Stories

□雪
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ふといつもとは違う静けさに言いようのない予感を覚え、そっと白いカーテンの端をめくってみる。
完全なまでの静寂の中で、白いため息が漆黒の夜空を舞い、景色を白く覆い始めていた。


「雪…」

雪の夜がこんなに静かだってことに…初めて、気づいた。

「名前?」

少し離れた背後から優しく響く、愛しい人の声。


「ああ…いつの間にか雪になってたんだね」

そう言いながら、ベッドに腰かけていた彼は、カーテンの隙間から見えた景色に小さく目を見開いた。

サイドテーブルの上の飲みかけのウイスキーの入ったグラスを、そっと持ち上げる。

そんな仕草さえも格好良いと思う私は、本当に重症だと思う。


「その様子だと、朝には積もってるかな」

手にしたグラスの中のウイスキーを、浮かんだ氷とともに口に含んだ音が聴こえた…

と思ったら、

「…!」

私は急に後ろから柔らかく抱きすくめられ、顎をくっと持ち上げられて、
次の瞬間、口の中いっぱいに濃厚なウイスキーの香りが広がった。

「ん…っ…」


…こうやって、いつもいつも、彼は。
少しずつ私の理性を、ほどいていく。

ささやかな不意打ちとか。

苦い大人の香りとか。

強引なのに優しい仕草とか。

絶妙な緩急の、麻薬のようなキスとか…。

ごく自然な連動で、私が到底太刀打ちできない魔法のような罠を、少しずつ少しずつ効果的にちりばめて。
さりげなく周到に積み上げて。

そして私を、見えない糸で縛ってしまう。



彼に思いが届いてからも、私は頭の奥でひとり戦っている。

彼を好きだと、
もうどうしようもないくらいに囚われているのだと、
激しいときめきに我をわすれて、もう何もかも考えずにその胸に飛び込んでしまいそうになるたび、
抗いがたい衝動から、必死で自分を守っている。

どんなに私が彼を好きか、彼に知られてはいけないから。



「…っ!」

彼の手が胸をなめらかに這う。
唇が首筋をなぞる。
身体の芯が疼き潤い始めると、もう到底立っていられなくて、私は声にならない声を吐きながら、静かに床に崩れ落ちそうになる。
そんな私を激しく抱きとめた腕に縋りつきながら、
この腕の持ち主を、この上なく愛していると感じる。



「名前…愛してる」

…決してその愛情を信じないわけでは、ないのに。


眩しそうな目で見つめられても。
切なげに私を呼ぶ声を聴いても。
どんなに大切に抱かれても。
それでも。

彼が私を想う気持ちと、私が彼を想う気持ち。
バランスを失ったときに何が待っているかなんて、想像もしたくないから。


手にした温かな幸せが、いつか溶けて消えてしまわないように…


私の想いは、非力な抵抗と祈りの中で、今日も静かに降り積もっていく。





<END>
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