Stories

□防衛線
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ただいま午後2時。
確かにいちばん眠くなる時間だ。
だけど…今日はさすがに…

(…ちょっとお昼食べすぎたかな)

…眠すぎる。
はぁ〜。
思わず漏れる、欠伸。

と、そこへ
「やっほ〜」
「きゃっ」
ノーテンキな声とともに突然現れた上司。

(神出鬼没…)

「野村さん! おつかれさまです」
「あれ? 名前ちゃん、ひとり?」
「あ、はい…ちょうどみんな出払っちゃってます」
「ふうん」
「あの…桐沢さんにご用ですか?」
「あ〜…ちょっとね。でも、ま、いいや」

(?)

「それより、さ」
「はい?」
「今日は暇そうだよね、名前ちゃん」
「えっ!? いやいや、忙しいですよ〜。仕事してますよ〜!」
「ホント? さっき欠伸してたじゃん」
「! やっぱり見てたんですか…。す、すみません」
「ま、いいんだけどね〜。二課はいつも大変なんだし、たまにはそういう日もないと。平和なのが何よりなんだし?」
「あ、あはは…。恐れ入ります」
「と、いうわけで」

ぐっ、と二の腕を掴まれる。

「暇なんだったら俺のお仕事手伝ってよ〜」
「え…」
「ちょうど名前ちゃんと一緒にいたいなぁって思ってたとこだったし? グッドタイミング〜」
「ええ…」

(か、軽い…)

野村さんは、いつもこうだ。
軽く私を誘いながら、決して本気で誘ってくることはない。
いつもからかわれて終わり。
なのに、そのたびにちょっとドキドキしてる自分がバカみたいで…。

だって、彼の甘い微笑みにときめかないはずなんて、ない。
でも、それを悟られたら女がすたるから。
私はいつも、虚勢を張る。

(本当に、犯罪級だよ)

「と、いうわけで」
「は、はい?」
「資料室へGO〜♪」
「い、いやあの…私がいなくなったら二課はもぬけの空だし…お留守番しなきゃ」
「いいじゃんいいじゃん、今日は大丈夫だよ、欠伸が出るくらい平和なんだから」
「うっ…いやでも、あの、桐沢さんが帰ってきたら、苗字どこ行った〜ってなるじゃないですか」
「じゃあホワイトボードに『野村』って書いておけば?」
「ええ!? そんなこと書いたら心配されますよ」
「え? ひどいなぁ。ボクこれでも上司なんだけど?」

(こんな上司っぽくない上司もいませんけど…)

「とにかく、名前ちゃんの身柄は俺が預かったから」
「ええ? まるで誘拐…」

野村さんは笑いながら、ホワイトボードの私の名前の横に、本当に『野村』と書いた。
そして、半ば連行されるように、資料室に向かう。

(とはいえ、一応、野村さんのお仕事を手伝うんだよね?どんな業務なんだろ…)
ふんふ〜んと鼻歌を歌いながら歩く野村さんを横目で見ながら。
はぁ…と無意識のうちに小さなため息をついた…。





「じゃじゃ〜ん」
「ええっ…」

書類の山、山、山…

「これ全部…」
「そ。読んでレポート書かなきゃいけないの」
「む、無理ですよ」
「でしょ? 俺一人じゃ無理なんだよね〜。だから、さ。一緒に読んでよ」
「はい?」
「これ、名前ちゃんの分ね。読んだら内容を要約して俺に教えて?」
「難しい論文をこんなに大量に…? うわ…ますます眠くなってきました」
「あはは。じゃあ、俺と一緒に寝る?」
「!」

そう言って、野村さんは、私の肩にもたれてきて。
「の、野村さんっ?」

悔しいほど心臓が早鐘を打つ。
心地よい重みと、ふわっと漂う野村さんの匂いに、不覚にもドキドキしてしまう。

「ご、ごめんなさい、あの、ちゃんと読みますからっ…!」
「ごめん…しばらくこうさせて?」

(え…)

そう言った声は、あまりにも弱々しくて。

「野村さん…?」

私に身体を預けたまま、びっくりするくらい、スーッ…と寝入ってしまった。

(ええ…何このシチュエーション)

予期せぬ展開に頭がついて行かない。
人気のない資料室で、膨大な書類の山を前に、肩に上司の頭をのっけて、右半身が固まる私。

(え…っと?)

野村さんの顔を伺い見ると、とっても無防備な表情で。

(なんだか…知らない男の人みたい)

いつもの、余裕綽綽で、笑顔だけど食えない、野村警視の顔ではなく。

(反則だ…)

柔らかい髪が私の頬をくすぐる。
9歳も年上の彼の、あどけない寝顔。
私の心臓はこれ以上ないくらいに叫んでるのに。
当の本人は、深い眠りの中で。
本当にとっても気持ちよさそうに、眠ってる。

(野村さん…疲れてるんだ…)

現場は現場で大変だけれど。
上層部は上層部で、いろいろなストレスがあるだろう。
でも、彼はきっと弱音を吐かない。
他人に弱みを見せない。
そんな気がする。
でも…。

(彼女とか、いないのかな…)

これだけモテる野村さんだけど。
それなのに、なのか。だからこそ、なのか。
決まった彼女の存在を、聞いたことがない。

(まあ、ひとりに決めなくたって、不自由されてないでしょうけど)

そこは、京橋さんと同等、いや、上を行くかもしれない野村さんのことだから。

だけど…。

(野村さんの素顔を知ってる彼女って、いないのかな…)

彼が心から気を許せる存在。
そんな女性は、いるんだろうか?

