※最後の方にちょっとだけRな描写があります。











幼い頃、実験をしたことがある。百足の習性を利用した、とある実験。




水槽に砂を敷き詰め、中央に一本の棒を突き刺す。準備はたったのコレだけ。そしてその中に、一匹の百足を投入することにより、全てのお膳立ては整う。






水槽に入れられた百足は中を徘徊し始め、やがて刺さった棒を見付ける。そして餌を求めてだろう、それをせかせかと登っていく。


しかし、そこまで長くない棒だから、百足はすぐてっぺんに到達してしまう。行き止まりにぶつかった百足は一体どうするかというと…そのまま、棒から体の半分を宙に投げ出し、何本もの触角と足で宙を掻くのだ。百足はバックが出来ないし、そして何より、それが百足に擦り込まれている絶対的な本能なのだ。だから、前に進むことしか出来ない。しかし前に進むための道は、既に無い。それでも百足は、続きの無い高見を目指し、探している餌を求めて、必死に宙を掻くしか無いのである。





そのままの状態で放置すること、一日…二日…三日…四日…幾日も、百足をそのままにしておくと、どうなるのか。








――百足は、そのままの体勢で、餓死してしまう。虚しく宙を掻いていた触角と足では結局何も掴めないままに、宙に体を投げ出し、晒した状態で、命を落とすのである。あれだけ必死に求めていたというのに、何も得られないまま、誰からも何も与えられないまま、その命を散らすのだ。









どれだけ渇望しても、与えられなかった哀れな百足――あの百足の姿が、今の俺に、とても真摯に突き刺さってならない。それしか能がないかのようにただ手を伸ばして、何かを与えられることを待ち望んだ、あの哀れな一匹の百足に、今の俺が重なってしまってしょうがないのだ。





「どこがだよ」





俺の話を静かに聞いていた破天荒は、呆れたような、そうでないような…そんな表情でそう言った。あまりに当然の反応に、俺は小さく笑みを零した。




「お前が何に餓えてんのかは知らねぇけど、少なくともお前は、求めてるもんを手に入れてんじゃねぇのか?」
「うん、確かに、ある程度はね。強さとか、気の置ける仲間とか…破天荒からの愛とかね」
「おい、最後のをある程度に含むな」




ちゃんと与えてやってんだからよ、と言われたかと思ったら腕をグイッと引かれ、そのまま破天荒の膝の間にポスっと座らされた。お腹に破天荒の腕が回されて、後ろから抱きかかえられる形になる。その上頭に破天荒が顎を乗せてきたから、俺はいよいよ身動きが取れなくなってしまった。



けど、背中に伝わる破天荒の鼓動とか、頭上から聞こえる破天荒の息遣いとか、回された腕から伝わる破天荒の体温とか…その全部に安心出来て。




その安心感を噛み締め、俺はフゥ…と溜め息を一つ吐いて、体重を破天荒に預けた。それによって頭から顎がズレて、破天荒はそのまま俺の顔を覗き込んできた。




「なんだよ、元気ねぇな」
「別に、そんなことないよ」
「いーやあるね。お前がこんな素直とか有り得ねぇ」
「失礼だな。俺だって甘えたい時くらいあるんだよ」




胸元に頬を擦り寄せて息を一つ吸い込む。鼻孔いっぱいに広がる破天荒の体臭と香水が混ざり合った香りに、また一つ安心を積み重ねる。






俺が破天荒の誕生日にプレゼントした香水。律儀にずっと使い続けてくれているお陰で、破天荒の体臭は今やすっかり俺色に染まっていた。俺のガキ臭い独占欲によって成されたプレゼントだったけど、それを破天荒は笑顔で受け入れてくれた。


だからこの香りを嗅ぐと、破天荒は俺のモノなんだって実感出来る。破天荒を独占出来ている気分になれる。…破天荒はきっと、俺がこんな風に思ってるなんて、微塵も考えちゃいないだろうけど。





「さっきの続き」
「ん?」




安心感でほわほわしていると、胸元にもたれ掛かる俺の髪を撫でながら、破天荒が問い掛けてきた。




「なんでその百足が、今のお前に重なるって話しになるんだ? 俺には全く分からねぇんだけど」
「んー…俺さ、足りないの」
「なにがだ?」
「破天荒からの愛が」




破天荒の左胸――心臓の辺りにペタリと手をくっつけて、脈打つ鼓動を直に確かめる。トク…トク…トク…。




「俺は、もっともっと破天荒から愛されたい。破天荒から愛されてるって実感したい。この気持ちを噛み締めたい。…でもね、破天荒が今与えてくれてる愛じゃ、俺は、全然足りないんだ」




