薄桜鬼前半

□鬼の霍乱(慶応元年小暑)
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鬼の霍乱1
(慶応元年小暑)


「‥‥ったく‥よく降りやがる‥‥。」

ちょっと野暮用で出かけていた土方は、屯所に戻る途中に夕立にあってしまった。
今は梅雨の終わり。
雨の多い季節ではあるが、こんなに激しい降りは久しぶりである。
とりあえず小康状態になるのを待つため、商家の軒先で雨宿りをすることにした。
だが‥‥

「こいつは‥やみそうもねぇな‥‥ったく‥‥結構晴れ間が見えていやがったのに。」

空一面を覆う重苦しい雨雲に向かって、土方は悪態をついた。
街を行きかう人々も慌てて家路を急いでいる。
さすがにこれだけ猛烈に降れば、彼の端正な顔を気にとめる者は一人もいない。

土方も実は少し気が急いていた。

今宵‥‥組長格をはじめ隊士数人が床に臥せっている四番組を率いて、巡察に出ることになっていたからだ。
副長である彼が巡察に出るなど‥‥滅多にあることではない。

「てめぇの身体くらいちゃんと管理しやがれってんだ。」

彼の不満は‥そちらにも飛び火していった。

このところ‥屯所内では健康管理についてなにかと取り沙汰されていた。
以前は隊士の体についてそれぞれ自己管理に任せていたが、先日松本良順という医者に隊士の健康診断を委託したところ、隊士の三分の一が何かしらのケガや病気に罹っていることが判明した。
ここは病の見本市か!?‥‥とまで言われて面目丸潰れだった局長の近藤が、口酸っぱく屯所内を清潔に保つなどの衛生面を気をつけるよう心掛けはじめたおかげで、徐々に状況は改善されつつあるのだが‥‥まだ臥せっている隊士のほうが多い四番組のように、全快には至ってない。

「仕方ねぇか。」

屯所までは‥‥ここからなら走ればそう遠くはない。
ふと‥懐に手をやる。
そこには濡れないように油紙でしっかり包んだものが忍ばせてある。
大事そうにその場所を確認した土方は、意を決して通りに飛び出した。

ますます酷く降る雨。
時折ゴロゴロと不穏な音が空を駆け巡り、稲光が黒く重そうに垂れ込める雲を内側から照らし出す。
季節の変わり目には暴れ梅雨といって、とかく強い雨風や雷に見舞われることが多い。
おそらく近いうちに梅雨明けをするのだろう。
そんなことを考えながら、土方はひたすらぬかるんだ土を蹴って走り続けた。

ようやく屯所に着いたころには‥‥着物も袴もぐっしょりと雨を含んでズシっと重みを増していた。

「うわっ!‥土左衛門が川から上がってきたと思ったら‥なんだ‥土方さんじゃないですか?どうしたんです?まさか水も滴るいい男って言いたいためにわざわざそんな真似を?」

大きな水溜りを作りながら玄関に立てば、ちょうど通りかかった沖田がからかうように声をかけてきた。

「馬鹿言ってるんじゃねぇ。急に降ってきやがったんだよ。屯所を出たときは何とかもちそうな空だったからな。」
「そういえば‥梅雨の割には‥‥昼間は少し陽射しもありましたっけ。あぁ‥わかった!仕事人間の土方さんが非番の日にふらふら表に出たりするから、こんな大雨になっちゃったんじゃないんですか。」
「うるせぇよ。まぁ‥確かに今日は非番ではあったが‥‥これから夜の巡察に出なきゃならねぇんだ。」
「ああ‥‥松原さんの代わりですか?副長自ら巡察なんかしちゃったら‥‥浪士どもは亀のように首引っ込めて大人しくしてるでしょうよ。ま‥どっちにしてもこんな雨じゃ出てきやしないですけど‥‥。」

よりにもよってこいつに出くわすとは‥‥といった表情を浮かべた土方だったが、このままでは中に上がれない。

「無駄口叩いてんじゃねぇ‥‥そんなことよりなんか拭く物はねえか?」

ひと雨来るとぐっと気温が下がるせいか、少し肌寒さを感じるらしい。
土方がブルッと身を震わせた。

「そんな‥‥たまたま通りかかりの僕が持っているわけないでしょ。どうしてもって言うなら千鶴ちゃん呼んで持ってこさせますけど。‥でもそんな酷い濡れようじゃどのみち拭いたってしょうがないんじゃないですか?」

沖田が何か愉快なことを思いついた‥‥と言わんばかりの表情を見せた。

「いっそのことここで着物全部脱いで褌一丁になったらどうです?そのほうが屯所の中が濡れずに済みそうだし。」

ニヤニヤと猫のような笑みを浮かべる沖田は、明らかに土方の今の状況を楽しんでいる。
まさしく‥‥獲物をいたぶる猫そのものだ。

「あはっ!‥真っ裸の土方さんを見たら‥千鶴ちゃん驚くかな。よし‥‥千鶴ちゃーん!こっちおいで!今ならもれなくいいモノが見れるよぉ!」
「呼ぶなっ!‥‥もういいっ!庭から回ってくる!四番組の連中に暮れ六つに玄関前に集合と伝えとけ!」

そういい残すと土方は足早に庭に向かって去っていった。

「あーあ‥行っちゃた。もうあんまり若くないのに‥‥風邪ひいても知りませんよ。」

ニヤニヤ‥と口元に人の悪そうな笑みを浮かべて沖田は呟いた。
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