□風邪
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稀代の大罪人、藍染惣右介が黒崎一護や浦原喜助によって封印され、無間へ投獄されてから数ヶ月。
尸魂界も徐々に落ち着き始め、常と変わらぬ平穏な日々に戻りつつあった。
とは言えまだ藍染達が残した爪痕は深く、空いた三、五、九番隊隊長の席は仮面の軍勢が復帰するのではないかと噂されてはいるもののまだ埋まらず、他の隊が仕事を受け持っている状態ではあるが。

そんなある日、平素と変わらず淡々と執務室の机に乗っている書類をこなしていた白哉が、唐突に筆を動かす手を休めた。
書類の束の一番上に乗っていたものに素早く目を通す。
一瞬思案すると、壁にかかっている時計に目を向け、次に副官に目を向けた。
恋次は執務室にある過去の資料と今回の書類を照らし合わせてなにやら格闘しているようだが、束は既に薄くそう時間はかからなそうであることを確認すると白哉は立ち上がった。
「恋次」
「はい?」
突然呼びかけられた恋次が慌てて振り返る。
「今日はもう帰宅する。残っているのは明日以降に仕上げればいいものだ。終わったものは各隊に届けておけ。あとは任せた」
「え?あ、はい」
白哉が仕事を全て片付けないうちに帰るなどあまりにも珍しいことだったので、恋次は一瞬返事に詰まった。
まさかどこか具合でも悪いのだろうか。
恋次がそう考えたのと、部屋から出るために数歩進んだ白哉の体が前方に傾くのはほぼ同時だった。












朽木白哉が風邪で倒れた。
それは私にとって信じられないほどの衝撃だった。
恐ろしく強くて、完璧に見える彼が風邪をひくなどと誰が考えられようか。
しかし、ここ最近の激務であまり朽木邸に帰って来ていないことに加えて、兄様は屋敷に戻った日の夜中には何処かへ赴き、明け方に帰ってくることがよくあったことを私は知っている。
きっと寝る間を惜しんで鍛錬していたのだろう。
現にそれは一護が尸魂界に来てからのことだった。
睡眠が足りない上に、無茶をして疲れを溜めていれば誰でも風邪をひく。
今更ながら知っていたのに、私が口を出していいことではないとひきとめなかったことが後悔される。
本当に恋次が兄様を背負って帰ってきたときには心臓が縮み上がる思いだった。

『どうしたのだこんな遅くに恋……兄様!?どうなされたのだ兄様は!!』
『わかんねー。いきなりぶっ倒れちまって。熱もあるみてーだし慌てて連れて帰ってきたんだけどよ……』
『倒れた!?兄様が!?そ、それで四番隊には行ったのか?』
『あ、まだ』
『莫迦者!急いで行くぞ!』

結果はただの風邪。しかし加えて睡眠不足と疲労の蓄積による貧血もあり、長引きそうだったのでしばらくは安静にすること、と虎徹副隊長には言われた。
と言うわけで本当に久しぶりに兄様は昼間だが自室にいた。
偶然私も仕事が休みだったのでどこかに出掛けようかとも考えていたのだが、兄様が心配だったので家に居ることにした。
それにまともに顔も合わせられないほどお互いに忙しかったのだ。不謹慎ではあるが折角話せる機会を不意にはしたくなかった。
しかしいざ兄様の部屋の前に立って気がついたが、今兄様は体調をくずしているのだ。私のせいで無理をさせることになってはいけない。
ここは邪魔をするわけにはいかないだろう。それにもし寝ていたら起こしてしまうことになる。
だが自分が風邪をひいたときのことを考えると、誰かが近くにいるだけで安心した。
果たして兄様もそう考えるかはわからないが、だとしたら……。
などと暫く襖の前でモタモタしていると、ふいに中から声が聞こえた。
「ルキア。そこにいるのだろう」
霊圧か気配か、兄様は私に気が付いた。なんだか少し気恥ずかしくなる。
「何か用があるなら入れ」
兄様の声が続く。
はい、と返事をして意気込んで襖を開けた。
「失礼します」
一般的な個室から比べると広いであろう部屋の、やや縁側近くに布団は敷かれていた。
縁側つながる障子は少し開いていて、入りこんでくる風が薄ら寒い。
それよりも驚いたことに、兄様はその布団の上で半身を起こし読書をしていた。
私が入ってきたときもチラッと目を向けたもののすぐに本に視線を戻した。
まだ熱は下がりきっていないはずだ。私は慌てた。しかし慌てたのがよくなかった。
「兄様!風邪のときに読書をするなんて……。ちゃんと布団に戻られてください!」
そういって私は縁側の障子に近づいて手を伸ばす。
「それにこんなに寒い部屋では余計風邪が悪化してしまいます」
勝手に障子を閉めてハッとした。顔面蒼白になるとはまさにこのことだ。
なんてことをしてしまったのだろう。
つい、昔恋次や仲間たちが風邪をひいたときを思い出し、そのように接してしまった。
後悔やら羞恥やら恐怖やらで後ろを振り返れない。
だがずっとこうしているわけにもいかない。恐る恐るゆっくりと振り返った。
立っている私を見上げていた兄様とばっちり目があってしまった。
表情は変わらないが、どこか驚きの色を感じた。
視線を逸らしたい。だがそれは出来なかった。何か逸らしてはいけないような気がした。
先に兄様が視線を外す。
その目に驚き以外の何かを感じたが、それが何だったのかはわからない。
「……それもそうだな」
上体を起こしていたせいで、めくれていた掛け布団を元に戻して兄様は横になった。
私はそのまま二、三歩近づくと、その場で正座をした。
「……失礼しました。出過ぎたまねを……」
「構わぬ。それにお前の言ったことは正しい」
本当に気にしている様子はないような口ぶりだった。気配からもそれが伝わってくる。
ほっと胸を撫で下ろすとともに、もう少しここにいてよいのだろうかと思う。
きっと兄様は咎めたりはしないのだろう。
迷っているともう一度兄様と目が合った。
ふと双殛の丘での記憶が思い出される。兄様がすべてを打ち明けて、私が初めて兄様を本当の意味で真正面から見据えた日。
「最近」
唐突に兄様が口を開いた。記憶を辿っていた頭が、現実に引き戻される。
「忙しかった故、こうする事がないと退屈でな」
性格的に風邪とは言えせっかくの休みを怠惰に過ごそうなどとは考えられないのだろう。
私は黙って頷いた。
「ルキア」
「はい」
「以前に四番隊の総合救護詰所にいたときにお前が現世の話をしただろう。あのあと話をする機会は無かったが興味がある……」
ピンときた。もしかしたら兄様も私と同じ様に、あの日のことやその後のことを思いたしていたのかもしれない。
「はい。あのあとまた現世に行きましたし、沢山お話したいことがあります。是非お話させてください」
笑顔で言うと兄様は頷いた。
その顔は微かに微笑んでいるようにも見える。
今は夕方だ。きっと外はいつもと変わらない美しい尸魂界の夕焼けが広がっていることだろう。
障子は閉じているはずだが、いつかの日と同じ夕日が差し込んだ気がした。
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