破天荒に好きって言ってもらえる度に。

愛してるって囁かれる度に。

身体を重ねる度に。





そこから滲み出す破天荒からの愛情は、まさしく自分を好いてくれているが故のもの。それをしかと感じ、しっかりと噛み締める日々。与えられる愛情が変わらないことに歓喜し、自分も同等の愛情を返そうと奮起する日々。





しかし、そうやって愛情を与えて与えられてを繰り返していても、俺の心はいつもどこか満たされない。まるで与えられたそばから、愛情がするすると抜けていってしまっているかのように、完全に満たされるに至らない。隙間を埋めてしまいたくて、破天荒からの愛情を求める。けど、どれだけ求め、それが与えられても、満たされるには…絶対的に、足りないのだ。







求めて、求めて、求めて…なのに自分が満足出来るだけの愛情は、手に入れられない。







必死に求めているのに、手に入らない――それはまさしく、あの百足が歩んだ末路に他ならない。だから、あの百足の姿を思い出すのは、あの百足に自分の姿を投影するのは、致し方ないことだ。




「…お前、そんな貪欲な奴だったか?」




しばしの沈黙の後、破天荒はそう言った。その声音はひどく優しいものだった。呆れられたんじゃないか…と少々不安に思っていたんだけど、どうやらそれは杞憂だったらしい。




だけど、破天荒の言葉は尤もだ。俺はいつから、こんなに貪欲になってしまったんだろう。破天荒と付き合う前は、こんなに愛情に餓えるようなことは無かったのに。…でも、こうなってしまった理由に、心当たりが無いわけじゃないんだけど。





「多分、破天荒のせいだよ」
「は? 俺?」





いきなり自分のせいにされたのが不満なのか、破天荒の声があからさまに低くなった。しかしそんなこと意に介さず、俺は言葉を続ける。




「破天荒が、そうやって俺をいっぱいいっぱい愛してくるから、俺がどんどんそれに溺れちゃったんじゃないか」
「は……は?」
「破天荒が、いっぱいいっぱい俺を愛してくれるから、俺もいっぱいいっぱい破天荒を愛したいの。でも、そうやって破天荒に愛され続けててさ…それだけじゃ、満足出来なくなっちゃったんだよ」





破天荒に愛される度、破天荒のことが好きだって実感させられて。


破天荒も、俺のことが好きなんだって実感出来て。




そうなると、もっともっと愛したいって考えちゃったし、もっともっと愛してほしいって思っちゃった。愛してる実感が欲しかったし、愛されてる実感が欲しかった。




「一を与えられたら、二が欲しくなる。二を与えられたら三が、三を与えられたら四が…ってな具合に、俺は、上限が分からなくなっちゃったんだよ」
「へぇー。…お前がそこまで俺のこと好きだったとか、初めて知った」
「うん、今初めて言ったからね」
「可愛い奴め」





項に小さなキスを落とされて、その僅かな刺激に体が震えた。そのまま何度も何度もキスされて、幾度目かのキスの後、そのまま首筋に強く吸い付かれた。





ダイレクトに伝わる唇と舌の感触と、わざとらしく這わされた舌が鳴らす唾液の音に、体は過敏に反応してしまい、そのせいでまた体が震え、口から熱い吐息が漏れた。こんなことで快感を拾ってしまう浅はかさに羞恥心が込み上げてくる。が、そもそも俺をこんな風にしたのは破天荒だ。破天荒は分かってて、こんな刺激を俺に与えてくる。




でも――これも、破天荒が与えてくれる愛情の一種だって分かってるから。




俺は振り払わない。抵抗しない。甘んじて受け入れ、それを噛み締める。







コップを水で徐々に満たしていくように、俺の心も少しずつ満たされていく。しかしそれは完全に満たされる前に、供給を止められてしまう。満足する前に、破天荒の唇が首筋から離されたためだ。残ったのは、恐らく確かな存在感を成してしまっているであろうキスマークと、中途半端な空虚さだけだ。




「破天荒…」
「なんだ、足りねぇのか?」
「うん……足りない…足りないよ、破天荒…」





足りない、足りない。全然足りないよ。お前が全然足りないよ。このままじゃ俺、おかしくなっちゃう。お前が好きすぎて、気が狂いそうだよ。





お願い、俺に愛を頂戴。いっそ溢れてしまうまで、俺にお前の愛を頂戴。満たされないまま、俺が餓えて、その果てに死んでしまう前に、お前で俺をいっぱいにしてよ――







「欲しいなら、」





破天荒の手が俺の服を捲り、素肌に直に触れてくる。火傷してしまいそうな程に熱を持ったその感触に、「ぁ…」と吐息とも声とも判別し難いものが自分の口から漏れた。



ゆっくりと腰のラインをなぞるその動きがじれったくて、恨みがましく破天荒を見上げた。視線の先に映った破天荒は、イタズラを思い付いた子供のような顔をしていた。





「求め続けてねぇで、落ちてくれば良かったんだよ」
「え…?」
「百足だよ」





腰を蠢いていた手がいきなり胸元へ這い上がり、そのまま胸の突起を摘まれた。突然の強い刺激に、はしたなく欲に濡れた声が上がる。破天荒の服をギュッと握って、ギュッと目を閉じて、その刺激に耐える。破天荒は胸の突起に愛撫を施しながら、言葉を続ける。





