七月七日。御存知の通り、七月七日は七夕である。天の川に隔たれた織り姫と彦星が、年に一度の逢瀬が許されている日。笹の葉に願いを書いた短冊を吊す日。高尾にとって、七月七日とはただそれだけの日だった。織り姫と彦星が無事に会えたかどうかに対する関心も皆無だし、短冊に願いを書くこともしばらくしていなかった。





だから、今年の七月七日も、なんの感慨も無いただの平凡な一日になって過ぎていく筈だった。


…そう、なる[筈]だったのだ。






「真ちゃん! なんで今日が誕生日だって教えてくんなかったんだよ!」





部活の後。早々に自分だけ部室を出て駐輪場に向かった緑間を追ってきた高尾は、人目も憚らずに声を張り上げてそう言った。その表情は、試合中のように真剣なものであり、部活を終えた後にしてはあまりに相応しくない面持ちであった。



突然のことに目を見張った緑間だったが、すぐにいつも通りの仏頂面に戻って眼鏡のブリッジを上げた。





「…誰から聞いたんだ?」
「マネージャーだよ!」





平凡な一日になる筈だった今日は、件の七月七日である。今年も特に普段と変わりなく、今日という日を終える筈だった。それを突如突き崩したのは、バスケ部のマネージャーからの何気ない一言だった。





『そういえば、今日緑間君の誕生日だけど、高尾君もうおめでとうって言った?』





おめでとうどころか今日が誕生日だということすら知らなかった高尾は、教えてくれたことに対するお礼もそこそこに、大急ぎで緑間を追いかけて来たのである。



情報源を知り、緑間は納得するように頷く。確かにマネージャーなら、部員名簿に接する機会も多い。知っていてもなんら不自然ではない。





「成る程…別に、わざわざ教えるようなことでも無いだろう」
「いや、そこは教えてよ! オレら恋人っしょー!?」
「いちいち喚くな、鬱陶しい」






あくまでも淡泊な物言いの緑間に、高尾はただただもどかしさを覚える。緑間が元々こんなのなのは誰よりも理解していたつもりだったが、やはり恋人同士である以上、誕生日などのプロフィールは直接教えてほしかったのだ。




こうなる前に、自分から聞いておくべきだったか…と高尾は少々悔やんだが、しかし事前に問いただしたとしても、緑間が素直に教えてくれたとも思えなかった。寧ろ、くだらないと一蹴されたかもしれない。


でも、だからと言って、第三者を挟んで知りたくはなかった。高尾は、子供じみた拗ね方だと分かっていても、蟠りを抱えずにはいられなかった。





「…高尾。何を拗ねているのだよ」
「…べっつにー」
 




心境を見透かされ、高尾はバツの悪そうに目を逸らした。人の心情に鈍感な緑間が気付く程、今の高尾は感情が如実に顔に出てしまっているらしい。






カッコ悪いとは、自覚はしている。たかが誕生日を知らなかっただけ。教えてもらえていなかっただけ。たったそれだけなのに、高尾はこんなにもモヤモヤとしている。自分らしくないと分かっていても、胸中を燻る苛立ちにも似た感情を上手く昇華することが出来なかった。





「…真ちゃんはさー、誕生日、誰かに祝ってほしいとか思わないわけ?」





苛立ち。蟠り。そして幼心。それらを綯い交ぜにしてみると、なんとも嫌味っぽい物言いになってしまった。それに、よくよく思い返してみれば、これでは緑間を寂しい奴だと認識していたと本人に示唆しているようではないか。



高尾は己の発言の軽率さをひどく悔いたけれど、出ていった言葉はもう戻らない。こうなってしまえば、緑間が機嫌を損ねないよう神様に祈るのみである。七夕だから、神様よりも織り姫と彦星に祈った方が御利益がありそうなものだが。





そんな祈りが通じたのかなんなのか、緑間は特に気分を害された様子は見せなかった。





「祝い事は嫌いではないが、それが自分のものとなると特にどうも思わないのだよ」
「うわー…真ちゃんって家族から祝われさえすれば満足しちゃうタイプ?」
「満足というか…家族が祝ってくれればそれで充分ではないのか?」
「んな寂しいこと言わないでよ真ちゃん!」





