SSS

□ドラッケン族ギギナの憂鬱
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通りすがりに聞こえてきたその噂は、到底聞き逃せる類いのものではなかった。
「本当だって! あのガユスがラキ家の男と付き合ってるんだよ」
ギギナの完璧な造詣を誇る耳朶が、ぴくりと反応する。
場所はエリダナの繁華街。往来のど真ん中。声高に喋っているのは見覚えのある咒式士だ。名前までは知らないがラルゴンキン事務所の中堅構成員の一人。
一緒に居るのは知らない顔だ。攻性咒式士なのは身なりから推測できる。
ギギナの気を引いたのは男の話に出てきた相棒の名前であった。ガユスは彼が手塩にかけて育て上げた可愛い愛弟子だ。それが、なんだと?
余人にはそうと見えなくともギギナにとって大切な愛弟子の芳しからぬ噂話に、思わず聞き耳を立てる。彼ほどの生体強化系咒式士ともなれば、わざわざ咒式の発動をせずとも常にその体内で身体能力を高める咒式が恒常的に働いているのだ。特に声を潜めるでもない男たちの話し声は、逐一聞こえてくる。
あらかた聞き終えたギギナは、その美しい柳眉を顰めた。

――ガユスがイェスパー・リヴェ・ラキと恋仲だと?

根も葉もない流言蜚語と切り捨てるには、いくらなんでも悪質に過ぎる。ラキ家の双子の暗殺者とは、この春先に文字通り死闘を演じたばかり。殊に片割れの凶戦士イェスパーは恐るべき手練であった。
「……くだらぬ」
そう呟く。が、ドラッケンの鋼の精神に、噂は一筋の傷をつけた。
ラルゴンキンが、そう言っていたという。
ギギナは、日頃から仲の悪いランドック人の大男を思い出していた。あれは、くだらぬ噂を流す輩ではない。少なくとも、その人格を疑うほどギギナも偏狭ではなかった。
ということは、ラルゴンキンが二人の密会を目撃したのは確かなことであろう。その場にアルリアン人の若造と人格設定のころころ変わる変態女咒式士が同席していたというのは、まぁどうでもいい。大事なのは、ラルゴンキン事務所の頭脳であるヤークトーもいたという事実。

――根も葉もない噂とは言えぬか。

老咒式士の鑑定眼を疑ったことはない。あれは状況分析能力に優れた老人だ。
表面上は完璧に冷静なギギナであったが、既に内心は大荒れの嵐の海の如く揺れていた。ガユスは、ああ見えて押しが弱い。当人にその気が無くとも断れずにいたのではないか?
…さすがに長年組んできただけのことはある。相棒の性格は、しっかり把握済なギギナであった。
「愚か者が」
何故か腹立たしい。

――断固として拒めばよいものを。あれは、そういうところが尻軽なのだ。

怒りに燃えるドラッケン族の精神に決定的一撃をくれた言葉が聞こえたのは、そのときだった。
「前から思ってたんだよな〜。ありゃ男受けするタイプだって」

――なんだと?

ギギナの歩みが止まった。こればっかりは聞き流せるものではなかった。
「腰とか、すっげー細いしさぁ。色は白いし肌も綺麗だし。下手な女よりイイんじゃねえ?」
「声もイイよな、そういえば」
「ソッチの趣味は無くても、ちょっと押し倒してみたくなるよなぁ」
下世話な噂だ。気にするのも愚かしい。
そう思いながらも既にギギナの手は屠竜刀ネレトーの柄にかかっていた。

許せなかった。

相棒を誹謗するこの男たちが?
それとも、このような輩に誹謗中傷される相棒の存在が、か?

――いずれにせよ、看過し得ぬ!!

怒れるドラッケン族の凶剣士の手が凶悪なまでに長大な刃を抜き放ち、白昼の往来を戦場に変貌させたのは、そのすぐ後のことである……
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