「宙を掻き続けるくらいなら、棒を掴む手を離せば良かったんだ。そうすりゃ、求めるものを探しに行けたんだ。求めるだけじゃ手には入らないなら、自分から動くしかないんだよ」
「あっ…は…」
「落ちた時、ちょっと痛いかもしれねぇが…痛みを伴わないで何かを得るのは、決して楽じゃない。だったら、その痛みぐらい許容しなきゃいけねぇよな」





突如、愛撫が止まった。そのまま服の中から手を抜かれ、ついさっきまで感じていた温もりが急速に引いていく。断続的な刺激が無くなったことにちょっと安堵の溜め息が漏れたけど、こんな中途半端に高められた状態でこのままお預けとかされたら、それはただの嫌がらせとしか思えない。





「ほら、ヘッポコ丸」
「え…?」




手を取られ、何かを促される。そろっと目を開けて、もう一度破天荒を見た。今度の破天荒は、普段じゃ考えられないくらい、とても優しい顔をしていた。




「欲しけりゃ、ねだれよ。百足みたいなちっぽけな存在と、お前は違う。本当に欲しいんなら、ちょっと痛いぐらい我慢出来るだろ? ただ求めるだけで得られないなら、自分から奪いに行くしかないんだよ」





ただ求めるままで終わるのか、求めて行動を起こすのか…。






どっちを取れば、この渇望を解消することが出来るのか。考えなくても、分かってる。だけど、恥ずかしさばかりが先走ってしまい、なかなか言葉が出ない。体が動かない。さっきまであんなに赤裸々に告白を続けていたというのに…全く、おかしいったらない。





…あぁ、なるほど。これが、求めるが故に伴う痛み…ってことになるのか(ちょっと違うか?)。




「ほら、どうしてほしいんだよ」
「………」




そんなこと、分かってるはずなのに、破天荒は意地悪く問い掛けてくる。この男は、あくまでも俺にそういうことを言わせたいらしい。





再度促すように引かれた手。自分の頬に添えるように押し付け、何かを催促する。意図を理解し、また込み上げてくる羞恥心。けど、こちらから何かアクションを起こさない限り、これ以上は何も与えてはくれないのだろう。








――求めるだけで得られないなら、自分から奪いに行くしかない。




――俺は、奪うための手段を、知っている。





「…っは……」





力の入らない体に鞭を打って、身を起こす。破天荒の頬に添えられた手を後頭部まで回し、そのまま自分の方へ引き寄せる。


必然的に近くなった唇に、自分の唇を無遠慮に重ねた。もう数え切れない程に重ねてきた唇。それが意外に柔らかいことを、俺はとっくに知っている。閉じたままのそこに触れるだけのキスを幾度か繰り返した後、開けるよう舌先で唇をノックした。躊躇いなく開かれた隙間に自分の舌を割り込ませ、差し出された舌に己の舌を無我夢中で絡ませた。





「んっ……ふ…ちゅ…」





いつもなら、俺がこんなことをすればすぐがっついてくるはずなのに、今日の破天荒は何もしてこない。ただ俺のしたいようにやらせてくれて、甘受するに留まっている。俺がこんな行動を取ったことがそんなに物珍しく映っているのだろうか。…確かに、物珍しいといえばそうなんだけど。




蠢く舌が織り成す水音が妙に耳につく。互いの唾液が混ざり合い、口内に流れ込んでくる。それを飲み下す余裕すら削がれてしまい、だらしなく口端を伝っていくのを感じた。熱に浮かされ、思考が追い付かない。どうして今自分がこんなに必死に破天荒にキスを施しているのか…その理由すら、欲情の熱に霞み、曖昧になっていく。…でも、忘れちゃいけない。これは、俺が望んだことなのだ。







欲しければ、奪え――破天荒の言葉に突き動かされるように、俺は貪欲に、ただひたすらに、自分を満たしてくれる愛を所望した。涸渇してしまう前に、足りない分を奪うことで補うが如く、俺はキスに没頭した。今まで与えられるのを待っているだけだったが、こうして自ら奪取することで、涸渇を防ぐことが出来るのだ。…あの百足に出来なかったことを、俺は、することが出来るんだ。