意地悪く嫌味のように投げ掛けた言葉だったのに、それに対してあまりに真面目な解答が成されたため、高尾は少し焦った。冗談抜きで、緑間は誕生日を軽視している。高尾という恋人が目の前に居るのに、祝われたそうに振る舞うことも無い。いやそれどころか、高尾の言葉一字一句に対して疑問しか抱いていない。何をそんなに必死になっているのか…と。






これはもう、拗ねている場合ではないと高尾は考えた。このまま緑間の見解を聞いていては、祝福する前に緑間の誕生日が終わってしまいそうだ。比喩ではなく、言葉通りの意味で。






「んじゃ、今年は家族に祝われる前にオレが祝ってやるよ」
「? 家族からは既におめでとうと言われたが」
「そういう意味じゃなくて!」






なんだろう…これは、わざとやっているんだろうか。元々緑間のことを『ツンデレっ子』とか『不思議ちゃん』と認定していた高尾ではあったけれど、今日はその印象に拍車が掛かっているように思えてならない。




誕生日とは、祝われる本人のネジを一本か二本ぐらい抜いてしまう魔力を秘めた日だっただろうか。高尾は結構本気で、そんなことを考えた。







「そうじゃなくて」をもう一度繰り返し、高尾は緑間の頬に手を添え、意識が自分から外せないようにする。突然自分に触れてきたというのに、緑間はその手を払いのけることはしなかった。高尾に触れられて嫌悪感を抱かない程度には、緑間は高尾に気を許し、そして好きでいる証拠である。





しかし、自分に意識を向けられたいのなら、わざわざ頬に触れる必要は無い。手に触れるだけでも充分にその目的は果たせるだろう。しかし高尾がそうしなかったのは、緑間が手を――具体的に言えば指先をなにより大事にしていることを、誰よりもよく知っているからだった。





「誕生日パーティーとか、そっち系だよ。帰る前に、二人でパーティーしようぜ」
「必要ないのだよ」
「いーじゃん、オレがしたいんだから」





はいけってーい、と勝手に可決し、高尾は両手を後頭部で組み、満足げに笑ってみせた。緑間の意見をガン無視しているが、そういえば高尾は元来こういう性格だった。こんな性格だからこそ、緑間と難なく接せられるのだろうが。




緑間も緑間で、決して長くなくとも高尾とはそれなに濃い付き合いをしてきたものだから、そんな彼のリズムは熟知していた。だから、無碍に突っぱねても彼が引き下がらないことは目に見えていた。





「…仕方無い。付き合ってやるのだよ」





だから緑間は、突っぱねることを諦めた。諦め、受け入れることを選んだ。しかしそれは、単純でありふれた諦観のみでの甘受でもなかった。高尾が食い下がらないのを理解しているというのも勿論、理由の一つではあるのだけど。






それでも、やはり――自分の誕生日を祝ってくれる恋人がいるという事実が、緑間はただ単に嬉しかったりもするのだ。









だから緑間は、高尾の決定を甘受した。受け入れた。








しかし、緑間の性格上、それを素直に口に出すことは有り得ない。だから高尾からすれば、『緑間が高尾の言葉に押し負けた』という認識にしかならないのである。言葉が足りないというか少ないというか…いやはやなんとも、この二人らしい。






「じゃ、このままどっか行くか。まぁファミレスぐらいしか無いけど。あ、勿論今日はオレの奢りな! ケーキも頼んでいいぜ」
「フン。それぐらい当然なのだよ」
「なんだよ可愛くねーの。…あ、でもオレプレゼントとか用意してねぇや」





しくった、と高尾が苦い顔をする。しかししくったも何も、今日が誕生日だと知ったのはついさっきなのだから、用意出来ずにいたのは当たり前なのである。失念を恥じる要素はどこにも無い。



無論緑間も同意見であったため、「プレゼントなど必要ないのだよ」と言ってのけた。しかしその言葉に、高尾はなんだか不満そうに唇を尖らせた。





「なんだ?」
「だってさー、せっかく真ちゃんと付き合って初めての誕生日だってのに、なんも記念になるもんやれないなんて嫌じゃん」
「俺は困らん」
「バッサリだな!」
「……高尾」





