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□海より深い秘密
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「あ〜! やっとやな! おつかれさん」
天王寺さんが、うーん、と伸び上がる。
ランチに向けてお腹のスタンバイも整った、正午少し前の二課。
ここのところずっと全員で追っていた指名手配中の容疑者が、昨日ようやく逮捕できて。
二週間ほど泊まり込みが続いたハードな捜査も、ようやくひと息つけるようになった。
「天王寺、気を抜くな。まだ取り調べが残ってるだろ」
花井さんは、あくまで緊張感を抜かない厳しい表情だけど。
「まあでも、あれだけ証拠が揃っていれば、どう考えても言い逃れはできませんし」
「…時間の問題」
「そうですね。午後からボスと浅野さんが取り調べれば、楽勝でしょう」
「苗字、報告書はよろしく頼むぞ」
「了解です!」
束の間の解放感だとは分かっているけど、久しぶりに訪れた平和に、みんなどこかホッとした表情だ。
(みんな、連日連夜のハードな捜査で疲れてるもんね。ホント、無事解決してよかった)
「これでようやく日替わりの彼女たちとの逢瀬がかないます」
「そういや克之、前から疑問に思てたんやけど、そんなにほったらかしで大丈夫なん?」
「あ! それ、僕も思ってました〜。もともと週に一日しか割当がないのに、ここひと月は克之さん、電話もままならない状況でしたし…」
「そうなのです。分かってくださいますか、この苦労を」
京橋さんが大げさにため息をつく。
「いや、苦労するくらいならそんな付き合い方やめりゃいいだけの話だろ…」
「…無駄な苦労」
「ハハハ、京橋は相変わらずおもしれーなぁ」
ひとしきり京橋さんをネタに盛り上がる。
普段なら、みんなこの辺で無駄話を終わらせて仕事に戻るのだけど。
今日は疲れているからか、平和だからか、終わる気配がない。
(うーん、この流れはマズいんじゃ…)
「まあ克之さんは特別だとしても、ちゃんとそのあたりは上手くケアしなきゃですよね〜」
「ん!? 瑛希、お前女できたんか?」
「やだなあ、僕の話じゃないですよ〜。豊さんこそどうなんですか?」
「どこにそんな暇あんねん」
「天王寺の場合、暇があるかないかの問題じゃないだろ」
「どーゆー意味や? そういう一沙かて全然女でけへんやん」
(あ…やばい。いよいよ来そう)
「苗字さん」
(…ほーら来た!)
この話題に巻き込まれたくなくて、沈黙を守っていたのに。
「…はい?」
書類から、ゆっくり顔を上げ、できるだけ無表情で返事をする。
「苗字さんは、どうなのでしょう」
「え? どうって何がですか?」
「付き合っている方は、いらっしゃるのですか」
「ええ、いますよ、20人ほど」
「すげーな、苗字…」
「ボス。本気にせんといてください…」
「っていうか、それ、セクハラですよ? 昼間っから下らないことばっかり言ってないで、皆さんお仕事して下さい!」
「下らなくありません。重要なことです」
「僕も聞きたいな〜、名前ちゃんの恋バナ!」
「瑛希くんまで…」
「苗字、白状しろ」
「どうせ、苗字は色気より食い気やんな?」
「…想像できない」
(ムカッ)
言いたい放題のみんな。
女性は私ひとりの二課、こういう話題になると集中砲火でからかわれるのは目に見えているから、できるだけ回避したかったのだ。
(も〜!)
「…いますってば!」
「え!?」
(あ…)
睡眠不足でナチュラルハイだったせいもあって。
ちょっとムッとした勢いで、つ、つい、言わなくていいことが口から…。
「マジ?」
全員が目をぱちくりさせている。
みんなちょっとからかっていただけだったのに、予想外に本人が自爆…。
(不覚…)
「ワオ! 名前ちゃんいつの間に?」
「その男、正気か?」
「物好き…」
「それ、現実か?お前の妄想ちゃうんか?」
「みなさん…すっごく失礼なこと言ってるってわかってます…?」
「…興味深いですね。苗字さんの彼氏は、どういう方なんでしょう?」
すかさず、京橋さん。
(当然、次はそう来る、よね…)
もちろん、彼のことは口が裂けても言うつもりなんてない。
まだ、言えない。全然、言えない。
上司と部下という関係とか、注目される彼の立場とか…
そういうこともあるけど、そんなこと以前に今はまだ…
誰にも言えない。
誰にも。桐沢さんにさえも。
ちょっと、彼の顔が思い浮かんだ。
付き合っているというのに、彼を思うたび、未だに痛いほど切なくなる。
(重症…だな)
とにかくこの場は冗談にして切り抜けるしかない。
ふうっ…と息を吐く。
時計を見上げると、間もなく正午になるところ。
「…花井さんよりジャイアンで、天王寺さんより強引で、京橋さんより変態で、瑛希くんよりポーカーフェイスな人ですよ〜。なんちゃって!」
笑いながらそう言って、席を立つ。
「…そんな人格の持ち主、いるのでしょうか」
「苗字、誰がジャイアンだ」
「克之より変態な奴なんておらんやろ! ていうか苗字、変態と付き合ってるんか!?」
「何ていうか…とても…」
「…ツッコミどころ多すぎ」
「苗字、すげーなぁ」
背中にみんなの声を聞きながら。
「お昼いってきまーす!」
ちょうどベルが鳴って、私は二課を飛び出した。
あとでまたいろいろ言われるだろうけど。
「すみません、あれは嘘でしたー」って言って、苦し紛れで「彼氏がいる」と口走ってしまったことにしよう。
みんなには散々バカにされるだろうな…。
それは、ちょっとシャクだけど。
彼への気持ちは、まだ誰にも秘密。
彼にだって全ては曝していない、私だけの、海より深い秘密だから。
<END>