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□わたし、しんでもいいわ
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太閤の娘が随分とわれに執心している。厄介なことこの上無い。
太閤の娘である、ということが最大限に厄介な点で、おちおち文句も言えはせぬ。
にこにこと毒気の無い純な笑顔をわれに向けて少し離れたあたりに居るのはまだよい。よいのだが、些か長い。姫も暇よな。
われが起きて朝餉を食べてから執務に部屋に戻った時分にはもうわれの部屋に居ったな。暇の極みよ。キワミ。
何ゆえそこまでわれに執心しているかはわからぬが…まぁあの徳川に引っ付くよりはよかろ。
とりあえず一旦納得をして考えを執務に戻す。
姫はやはり相も変わらず、われに微笑み座っている。
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何をするでもなし。どうして姫様は大谷様の部屋に行かれるのですか?
不意に女中に問われたことを思い出して、くすりと笑った。
今日も今日とてお側にいられた。大谷様の部屋を後にして自分の部屋に帰ろうと向かう道中は、幸せで幸せで。
とにかく側にいたい、その一心で部屋にいる。迷惑かもしれないけれど、それほどにお慕いしている。
なんだかよくはわからないけれど大谷様を思うと胸が苦しくなるのだ。
「…大谷、様。」
名をそっと呼んでみるだけで口が勝手に弧を描く。ああ、好きです。
出来れば、明日も、貴方と。
「共にいたいものだわ。」
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珍しく部屋に入ってはいけないと門前払いをされた。本人にではない。医者にだ。
お風邪をめされたと聞いて、不安になる。せめて見舞いを、と頼むのだけれどやはり断られた。
姫様の願いでも、それだけは。と困ったような顔をされたので引き下がってしまったけれど…やっぱり心配だ。
なんとか目を盗んで入り込めないだろうか。一日でも大谷様に会えないだなんて、私。
耐えられないわ。
これはもう、計画するしかない。大谷様のお部屋侵入計画を…!!
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久々に風邪を引いたらしい。ぼんやりと天井を見上げるが、焦点が定まらぬ。
額の手拭いも先ほど変えてもらったばかりというのに既に体温と同等の温度になりつつあった。
ぼやけた思考でふと、今日は姫に会っておらぬな、などと思った。あの笑む姫が、側におらぬと考えたら、何やら不思議な心地がした。
ヒヒ、と笑みがわいた。われが姫を待っていたと言う事実がどこか、たまらなく可笑しかった。
似合わぬと思ったのであろうな。姫とわれよ?ヒヒヒ、似合わぬ、似合わぬ。
わく笑いが止まらずに、少し苦しくなり噎せる。すると何処からか、姫の声が聞こえた気がして耳を澄ます。
「…ヒヒッ、幻聴まで聞こえやるか、これは重症よなァ。」
「大谷様っ、」
「っ!?」
今度はやけにはっきりと聞こえて、つい気だるい体を起こす。
何ゆえ、姫の声が。いったいどこから。
周囲を見回してみるとまた声がする。
「大谷様、こちらですわ。」
声のする方向を見ると天井。その一角から姫が逆さになりながら手を振っている。つい変な顔をしてしまった。
姫よ…強うなれと太閤に言われたやもしれぬが…恐らく太閤はそのような強さは望んでおらぬ…。
平然と当たり前の如く天井から降りてきていつものようににこりと笑うと姫はそろっと手拭いを取り近くの桶でそれを冷やした。
次いでそっと寝かせられる。風邪なのですからと頭を撫でられ、その行動に少し気恥ずかしさを感じる。
そういえば今は包帯をしておらぬな…。ぽっと思い出してから姫に視線を向けるとそっと冷たい手拭いが額に置かれる。
われの視線に気付いた姫はどうしましたか?と小さな声で聞いていつもの如く笑った。
何も気に止めておらぬ様子に、何故か安堵を覚えた。
しかし直後に理性が働く。よくよく考えてみれば、これは太閤の娘よ。移すわけにはいかぬ。風邪…況して病など。
「…姫よ。」
「はい。何かしら。」
「あまり側によってはならぬ。ぬしも知っているのであろ?」
「風邪のこと?病のこと?どちらでも私、大谷様に移されるなら構わないわ。」
至極嬉しげに笑ったのでそれに呆気に取られてしまった。何を言い出すかと思ったら、この娘は。
ひとつ溜め息を吐くと姫はそっとわれの手に自身の手を添えた。包帯の無いその手に触れられて、びくりとする。
振り払わなければならないのに、姫の顔を見るとそれが出来なくなる。
「風邪も病も私に頂戴。大谷様からいただけるのなら何だって嬉しいわ。」
「姫よ、正気か。」
「勿論。病をいただけば大谷様とお揃いでしょう?」
「…。」
「死んだっていいわ。人はいずれ死ぬもの。ただ、貴方と同じ様に死ねるなら、それってとっても幸せだわ。」
愛しげにわれの手を持ち上げて、姫はそれを頬にあてた。
そして少しだけ頬を紅潮させて、また幸せそうに笑んだ。
わたし、しんでもいいわ
(姫…何ゆえ、)
(好きだから。身体がどうあろうと、共にありたいわ。)
あいらぶゆうを「わたし、しんでもいいわ」って訳したのは、二葉亭四迷でしたっけ?
2013/08/01