今度は、緑間が高尾に触れる番だった。触れる、とは言っても、緑間の指が遠慮がちに高尾の制服の裾を引っ張っただけなのだが。





「…真ちゃん?」
「………俺は、お前が居てくれれば、プレゼントなんてどうでもいいのだよ」
「………はぇ!!?」





突然頭角を見せた緑間のデレに、高尾の口からなんとも意味不明な奇声が漏れた。緑間本人は特に意識してそう言ったようではないようで、表情はいつもと変わりない。変わりなさすぎて、それが逆に違和感を醸し出しているのだが。



表情が変わらないでも、裾を引く指は、遠慮がちでありながらいつもより一生懸命に見える。思考回路がショートしてしまいそうな高尾にも、それは認識出来た。








珍しい――というのが、高尾の素直な意見だった。いつも女王様のように好き勝手なことばかりするし言うしで、他人になかなか本音を口にすることの無い緑間なのに。その彼が、こうも真摯に(?)自分の心中を吐露してくるなんて。










誕生日パワーってすげぇ。高尾は思考の片隅でそんな馬鹿げたことを呟いた。






「高尾? どうした?」
「うえっ!!? あっ、やっ、なんもない!! 大丈夫大丈夫!!」
「…おかしな奴だな」






フッ…と、緑間が僅かに表情を崩した。いつもいつも難しい顔をしているから、こんな風に口角を弛ませるのは本当に稀有なことだ。今のやり取りの中のどれに、緑間の表情筋を弛緩させる要素があったのか分からないが…滅多に見れないその顔を見られたから、高尾にはもう理由なんてどうでも良かった。






「…っも、真ちゃん、可愛すぎ…」






ここが外じゃなきゃ絶対押し倒してるよ…と、緑間にも聞こえない程の小声で呟く。恐らく熱を孕んで赤くなっているであろう顔を片手で覆い、呟きを掻き消すように盛大な溜め息を吐いた。





緑間はというと、先の「可愛すぎ」という意味が分からず、眉を顰めた。そのせいで、またいつもの仏頂面に戻ってしまった。






「俺が可愛いわけないだろう」
「や……もう、いいわ…」






幾分か落ち着いたらしい高尾は顔から手を離す。若干赤みは残っているが、それもすぐ引くだろう。





「分かった。じゃあとりあえず今日のところは、プレゼントはオレってことで」
「そういう言い方だと別の意味に聞こえるのだよ」
「あ、なになに真ちゃん。そういうのがお好み?」
「黙れバカオ」
「ひでぇ!!」






軽口を叩きながら、二人はチャリヤカーに乗り込む。いつも通り、高尾が自転車を漕いで、緑間はリヤカーに乗り入れる。最早ジャンケンをすることも無くなった、二人のスタイル。





校門を抜け、車道を走る。交通量が皆無であるため、車とすれ違うことは無い。すれ違うといえば、歩行者か自転車くらいだ。






「あ、そうだ」







シャカシャカとペダルを漕ぎながら、高尾が声を上げる。その声に、緑間はラッキーアイテムの手入れをしていた手を止め、高尾の背を見上げた。





「なんだ?」
「や、そういえばまだ言ってなかったなーって思って」
「だから、なにをだ?」
「決まってんじゃん」





高尾は緑間の視線に気付いていたが、敢えて振り返らなかった。前方不注意は思わぬ事故に繋がることを危惧していたのもあるが、何よりも――面と向かってそれを伝えるのが、なんとなく恥ずかしいというのが、高尾の明かされぬ本音だった。







だから、高尾は前を見据えたまま。すっかり陽が落ちるのが遅くなったため、まだ明るい車道を眺めながら、高尾は言った。







「誕生日おめでとう、真ちゃん」

















FIRST BIRTHDAY
(………)
(…なんか言えって)
(…何を言えというのだよ…)







まだ七月中だからセーフだと言い切る(アウトたよ)。


この後二人はちかくのファミレスに入って誕生日祝うんですよ。そして緑間がイチゴのショートケーキ頼んでそのチョイスに高尾が悶えてればいい(^q^)←








栞葉 朱那

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