」


すると隣を歩くリドル君は、突然足を止めた。


余りに突然だったので、隣から忽然と姿を消したのかと錯覚する程だ。
首を傾げながら振り向くと、リドル君は、まるで時が止まってしまったかの様に佇んでいた。
微かに見開かれた目は前を見たまま、瞬き一つしていない。




……えっ?





え……。





「あの、リドル君?」


声をかけるとハッとしたように顔を上げた。
そして突然、挟むように両肩を捕まれる。「あいたっ」と声を出すよりも早く、そのまま背中を、壁へ叩きつけられた。何これ穏やかじゃない。非常に穏やかじゃない。
お、穏やかじゃないですね。と顔を上げれば……なんだか、緊迫したような、珍しく神妙な、とにかく妙な雰囲気だった。
―――真面目な、表情。


「そこには、行かない方がいい。」
「は、え?」
「3階の女子トイレだろう?」
「う、ん」
「行かない方が―――否、行くな」




行くな、という台詞の、力強さ。
真っ直ぐに私を見つめるその眼差しには圧力と……ほんの少しの動揺。
まるで、切なさの様な――何か、“不安定”なものを感じた。






え、えー……
何でこの人はこうもトイレに執着しているのだろうか。
執着というか、拘っているのだろうか。
しかも女子トイレに。


「行くなって……何でトイレ指定が激しいの?」


何を申すか唐突に。
その表情で「トイレ行くな」って。

困った顔で尋ねると、リドル君はハタと動きを止めた。そしてその神妙な面もちは崩れ、斜め下あたりを見ている。


「それは……」


とリドル君は短く言った。
その目は……あれ?なんだか泳いでいるような。その表情は動揺にも似ているような、なんだからしくないものだ。まるで……言葉を探しているようにも見える。


「それは?」
「…………あそこは、掃除が行き届いていないんだ。」



ブッ



と思わず吹き出しそうになった。
そんな私に気づいたのか、リドル君はゾッとするような恐ろしい顔で見下ろしてきた。止めてください震え上がってしまいます。


「とにかく行くなと言っているんだ。僕に理由を尋ねようとするなんて君はいつからそんな偉そう人間になったんだい?」


その理論はおかしいです偉そうなのはむしろ貴方です。


「別に偉そうには……サーセンもうなにも口答えしません。サーセン。」
「フンッ」


有無を言わせぬその視線に串刺しにされ、私は大人しく口を封印した。
そんな様子を見届けるようにそりゃあもう監視者どころじゃないような目つきで見下ろしたリドル君は鼻を鳴らす。

そしてようやく、肩を掴む力が緩んだ。だがしかし決して離した訳ではない。何故離さないのか理由は解らない。というかむしろ理由なんてない気がする。そして、長身のリドル君に凭れ掛かられるように押さえられているため、いくら力が緩んだとはいえまだ微妙に苦しい。


「とにかく、絶対に行くなよ」
「うーん、でも」


私は肩を掴まれたまま、リドル君の黒髪を通り越して、もう少し遠くの斜め上を見る。そしてクイ、と首を傾げた。


「もう死にそうなくらいに限界でしかも近くといえば3階の女子トイレしかない!という緊急事態の時はどうすればいいの」
「我慢しろ」


そんなご無体な。
「死にそうなくらいに限界で」って言ったじゃん。


“掃除が行き届いていないんだ”とかそんな悠長な事言っている場合じゃないじゃん臨終間近なのに、と私はリドル君の解答を解せないでいた。っていうかそもそも“掃除が行き届いていないから行くな”って理解の粋を越えているんだけど。
間髪無く言ってのけたリドル君を、じっと見上げた。するとリドル君は、少し斜め下を見て、片方の手を自分の顎に添えた。これがリドル君の、ものを考える仕草らしい。のかもしれない。


「でも……どうしてもって時は、そうだな。僕と一緒の時なら行っていいよ。」


一緒の時って貴方、女子トイレに来るつもりなの!?


ポーカーフェイスでナチュラルに変態発言ってどうなの。ねぇねぇどうなの。本当にどうなの。ファンの方々的には許せるむしろたぎる的な感じなの。


「ぅ、え……っと……いや、いいよ、うん。“どうしても”なんて、たぶん一生思わないだろうし……」


……何で若干疑うような目で見下ろしてんの。疑う要素ないでしょ。


「3階の女子トイレになんて、別に思い入れはないからね。思い入れがある人がいたら是非お会いしたいレベル、というか……」


そこまで言うと、少しリドル君は思案顔になった。
どこまでも整った顔立ち。


「3階の女子トイレへの思い入れ、ねぇ……」




―――何故、
そこをしみじみと言ったのだろうか。



ちょ、本当に、本当にこの人よく解らないんだけど。そしてそこまで言った後に、少し意味深げに鼻を鳴らす意味も解らないんだけど。しかしイケメンだから何をしても様になるという理不尽。


それにしても……もしかしてこの人、3階の女子トイレに思い入れでも―――?







なにそれそんなばかなそんな、そんなの変態じゃないか。
いや、もしかすると3階女子トイレに思い入れがある人を知っているだけかもしれない。きっと仲間なだけかもしれな―――いやいや“仲間”って要は変態じゃん。


私は若干動揺しながら急いでその考えを根こそぎ振り捨てた。あまり深入りしてはいけない禁断の領域な気がして。



「それはそうと、そろそろ離して頂きたく思います」


いつまでも壁に押さえつけられたままだと、苦しい。
リドル君は無言で手を離した。やはり謝罪の言葉はない。まあリドル君だしね。

いつもならここで終わりの筈だった。
しかし―――意外な事に、リドル君は私の肩を見詰めている。


「?」
「それ……もしかして、痛かった、かい?」
「―――!?」


私はもう、目を見開いた。
稲光のように。
その目は多分充血している。


これは意外どころの話ではない。相手への気遣いが垣間見える台詞だなんて、これは事件に匹敵するような事柄だ。


「いや……まあ、少し痛かったくらい、だし。」


するとリドル君は首を傾げながら斜め上を見て―――何だか試すような仕草で、自分の肩をグイグイと掴んでいた。








思わず笑った時に見下ろされた顔はそりゃあもう怖かったけど。


































         
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この温度差(笑)

何も知らない人にとっては
「この人変態なのだろうか」
となっても致し方無いですってリドルさん。


         
         

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