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□‐WISH‐
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考えたくない。
その一心で、譜迩は体が悲鳴を上げるのも堪えて、教会に帰ってからも忙しく働いた。
「…譜迩、あのさ…」
「なに、リク兄? 今俺忙しいから後にしてくれる?」
「…あ、あぁ…」
リクは何度も譜迩に話しかけようとするが、譜迩はそれを不自然な笑顔を軽くあしらうと、洗濯物を抱えて足早にリクの横を通り過ぎる。
きっと、きっと琉稀は大丈夫だ。
そう思いこんで、譜迩は努めて明るく振舞っていたがそれが酷く痛々しい。
誰から見てもそんな風にしか見えないのだ。
「あ、そうだ! リク兄、セリオス知らない?」
「…え?」
悶々と考えていたリクには、譜迩の質問がどういう内容だったのか聞こえていなかった。
「だから、セリオス知らないって聞いてるんだけど…」
譜迩は少しばかり焦った様な様子で言う。
「さ、さぁ…いろいろとあるんじゃねぇの? あっちのギルドは前線出てたし…」
そこまで言って、譜迩の顔色が悪くなった事に気付いたリクは思わず口を噤んだ。
「…そう、だよね…」
「wisでも送ってみたらどうだ…?」
「うん…そうする…」
答えた譜迩の顔が、先程の笑顔からは想像できない位色を失っている。
リクが何と声を掛けたらいいのか分からないまま、譜迩はその場から立ち去った。
洗い場に洗濯物を放り投げ、譜迩は暫くそのまま立ち尽くす。
『wisでも送ってみたらどうだ…?』
先程のリクの科白が蘇った。
琉稀が無事なら、きっとwisを送ってきてくれるはずだ。
今は、いろいろと後処理があって忙しいに決まっている。ここで自分がwisを送って琉稀に余計な手間を掛ける必要があるだろうか。
けれども譜迩は一刻も早く琉稀の無事が知りたかった。
[お疲れ様、琉稀。怪我しなかった?]
当たり障りのない言葉を選んで、譜迩はwisを送る。
『当たり前だろ! 俺が怪我なんてするわけないじゃんw』
そんな感じの、笑いの混じった琉稀の科白が想像できた。
早く返事が返ってこないだろうか。
1分、2分。
きっと忙しいのだろう。
でも器用な琉稀の事だ、仕事の手が開いた時に返事をしてくれるはず。
10分、20分。
時間がたつのがこんなに長く苦しいものだと思った事は無い。
けれどきっと、琉稀は忙しいのだ。
譜迩には想像も出来ないくらい。
30分、40分。
もしかしたら、疲れて今日はもう眠ってしまったのかもしれない。
気付いて時計に眼をやれば、もう日付の変わるころだった。
明日になれば、きっと返事が来るはずだ。
譜迩はそう思い、洗い場を後にして自室へと戻った。
そしてそのままベッドの中に潜り込むと、昼間の疲れの所為かあっという間に眠りに落ちてしまった。
けれど、その次の日になっても、その次の次の日になっても琉稀から返事が来る事は無かった。
頼みの綱は、琉稀と同じギルドに所属しているセリオスだけだったが、そのセリオスも教会には帰って来ない。
セリオスにもwisを送ろうと思ったが、それはどうしてもできなかった。
もしも、琉稀の身に何かあったりしたら…そう思うとどうしても出来なかったのだ。
譜迩は憔悴し切った表情で、それでも忙しく教会の家事をこなしていた。
何かしていなければ、気が紛れないのだ。
忙しくなればなるほど、他の事は考えなくてもよくなるから。
疲れて動けなくなるくらい働けば、夜も何か考える前に眠ってしまえるから。
けれども譜迩の表情は晴れない。
そんなある日の午後だった。
「単に他人の空似なんじゃないのか?」
食堂に用事があった譜迩は、何気なくその中に脚を進めようとして、聞こえてきた科白に思わず足を止めた。
昼下がりの食堂で、深刻そうな表情で話をしているのはリクとカイトだった。
譜迩は思わずドアの陰に隠れる。
「でもさっき見たんだよ…」
リクは少しばかり拗ねたような様子でカイトに言った。
「けれど、琉稀はもう…」
鼓膜を揺らすその音。
ぐさりと、胸に冷めたナイフが突き刺さる様な衝撃が走った。
琉稀は、もう、どうしたというんだ。
思わず叫び出しそうになるのを必死で堪える。
「でも絶対あれは琉稀だと思うんだ…でもなぁ…」
「生きてるなら、絶対に譜迩のところに来ている筈だろう」
「そうだよな…」
そこまで聞いて、譜迩はその場にいてもたっても居られなかった。
琉稀の身に何かあっただなど、嘘に決まっている。
けれども、譜迩の視界は走りながら滲んでゆき、中庭に着く頃には既に幾粒もの雫が零れおちていた。
「…っは…、」
口元を押さえ、譜迩は壁に手を突いたまま崩れ落ちる。
息が上手く吸えない。
絶対にないと、今でもそう思える、否、思いたかった。
信じたくなかった。
それなのに、琉稀がwisに答えないことを琉稀が居なくなってしまった事に結び付けようとする自分の思考が許せなかった。
今まで一粒も流さなかった涙が、堰を切ったかのように溢れ出して止まらない。
『大丈夫だって、俺がそう簡単に死ぬわけないだろ?』
そう言って笑った琉稀の顔が、脳裏に浮かぶ。
大丈夫だって、言ったじゃないか!
