ムゲン

□彼にとっての“淋しい”
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曇り空の夜はとても深い。

私は湖の暗黒色に染まった水面を撫で、星ひとつない夜空を見上げる。そしてまた、冒頭と同じ感想を抱くのだ。
私は不意に、ホグワーツへ振り返った。様々な光で輝き、淡く、優しく、闇の中浮かんでいる。
ホグワーツから視線をずらし、ここ、船着き場へ続く長い長い階段を辿る様に視線を這わせ、やがて足元を見下ろした。足元には何もない事など解っていて、再び湖の、風に波立つ空との境界線をぼんやり眺めていた。



「淋しくなったのかい?」



左耳に届く心地よいテノールに、隣を見上げる。
そこには言うまでも無く、リドル君の姿。


……え?いやいや


「別に淋しくなんてなってないよ」


何を言い出すのだ急に、詩人?
残念ながらピンとこなかった私は、軽く焦る。
確かにセンチメンタルにはもってこいといった雰囲気かもしれないけれど……いやいやいや。

しかし私がそれ以上何も言わずハリのある返答をしなかったのはやはり、この夜の所為なのかもしれない。とも思うけれど、どうだろう。単に一日を終える疲れが成す技なのかもしれない。
私はぼんやりと、夜を見詰める。


「そう?」
「うん」


リドル君を見上げながら首を縦に振ると、「ふぅん……」と言われた。今何処に疑う要素があったのか私には解らない。この人は猜疑心の神か何かなんじゃないかと思う。
私は再び、湖と空の境界線を見ていた。ただ暗くて何も見えない空間に目を向けていた。




「淋しいのは、リドル君なんじゃないの」




―――は?
と、掠れた様な声が聞こえてしまった。
しかしそう口にしたいのは、むしろ私の方だった。何故そんなことを口にしたのかは皆目見当がつかない。
あ、
と思った。そうか私はやはり疲れているのか。


「それは―――」
「あ、いや、ごめん。何でもないって言うか、ただ“弾み”みたいな感じで、意味はないよ」


私は前を向いたまま、そんな事を言った。何だか言い訳のような口調で。
私は体の左側に、差すような視線またはじろじろと這うような視線を感じる。何故リドル君へ振り返らないのかというと、その目がまた例の厭ぁな目だったら嫌だからだ。だってもしそうならば怖いんだもの。

リドル君は何かを考える様に「ふん」と息を付くと、少し間を置いて口を開いた。


「“淋しい”だなんて愚劣な感情を抱くのは、弱者だ。そうだろう?」


え、ゑっ?そうなの?っていうか淋しい=愚劣なの?
私は余程疑問に満ちた顔をしていたのか、リドル君は


「珍しく何か言いたげな顔だね」


と声を掛けた。
いつも割と疑問に満ちている方だとは思うけれど、声を掛けられたのは初めてだと思う。だから私も、それに応えるように――なんて大袈裟だけど――いつも以上の事を口にした。


「淋しい、って感情は別に、人間誰しも持っているものだと思う。子供でも大人でも、当たり前に備わっている“感情”の一つなんじゃないかなーって、ぼんやりとだけど、そう思うよ。」


するとリドル君は、ハン、と鼻を鳴らした。おぉ……流石リドル君、見事に無遠慮。


「当たり前に備わっているだって?一人残らず全員にかい?」


リドル君はきっと左の口角を上げている。
嘲笑を含んでいる、筈なのに……なんだか、口調も声のトーンも落ち着いている。


「それならこの世はさぞ絶望的だね。」


ビクッと、
私は肩を震わせた。


声が怖かったとか、ゾッとしたとか、
そういう恐怖故の理由ではない。








―――頭を、撫でられたのだ。








「え……り、リドル、君……?」
「何?」



あまりにキョトンとした口調だった。
呆気にとられていた筈の私は、何だか気が抜けたのか、この謎行為を余り気にしない事にした。


「い、いえ……是非とも続けて下さいお願いします。」


リドル君はポン、と多分指先だけで私の頭を軽く叩きながら頷くと、再び続ける。


「つまりこの世は、愚劣な弱者どもしか存在しない事になる。無論魔法界だって例外じゃない。あのディペット校長も、妙な持論を貫くダンブルドアの狸も、やはり所詮は愚劣な弱者なんだ」


た、狸?
私はその辺を詳しく聞きたい気もした。しかしそれにしても今、私はとてつもない意見を耳にしている気がする。


「しかし僕は、そうじゃない。淋しいだなんて感情は抱かない。つまり……」


ふふふ、と籠ったような、喉を鳴らすような、低い低い含み笑いが地を這う。





「やはり僕は、特別な人間なんだ」




ひゅう、と風が吹いた。
水面が揺れ、どす黒い波がゆらゆらと揺蕩う。
その言葉は、私の“何か”を刺激した。


「今―――」


私は口を開く。



「一つ、分かった事があるよ」



私の声は静寂を破る。


「何だい?」


リドル君が、ゆっくりと問う。


「リドル君の理論で言うと、私は愚劣な弱者ってこと」


するとリドル君は少し目を丸くしたのち


「ふふふ、」


頭に乗せた手でそのまま私を叩いては、くすぐったく笑った。

その声は先程と一転して、何だか明るい。
リドル君は私の目の前に移動した。見上げると、フと目を細められた。まるで微笑のようだ。



「やはり“淋しい”んだね?」
「―――!」


予測に反して、リドル君に悟られてしまった。
私は急激に真っ赤になって、心臓を締め付けられたように苦しくなった。反射的に俯いて、混乱から声を失う。


「ほぅら、図星だ。」


意地悪な声。だけど、少し無邪気なものにも聞こえたのは、何故だろう。
私は何も言えないで、燃える様に耳まで真っ赤にしていた。

一枚上手なのは――当然と言えば当然だけど――リドル君の方で、今語ったものは、もしかすると、本心をなぞっているとは言え、「ムゲンは淋しいのだ」という確信を得る為のものだったのかもしれない。
おっかない。意地悪な人だと、奥歯を噛み締めたくなった。もう羞恥に耐えがたくて、叫びながらこのまま湖に沈んでしまいたい。溺死する前に羞恥に悶え死ぬ自信さえある。


「僕には全てお見通しだと、肝に銘じておくといいよ」


私はもうひたすら目をグルグルと回しては「馬鹿じゃないの、馬鹿じゃないの」と呟きながら真っ赤な顔を両手で覆っていた。普段なら絶対ありえない台詞だけれど、私は今、確かにリドル君に向け「馬鹿じゃないの」と言っているっぽい。
するとリドル君は


「―――はははっ」


聞いた事が無い声で笑った。
また、頭をポンポンと撫でられる。
本当に信じられない事に、“あのリドル君”が“楽しげに”笑ったのだ。げげげ幻聴だろうか。

私には解らない。何故彼が笑っているのか。
私をからかって嗤っているのだろうか?だってリドル君だものきっとそうだ。本当にそうだろうか?いやいやだてリドル君だし、そうだとして、何だこの畜生は……!


ただ、楽しげに笑うリドル君の表情は―――俯いていた私には、残念ながら見えなかった。





            

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