百足はただ宙を掻くばかりで、手を離して落ちるという選択肢に気付かなかった。俺は、それを促してくれる人に出会えたため、落下し、求めるものを探し、そして奪い取るという手段を、知ることが出来た。





「…っあ……ん、はぁ…」
「んっ…」





いい加減息が苦しくなって、俺はキスを止めて距離を取った。抜いた舌が破天荒の舌と唾液で繋がっていて、その様子にまた言いようのない羞恥心が込み上げる。けど、目を背けることはしなかった。俺はしっかり自分の意思を示したのだ。その答えを、もらわなくちゃならない。




「はぁ……これで、いい…?」
「あぁ、バッチリ。…安心しろ、ちゃーんと、与えてやっから」
「……うん」





二度目のキスは、破天荒から与えられた。最初から深く施されたそのキスに、俺はあっという間に溺れた。これが、自分で奪うことで手に入れた愛、ということになるのだろうか。当てはまるような、当てはまらないような…どっちつかずの解答は、高まった欲望によって掻き消され、もう思い出されることもなかった。







今まで与えられるだけだった愛。自らに向けられる愛は、ただ与えられるのを待つしか無いと諦めていた。だから俺は、あの小さな百足のことを思い出し、今の自分と重ねていた。求め、欲し、もがくことしか能の無かった、あの百足と。





だけど、もう二度と、あの百足の姿を思い出すことは無いだろう。俺は、知ってしまったから。本当に求めているのなら、しがみついたままでは何も得られないのなら、手を離し、落ちれば良いのだと。そして、自ら奪い取れば良いのだと。そうすれば、もうこんな渇きを味わうことは無くなる。身を蝕む渇望に悩まされることも無い。










ただ、感じていればいいのだ。破天荒からの愛を。この男が与えてくれる、無償の愛を。









心が充分に満たされていくのを感じながら、奪うという行為を失念していた数刻前の自分にエールを送る。貪欲に求め、それを直情にぶつけても、破天荒は決して軽蔑したりしない。寧ろ、「上等だ」と豪語するかのように、足踏みする俺の手を引いて、促してくれる。だから、ありのままの自分でぶつかっていけば良い。臆することは無い。何かを求めるのは、人として当たり前なんだから。






だから、自分の心に素直になれ。求め、欲し、そして奪え。あの百足には出来なかった、本能の超越。枠に嵌ったままでは、得られる物も得られない。ならば、与えられるだけで満足出来ないという貪欲さを素直に受け入れ、足掻くことを止め、それをぶつけてしまえ。そうすれば、遠回りする必要なんて無くなる。…餓えは、満たされるんだ。





「どうだ? 満足したか?」





一度目の精を放った後、破天荒がそう言った。汗で張り付いた前髪を掬われ、視界が明瞭になる。泣きすぎたお陰で喉は嗄れ始めていたけど、心は充分に満たされている。今まで抱えてきた渇望が、まるで夢だったかのようだ。





…けど。






「……たりない」





俺はまだ、満足しきれなくて。





「まだ、たりない。……だから、ちょうだい。もっと、もっと…」





上限を知らない希求は、まだまだ餓えを訴えて破天荒に縋りつく。言葉で伝えるだけではなく、行動でもしっかり表す。そうすればより信憑性が増すだろうという、あまりに悪魔的な考えからだった。





意識して秘部に力を込め、ナカにいる破天荒自身を締め付けて欲を煽る。更に、だらしなく弛緩していた両足を破天荒の腰に絡め、自分の方へと引き寄せて結合を深めようとした。普段なら絶対こんなことやらないけど、今日は特別大サービス。俺の醜い部分を受け入れてくれた、そのお礼だ。




俺の大胆さに欲が刺激されたのか、破天荒の金色の目がギラリと光った。まるで、目の前に餌を放られた獣のようだ。ペロッ、と唇を舐めるその仕草さえ、獲物を捕食する直前の獣のように映ってしまって、体が震える。不敵に歪められた唇は、次の瞬間には俺の唇を塞いでいた。食い千切るかのような勢いで貪られ、息をつく暇も無かった。翻弄されるだけでなす術も無く、喘ぎとも吐息とも言えない不明瞭な声を発し続けるばかりだった。


小休止、とでも言うかのようにやっと激しいキスから解放してくれた時に、破天荒は言った。





「お前が、もう欲しくないって弱音吐くまで、腐るほど愛してやるよ。だから――さっさと、落ちてこい。俺無しじゃ、生きられなくなるまで」






その言葉に、俺は確固たる意思を持って強く頷いて。




自分から仕掛けたキスは、嘘も偽りも無いという証拠品。そして、既に引き返しようもない堕落の一途を辿っていることを、如実に表していた。



























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並大抵の気持ちじゃ手に入らない
ナイトメア/ジャイアニズム死

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