胸中で叫んだ。
何度も何度も罵った。
けれども、それに答えてくれる存在は、此処にはいないのだ。
譜迩はしばらくその場から動けなかった。
+ + +
一体自分は何をしているんだろう。
プロンテラのメインストリートを人並みに逆らって歩いている事に、肩をぶつけられた瞬間、気付いた。
ガラの悪そうなホワイトスミスが譜迩に向かって何か叫んでいる。
恐らくはぼーっと歩いていた譜迩に対して何か文句をいっているのだろうが、今の譜迩には男が何を言っているのかさえ聞こえていなかった。
しかし―…。
「アンタ、いい加減にしたら?」
聞き覚えのある声が、鼓膜を揺らす。
急激に意識が浮上する様な錯覚に襲われて、辺りの喧騒が蘇ってきた。
ゆっくりと顔を上げれば、譜迩を庇う様に立つ男が、ホワイトスミスを睨みつけている。
黒装束に、銀色の髪。
「ちょっと肩がぶつかったくらいで大袈裟だろ」
そして、聞き間違える筈のない声。
「る、き…?」
譜迩は思わず声に出して彼の名前を呼んだのは、ホワイトスミスが何か叫んで立ち去った後だった。
しかし、その声は街の喧騒に掻き消されて彼の耳には届いていない様だった。
「あぁ、君、災難だったね」
「…え?」
振り返った男は、何の気もない様子で譜迩にそういう。
「ま、君も気を付けた方がいいよ」
ぼーっとしてたみたいだし。
男はそういって、譜迩の頭をぽんぽんと叩いた。
そしてそのまま、譜迩の横を通り過ぎてゆく。
あまりに不自然さのないその動きに、譜迩は思わず男の手を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ…どういう事!? 俺、一杯心配したんだよ!?」
「…?」
男は譜迩の科白に首を傾げる。
「何言ってるんだよ! wisだって返してくれないし、どれだけ俺が…っ?」
そこまで言って、譜迩ははたと気付いた。
その顔は確かに琉稀とそっくりだったが、唯一違うのは、その男の纏っている黒装束。
―アサシンクロス。
「……すみません、人違いです…」
譜迩はそう言うと、脱力したように男の腕を離した。
「…そう」
男はじっと譜迩の顔を見つめて、何か言おうと口を動かしたが―…
「………ごめん、俺ちょっと呼ばれたから…」
誰かからWisでも届いたのだろうか。一瞬だけ険しい顔をして、男は街の喧騒の中に消えていく。
譜迩は、俯いたまましばらくその場から動けなかった。
気がつくと、譜迩は重い足取りで教会の裏庭まで来ていた。
いつの間にか辺りも暗くなり、月が空の上まで登る時刻になっている。
「譜迩っ! お前何処行ってたんだよ!」
階段に腰をおろしてぼんやりと空を見上げていた譜迩に、リクがそう言いながら駆け寄ってきた。
「心配したんだぞ! お前なにして…」
「リク兄、琉稀はいなくなっちゃったの…?」
「…!?」
リクの科白を遮る様に、譜迩が呟く。
その言葉にリクは思わず息を飲んだ。
「…え…っと、それは…」
「……嘘だよね?」
譜迩は、表情のない顔で、リクを見つめる。
リクは、この質問にどう答えていいかわからなかった。
実際確認したわけではないのだが、あの時確かに担架で運ばれていったのは琉稀だった様に見えた。
カイトも見ていた筈だ。
譜迩もそれを見ていたのだろうか。
明らかに譜迩の様子はあのテロがあった日からおかしかった。恐らく譜迩も、あれを見ていたに違いない。
「…な、なんでそう思うんだよ?」
リクはしどろもどろになりながら、思わずそう口走っていた。
こんな科白じゃ誤魔化しにもならないと、胸中で舌打ちをする。
「wis、全然返ってこないんだ」
「………」
帰ってきた言葉に、今度こそ二の句が告げなくなった。
無言の二人の間を、夜風が通り抜けてゆく。
「…死ぬわけないって、言ったのに…」
譜迩の小さな呟きが、酷くはっきりとリクの鼓膜に届いた。
リクは奥歯を噛みしめる。
俯いた譜迩の肩が小刻みに揺れるのを、リクはただ見ている事しか出来ない。
「…アイツが、死ぬわけねぇだろ…」
思わず無責任な科白が口を付いて出る。
どうしたらいいのか分からず、リクは譜迩の頭を撫でた。
譜迩の嗚咽が、胸に痛い。
「…冷えるから、二人とも早く中に入れ」
暫くそうしていると、いつの間にか裏庭に来ていたカイトがそう言いながら近づいてきた。
二人は泣きやまない譜迩を立たせ、支える様にして教会の中へと脚を向ける。
「セリオスが帰ってきているんだが…」
道すがら、カイトがぽつりとそう口にした。
譜迩は零れ落ちる涙もそのままに、思わずカイトの顔を凝視する。
「今食堂に居る筈だ。お前に話があると言っていたが…」
カイトの科白を聞くや否や、譜迩の脚が震え出した。
「、…だ…」
譜迩は俯くと、歩く様に促してくるリクに反発するように脚を止める。
「譜迩?」
「嫌だっ!」
訝しげな声で名前を呼ぶリクに、譜迩は大きな声で叫んだ。
「聞きたくないっ! 何も聞きたくないッ!!」
「おい、ちょっと落ちつけって…」
制止するリクを振り払って、譜迩は大聖堂の扉に向かって走り出す。
確信に、触れたくない。
ただ、それだけだった。
そして、扉に手を掛けようとした瞬間―…。
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