薄桜鬼ED後

□盆行事(明治三年八月)
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盆行事(明治三年八月)

第一章 迎え火@


明治三年八月‥‥

世の中が大きく変わっていく。
時代のうねりみたいなものを‥‥まざまざと感じさせられたこの数年は、心を削り、時を戦いに費やす‥‥まさに血にまみれた日々だった。

そして‥最終的に俺はひとつの大きな‥‥この国を根本的に変えてしまった戦に敗れた。
それは‥俺がガキのころから羨望してやまない侍‥‥というものが消滅した戦だった。
そのことについては‥‥戦が終わって一年ちょっとしか経たぬこともあり、まだ癒えることのない心の傷となって疼いている。

だが俺にとって侍以上に大切なものとなった‥‥あるものをかけた個人的な戦いには、なんとか勝つことが出来た。
その際負った深手の傷のせいで、俺は長い療養生活を余儀なくされたが、その傷も‥常に甲斐甲斐しく世話をしてくれた女‥‥千鶴のおかげで徐々に快方に向かっていった。
千鶴は‥‥すべてをなくした俺がたった一つ‥‥手に入れた大切なものだ。

千鶴を得て千鶴に請われ、生きる‥‥という新たな道を模索し始めた俺は、ようやく‥安寧の地を見つけて今新しい生活を営み始めている。
そして今は夏。
この北の大地では江戸や京とは違ってうだるような暑さが続くわけではない。
それでもいろいろ咎を背負った身には、それなりにきつい葉月の暑さである。

少しでも‥と‥涼を求めて縁側に座り、夕暮れ時の茜色の庭を見つめながら遠い過去に心を泳がせる。
昔のことを振り返るのは久しぶりだった。
今の俺には過去を振り返るヒマはない。
それどころか羅刹である身には明日すらもわからない。
今はただただ‥今日一日を暮らしていくことで精一杯なのだ。
そう広くもないこの家屋敷、そして共に暮らすたった一人の女と‥その女との生活を守るだけの日々。
新選組にいたころの方がもっと息をつくヒマもないくらい忙しかったし、大所帯の隊の命運を一手に受けていた責任の重圧も並大抵なものではなかった。
だがあの頃は‥‥俺の上には頼りになる近藤さんが居て‥‥周りには山南さんが表向きだけだが穏やかに佇んで‥‥あの三馬鹿連中がわいわい騒いで、総司が俺に嫌がらせまがいのことをして、それを斎藤が冷静にたしなめて‥‥。
あのころは他人が経験する何倍もの濃い日々を過ごしていたが、そういった仲間たちのたくさんの支えがあって‥‥新選組の土方歳三は成り立っていたんだと思う。
今はたった俺一人で、このごく小さな砦と大事な女を守っている。
俺にかかる重責も大きい。
だから‥死ぬわけにはいかないし、倒れるわけにもいかない。
しかし俺の体はいつ灰になるかわからない‥‥。
今日突然来るのか‥‥明日なのか‥‥。
底のない恐怖に不安を感じながら生きている‥‥というのが現状だ。

こんな不安定な生活だが‥‥悪いことばかりではない。
千鶴という女はとてもできた女で‥‥こいつと居るだけで俺はまったくこの生活に飽きる事はない。
この女を得ただけでも俺は運がいいのかもしれない。

日々の暮らし向きについては‥‥新選組時代にもらっていた相当な額の金は、死に場所を探していた俺には不要と蝦夷共和国時代にすべて提供してしまったから‥‥手元にまったく残っていない。
生き延びたあと‥‥まとまった手持ちがないのは厳しいが、ありがたいことに千鶴は蘭方医の娘で俺は元薬売りだ。
副長だの陸軍奉行並だの堅苦しい肩書きを脱ぎ捨てれば‥‥お互い似たような特技を持っていたことに今更ながら驚いた。
医療だけでなく漢方にも詳しい千鶴の父が娘の将来を思って、薬の処方の術をあますことなく教えていたので、それを最大限に生かしている。

俺たちの一日‥‥といえば、共に朝早く薬草を摘み出掛け、昼はそれを二人で調合し、俺が売りに歩く。
さらに医者の居ないこの地では‥千鶴程度の知識であっても重宝されるらしく、傷の手当てを頼む者や、具合の悪い者がしょっちゅう訪れては、代金や代金の代わりにといろいろな日用品を置いていってくれる。

これだけではやや不安だから、猫の額ほどの庭に小さな畑を作り、自分たちの食べる分くらいの野菜を育てて糧の足しとしている。
夜は陽が落ちるのが早いので‥行灯油の節約のために速やかに休む。

質素ですこぶる健全な生活。

まだまだ心許ないが‥‥当座はこれで何とかやっていけるだろう。
そんな本当にささやかな生活だが‥今はそれが楽しみすらある。

羅刹という‥業を負った身‥だが‥‥箱舘時代の無理が通ったのか?それとも‥‥この地の水が俺の身体に合ったのか‥‥以前に比べて日中起きていてもまったく厳しいとは思わなくなった。
だから‥働ける。
いや働けるうちに働いておかねばならない。

今は夏だからいいが、ここの冬は雪が酷く積もる。
おそらくそうなれば野菜も薬草も‥採ることは無理だろう。
それに‥‥俺がこの世界から消えたあと‥千鶴が生活に困らないように少しでも蓄えを多くしておかなければ‥‥
今のうちに精を出して収穫して‥‥そして‥‥

そんなことをつらつら思う己に‥思わず苦笑した。

なぜなら‥‥いくら豪農で裕福だったとはいえ‥‥俺が死ぬほど嫌で捨てたはずの百姓に近い生活で、現在生業を立てているという矛盾‥に気がついたからだ。

‥‥それも結構満足しながら‥‥。
変われば変わるものだ。
俺の口元に浮かんだ笑みを見て、不思議そうに小首をかしげながら千鶴が庭を横切っていった。
‥‥今日は盆の入りだということで‥‥準備に忙しいらしい。
去年仙台にて父親を亡くしているが‥‥去年の新盆はそれどころではない状態だったし、盆行事どころか迎え火すらやってやれなかった。
せめて去年の償いとばかりに粗末ながら供物を備える台を作ってやると、千鶴はたいそう喜んで‥‥庭で収穫した野菜や果実をつるで編んだ籠に入れて供えたり、野に咲く花を摘んできて粗末な花瓶に活けたりしていた。

そして今は‥‥庭で素焼きの皿におがらを折り入れて火をつけている。
パチ‥と音を立てながら白い煙が茜色の空に昇っていった。
それをたどって黄泉の国から鬼籍に入った者たちが帰ってくるという話だが‥‥それらしきものは残念ながら目に見えるわけではない。
千鶴の父親が天国‥とやらにちゃんと行ったかどうか判らないが、千鶴がそう信じているのだからそれでいいと思った。
もし‥‥本当に黄泉の国から帰ってくるのなら‥俺にも会いたい奴は‥‥たくさん居るな‥と‥‥非現実的な考えを頭に宿していると‥‥。

「へえ‥‥元気そうじゃないですか。なぁんだ‥‥残念だなぁ。」

ここで聞くことなどありえない声が‥俺の耳を突き抜けた。
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