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□ハピネス
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カチ、カチ……と響く音がやけに気になって、壁に掛かった時計を見上げる。
時計はあと5分で夜の11時を指すところだった。
ふうっと息を吐くと、再びラップトップの画面に目を落とす。


……とそのとき、トントンと、小さくドアをノックする音がした。

「どうぞ」
PCから顔を上げてドアの方を見遣ると、
「失礼します…」
遠慮がちに覗き込んだのは、愛しい愛しい恋人の顔。
つい自然に口元が緩んで、笑みがこぼれる。

「お疲れ様です。すみません……お忙しいですよね?」

PCと向き合っていた俺を見て、
来るべきじゃなかったかな……と後悔を顔に浮かべた彼女を、

「大丈夫だよ〜。どうぞ、入って?」

俺は机から立ち上がって、招き入れる。

「じゃ、少しだけ……失礼します」

おずおずと入ってきた彼女は、缶コーヒーを二つと、小さな箱を持っていた。





「名前、まだ残ってたの?」
「はい。私もなんだかんだと片づけることがあったので」
「ごめんね……今日仕事抜けられなくて」
「いえ、そんな! お仕事ですから」

差し出されて、ブラックの缶コーヒーを名前から受け取る。
手の中の小さな缶は温かくて、名前の優しさがじんわりと身に染みた。


「すみません。お忙しい中お邪魔するの、どうかなと思ったんですけど……」

そう言いながら名前が箱を開く。
中から出てきたのは、白いクリームの上に可愛い苺が並んだ、直径15cmくらいのホールケーキ。
ご丁寧にフォークも2本、添えられている。

「あと1時間でお誕生日、終わっちゃうし。
コーヒーとケーキでちょっと息抜き、っていうのもいいんじゃないかなって」

冷蔵庫に隠し持っておくの大変だったんですよー、と笑う名前。
俺はその声を聞きながら、じっとケーキを見つめていた。


「……忠信、さん……?」

ケーキを凝視している俺を見て、名前が訝しげに顔を覗き込んでくる。

そこで俺は、我に返った。

「あー……ハハ、ごめん。
びっくりしちゃって、さ」


そう、今日は俺の誕生日。
だけど今立て込んでる案件があって早く上がれそうになかったから、
誕生日デートは次の公休に、ということにしてあった。
その代わり、その日はお互いの休みをしっかり合わせている。

だから、この展開は完全に不意打ちで。

しかも、これ、手作り……だよな?


「ありがと。うれしいよ……」

ぎゅっ……と抱きしめると、俺の肩に頬を埋める彼女。
愛おしさが込み上げて、そっと頬にキスをする。

腕に抱いた名前のぬくもりが、柔らかさが、
疲れた身体に、新たな力を吹き込んでくれるような気がした。
胸の中に、温かい感情が広がっていく。


ああ……俺はいつも、こうして生き返る。
名前の、チカラで。


「名前が作ってくれたの?」
「はい。お口に合えばいいんですけど」
「名前だって忙しいのに」
「だって、付き合って初めて迎える忠信さんのお誕生日だから……」

あまりにもその言葉が可愛いかったから、思わずいくつもキスを落とす。
頬に……瞼に……唇に。
そのたびに心地よさそうに目を細める彼女が愛らしくて、再びぎゅっと抱きしめた。


「誕生日なんて、いつぶりかなー……」


4月のカレンダーを捲れば、毎年その日が来たことに気づくけれど。
もう誕生日を楽しみに待つような年齢じゃないし、
一緒に過ごしたいと思う相手もいなかった。

だからこの8年間、誕生日なんてなんの意味も持たなくて。
4月2日は、4月1日の次の日で、4月3日の前の日。
カレンダーに並ぶ数字の中のひとつにすぎなかった。


だけど、今年は……君がいてくれる。



フォークですくったケーキは、スポンジのふわふわ加減も絶妙で。
苺は丁寧に蜜でコーティングされて、手を掛けた、心のこもったケーキなんだということがよくわかる。

「……美味しい」

思わずこぼれる素直な感想。
うん。
俺の彼女はグレートイーターなだけじゃなく、作る方もかなりの腕前だ。

「よかったぁ! へへ、実はちょっと自信作だったんです!」

うれしそうに笑う無邪気な笑顔がとても眩しくて。

「ここが俺の部屋なら、このケーキを名前の身体の上に乗っけて舐め回すのにね〜」
「へ、変態っ!」
「え〜、普通だよ?」
「忠信さんと京橋さんくらいです、それが普通なのは!」

呆れたように横目で睨む顔も、また愛おしい。


「それにしても、結構大きいね、コレ」
「え、そうですか? 私、たまにひとりで作って食べますけど……このサイズ」

え……これを?
ショートケーキ4個分は軽くあるけど?

「まったく……もう」

呆れて苦笑する俺に、
えっ、やだ可笑しいですか?と顔を真っ赤にしてうろたえる彼女。


あー。

……幸せだ。


こんななんでもないやりとりが、こんなにも平和で愛おしい。
このささやかな安らぎを、神様どうもアリガトウ。
俺の荒んだ8年間が、きれいさっぱり洗い流されていくようだ。


これからは、こうして君と幸せな時間を積み重ねて行きたいから。
名前、来年もこうしてお祝いしてくれる?


「ごちそうさま。ホント、美味しかった。来年も食べたいなぁ」

なんて、さりげなく予約して。





「さて……そろそろ帰ろっか」
「え……大丈夫なんですか?」

驚いて、気遣わしげに見上げる彼女。

「うん、もう大丈夫。明日の会議に必要な書類は仕上げたし〜。
あとは明日の夜でも問題ない仕事ばっかり」

だから、行こう?
今夜はこの腕に君を抱いて、この幸せの中で眠らせて。


うれしさを隠しきれないといった笑顔を見せる彼女が、いじらしくて、愛おしくて。
俺はパタンとPCを閉じると、彼女の頭をくしゃっと撫でて、その細腰を引き寄せた。



ふわりと優しく、唇を捕まえる。
愛おしさを伝えたくて、……羽のように軽く挟んで、包みこむ。

すぐにもっと欲しくなって、舌先をそろりと唇に這わせると、
彼女の身体がぴくっと震えた。


(可愛い……)


焦れながら、焦らしながら……唇を味わっていく。


――けれども高まる思いは抑えきれず、
柔らかい唇の間を割って入り熱い舌を捕まえると、
電流を走らせるように、強く吸った。


「んん……っ!」


舌先で舌をゆっくりとなぞり上げると、
彼女の身体が熱くなっていくのが手に取るように分かって。


徐々に身体に力が入らなくなったと見えて、俺にくったりともたれかかってくる。

――見ると、もう膝はガクガクと震えていた。




ハハ……最近の俺ときたら。
こんな場所で思いのままに突っ走るなんて、ミソジ男のすることじゃないよね〜。


もう……誰のせいだろうね?




くすぶる熱をグッと押し込み、
何でもない顔を作って、素早く身体を離した。


こんなに余裕の無い自分を、悟られないように……
爽やか過ぎるくらいの笑顔で、彼女にニッコリと笑いかけて。


「続きは家でゆっくり、ね?」
「も、もうっ……!」




――覚悟してね。

今夜は、いつにもまして離さないから。




さぁ。

一緒に、帰ろう。





<END>
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