第二本棚

□▲東南の風
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「この季節…東南の風など吹くはずがない」


「何故そう言い切れるのですか、周瑜殿」


「何故…?諸葛亮殿はこの地域を調べていないわけではあるまい」


「えぇ…」






幕舎の中が静まりかえった。
先程までは気付かなかった虫の声が聞こえてくる。
諸葛亮は溜め息ばかりつく周瑜を見つめた。
「あまり気に病みますと、躯に毒ですよ」
「確かにそうだが…しかし今はそれどころではない」
炎に照らされた端麗な顔は、明らかに憔悴していた。
魏との大戦を目前に控え、寝る間もなく策を練り続けているのであろう。
「戦の直前に指揮官が倒れることほど、恐ろしいことはありません。貴方は少し休むべきです、周瑜殿」
諸葛亮は卓上の地図を丸めようと手を伸ばすが、その腕を周瑜が掴んだ。
弱い力だった。
「諸葛亮殿とはいえ、勝手は許さん」
「周瑜殿」
「私以外の誰が策をたてるというのだ。あの魏の大軍を打ち破る策を」

再び静けさが訪れた。
幕舎の外からは歩硝が呼び交す声が聞こえてくる。

重い沈黙を破るように、薪がはじけた。

周瑜は諸葛亮の腕を離し、何度目かわからない溜め息をついた。
「風だ…風が必要だ。火を以て敵に臨むならば、我等に有利な風が必要…。東南の風が吹かなくては…」
殆んど独り言のように言うと、周瑜は湯を飲もうと卓を離れようとした。
瞬間、目の前が揺らぐ。



………



諸葛亮の声で視界が整った。

「周瑜殿」

上から落ち着いた呼び掛け。
見上げると綺麗な瞳が見下ろしていた。
躯が温かいのは、彼に躯を支えられているからだった。
「少し休みましょう…周瑜殿」
「…ならん…。私が立たねば…」
諸葛亮の躯を押し退けようとするが、強い力で引き寄せられる。
「貴方は一人で気負いすぎなのです。もう少し誰かを頼ってください」
言い聞かせるように、瞳を捉えて言う。
周瑜の瞳が揺れる。
「風は私にお任せを。貴方は何も案ぜず、お休みください」
「しかし…」
なおも抗議の目を向ける周瑜の髪を、なだめるように撫でる。
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