薄桜鬼ED後

□隣の芝生は良く見える?(明治三年正月)
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隣の芝生は良く見える?2
(明治三年正月)


しかし‥‥この地に来てからの千鶴の豊富な情報量にはいつも感心させられている。
日々どこで仕入れてくるのか‥‥ありとあらゆるさまざまな情報を俺に伝えてくれる。
たしかに俺はずっと臥せっていたから仕方ないとはいえ、女でありこの地域に根付いて間もない千鶴がこれだけの情報を得るには、相当な労力を要しただろう。
今や俺よりも千鶴のほうがすっかり情報通となってしまっていた。

「今年は‥良い年になるといいですね。」

千鶴が呟く。
俺たちはまだ正月の挨拶を交わしていない。
昨年は俺の部下や仲間が多数死んだのだ。
ひどい一年だった。
やはりおめでとう‥とは言えない。
言えるわけがない。

逆賊といわれた長州や裏切り者の薩摩‥‥だが今の世の中はその薩長の連中が帝を担ぎ上げて世の中を牛耳っている。
薩長だけじゃない。
土佐も‥‥その他官軍に寝返った諸藩も‥‥時代の波に押されるようにして明治という時代を迎えてしまった。
徳川の殿様や老中の連中ですら早々に戦意喪失して無血開城しちまった。
今は謹慎しながら新政府の顔色をうかがって生きているという話だ。
勝てば官軍。
どんなに極悪非道をかましてた連中であっても、この日本の正史は勝ち残った者が正当化される。
そうやって今までも歴史は紡がれてきたのだから。
薩長の黒い歴史は綺麗さっぱり拭い去られ、幕府軍は賊軍として扱われ、最後まで義を持って戦い続けた会津や新選組は後世の連中に愚か者として‥とうしろ指を指されるのだろう。

かまわねぇ。
俺たちは後の世の連中の評価が欲しくて戦ったんじゃねぇんだ。
俺らは俺らの‥‥信じるモノのために戦った。
‥最後まで意地を捨てられない連中が最後まで戦ったことを馬鹿だというなら‥‥大いに馬鹿で結構だ。
俺はそう考えている。
死んだことになっている俺のこんな考えが巷に広がることはないだろうが、今年一年で世論が少しでも‥‥義のために死んでいった者たちに労わりの心を持つようになってくれたら‥‥良い年だったと言えるのだろう。

と‥そこで俺は表情を曇らせる。

来年‥の正月も‥‥俺は千鶴とこのように言葉を交わせているだろうか。
もし‥‥この一年の間に‥命を使い切ってしまったら‥‥千鶴の前で灰にならないという確証はないからだ。

俺は羅刹の身である。
今ではすっかり吸血衝動がなくなり、日中の陽射しを疎ましく感じなくなったが、先日簡単な大工仕事をしていて手に軽い怪我を負ったとき、その傷は瞬く間に治ってしまった。
これには‥‥正直衝撃を受けた。
俺の体を蝕む羅刹の力は‥‥まだ‥俺の体を支配しているらしい。

やはり‥‥千鶴を抱くべきだという新八の‥言葉には従えない。
清い間柄だというのに共住まいしていることで夫婦になっていると幼稚な勘違いをしている千鶴には申し訳ないが、千鶴にはこのままずっと‥‥清いままで‥‥。
だが‥‥せめて‥‥俺が生きている間はどうか千鶴が幸せを感じてくれるよう‥‥笑っていられるよう‥‥願うばかりだ。

「ああ‥良い年になるといいな。」

約束してやることはできないが‥‥願いを口にすることぐらいかまわないだろう。
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