そう考えて、少しモヤモヤした気持ちになる。

(やだ、私、何考えて…。野村さんに彼女がいようがいまいが、関係ないのに)

いつもと違う野村さんの顔と、この瞬間の近すぎる距離に、戸惑いを覚えて。

(野村さんは…本当に、ずるい)

持て余した自分の気持ちを、全部野村さんのせいにした…。





「あー! 気持ちよかった」

うーん、と伸びをする野村さん。

「すごい熟睡されてましたもんね…」

結局かれこれ30分、彼は私の右肩の上でお眠りになった。
おかげで、私の肩はパンパンだ。

「うん。ありがとね、名前ちゃん」

にっこりと笑う彼は、まったくいつもの彼を取り戻していた。

「さーてと。ゆっくり休ませてもらったし、お仕事するか〜」
「うっ…この資料」
「あ、いいよ〜さっきの冗談だから〜」
「は…?」
「ちゃんと自分で読むよ、全部。これでも仕事は真面目にやってるんだよ?」
「え…あ…」
「あ〜。信じてない?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど…」

何か、拍子抜けした。
まあ、そうだよね…。私が野村さんの仕事を手伝えるなんて思っちゃいないけど。

(でも、何だか…)

疲れてる野村さんの役に立ちたいな…なんて気持ちが自分の中に芽生えていたことに気づいて、戸惑ってしまう。

「名前ちゃんのおかげで、充電、させてもらったしね?」

うれしそうに私の顔を覗き込む笑顔。

「ホント、ありがとう」

ポンポンっ、と、私の頭に触れる手。

(やだ…)

また悔しいくらいにドキドキしてきて、顔がかあっと赤くなる。

「あ、赤くなってる? 名前ちゃんは可愛いね〜」
「なっ…! 赤くなってなんかいません!」
「そお? 誰もいない資料室での情事なんだし、赤くなっても当然じゃない?」
「人聞きの悪いこと言わないでください!」
「あれ? 相当オイシイシチュエーションのはずなんだけどなぁ…」
「もう! そうやって人で遊ばないでください!」
「え〜?」
「いつもいつも、野村さんは私をからかって…!」

ドキドキした悔しさと、ときめきに負けそうになる自分への怒りで、つい強い口調になってしまう。

すると…


「そんなことないよ?」

じっ、と真顔で私を見つめる目。

「俺、心にもないことは言わないし。可愛いって思うのに、可愛いって言っちゃだめ?」
「…! ほら、そういうこと平気で言う! 本気で口説く気なんかないくせにっ…」

言いかけて、ハッとする。

(しまった…これじゃまるで、本気で口説いて下さいって言ってるみたいじゃ!?)


「…へえ?」

野村さんの目が、光ったような気がした。
一段と艶っぽい目で私の顔を覗き込みながら、私のすぐ横の壁に、右手をつく。

「俺が本気で口説いたら、すごいよ?」
「…!」
「覚悟できてて言ってんの?」

いつもの野村さんじゃない。
ヘラヘラと甘い微笑みを浮かべるのではなく。
獲物を見ているような、射るような、鋭い目…。

(や…)

私の中の女性としての本能が、反応する。

「じょ…冗談キツいですよ」
「あれ? 冗談にしちゃうつもり?」
「野村さんっ、からかうのもいい加減に…」

心臓が口から出てきそうなくらい、ドキドキが沸騰してる。

そのままどのくらいの時間が過ぎただろう。
多分、数十秒だったと思うけど。
私は呪縛に囚われたように、目を反らせないまま、打たれたように動けない…。





突然。

真顔で私を見つめていた野村さんが、ふっと笑った。
いつもの柔らかい笑顔に戻って…。

(あ…)

「行こうか。桐沢が心配してるかも」

解かれたみたいに、射抜くような視線から解放されて。
ホッとした自分と。
なんだか残念だと思っている自分と…。

(もう…やだ、何…)

ドキドキが止まらない。

彼が本気になれば、きっと私なんてひとひねりだろう。
役者が違いすぎる。
だから、絶対、これ以上近づいちゃ、いけない。

(絶対好きになんか、ならない)





資料室を出た後、野村さんと別れて二課に戻る。
ひとりで廊下を歩きながら、今感じたときめきは気のせいなんだと、自分に言い聞かせる。
言い聞かせれば言い聞かせるほど、本当の気持ちを思い知らされるのに。
それを認めたくない。
認めたら負けだって、分かってるから。

早く二課に、帰らなきゃ。
二課に帰ったら、自分を取り戻せる。
そう思って、私は足早に二課へと向かうのだった…。





<END>
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