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□2月14日
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2月14日


「うわっ、何やってんだコレ!」

昼食を採ろうと調理場に現れたリクは、その惨劇を見て思わずそう叫んだ。
そこらかしこに茶色の液体が飛び散り、汚れたそこに立つ人物の顔にも同色の汚れがこびりついている。

「あ、ごめんリク兄…」

焦った様子でそう言ったのは、生クリームの入ったボウルを抱きかかえて顔を拭っている弟の譜迩だった。

「いや、お前…まさか、菓子作ってるわけ?」

リクは引き攣った笑顔を浮かべながら言う。
譜迩は言われた言葉にぎくりと肩をすくめた。

「う…だ、だって…」

今日は、バレンタインデーだから、とはどうしても言えない。
男の譜迩がバレンタインデーに菓子を作るなど、どう考えても少しおかしいから。

「…もしかして、琉稀に…?」
「いや、あの…きょ、教会の子たちに…っ」

リクはしどろもどろになって言葉を探そうとしている譜迩に、盛大な溜息をついた。

「…別に、怒ってねぇよ…」

額に手を当てたリクは、がっくりと肩を落としてもう一度辺りを見渡す。
どう考えても、これから何を作るつもりなのか全く分からない。
チョコレートを溶かしたらしきものと、譜迩の抱えるボウルにある生クリーム。

「お前、何作ろうとしてるんだ?」

チョコレートを誰に渡そうだとか、どんな目的でそうしているのかはもうこの際何処かにやってしまおう。
リクはそう思い、短い金色の髪を掻きあげる。

「え…っと、取りあえず、チョコレートを…」
「…どんな?」
「え? ど、どんなって言われても…」
「…どんなチョコレートを作るか決めないでこんな事してンのか?」
「う…、ごめんなさい…」

料理の腕は、セリオスを抜けばこの教会で一番うまいという事は周知の事実だったが、その譜迩が菓子を作っているところは誰も見た事が無い。
むしろ菓子の類はリクの方が多く作っているだろう。
勿論それは自分で食べるのと、孤児院の子供たちに分ける為である。
リクはもう一度大きな溜息をつくと、

「ちょっと、それ寄越せ」

譜迩からボウルを取り上げた。

「え? ちょ、リク兄?」

譜迩は不安な顔をしてリクの顔を覗きこんでくる。

「いま、一番簡単でそれっぽい感じの教えてやるから俺の言うとおりにしろよ!」

リクは棚の中にしまわれていたエプロンを、作業で汚れた服の上に着けると、石鹸で手を洗い始めた。

「あ、ありがとう…リク兄…」
「…おう」

なんだかんだ言って、リクは譜迩に甘いのかもしれない。
琉稀と交際する事をあまりよく思わない態度を出すものの、結局は譜迩を手伝ってくれるのだ。

そうして、リクのスパルタお菓子教室が始まった。

「お前! カカオも用意してないのか!」
「うぅ、ごめんなさい! 今探して…」
「もういい! そこの引き出しに俺のがあるからそれ使え!」
「え…? は、はい…っ」

「あー! それじゃあ入れ過ぎだッ!」
「ひぃいっ! ごめんなさいぃぃっ!」

「素早く丸めないと、溶けるから…って、言ってる傍からベトベトじゃねぇか!」
「だ、だってこれまだ丸くならなくて…」
「こうやって素早くやるんだよ! 出来ねぇならスプーン使え!」
「うぅぅ…リク兄怖いッ…」
「ツベコベ言ってる暇があるのか!?」
「な、ないです…」

と、リクの指導に半ベソをかきながらチョコレートを作る事2時間。

「で、できた…の?」
「…取りあえず食ってみれば?」

漸く出来たトリュフチョコレートを、譜迩は恐る恐る口の中に入れた。
チョコレートはほろ苦いカカオの香を残しながらも、ゆっくりと甘くとろけてゆく。
僅かに香るブランデーも、程良いスパイスになっていた。

「お、おいしい…」

譜迩は感動のあまり泣いてしまいそうになる。
それくらい、リクのスパルタ指導は恐ろしかったのかもしれない。

「…俺は昼飯抜いたんだからな。今度埋め合わせしろよ」
「ありがとうリク兄!」

譜迩はエプロンを外して調理場を去っていくリクの背中に感謝の言葉を述べると、さっそく出来たばかりのチョコレートをラッピングし、それを大切に持って教会を後にしたのだった。









少し急ぎ足で着た所為か、白い息がマフラーの隙間から洩れている。
漸く寒さにも慣れた頃に琉稀の家の前に到着した譜迩は、貰っていた合鍵を差し込んだが、案の定鍵はかかっていない様だった。

「まったく、不用心すぎる…」

譜迩は溜息をつきながらドアノブを捻ると、小さな声でおじゃましますと呟きながら部屋の中へと足を踏み入れた。
いつまでも雨戸を閉めたままの室内は、何処かから洩れて来る薄明かりが逆に不気味だったりする。
リビングに顔を出してみたが、人のいる気配はしなかった。
琉稀は今日仕事が無いと言っていたので家に居る筈なのだが、まだ眠っているのだろうか。
時刻は既に午後4時を過ぎようとしている。
譜迩は溜息をついてマフラーを外してコートを脱ぐと、リビングのソファの上において琉稀の寝室へと向かった。

「……」

そっとドアの隙間から部屋の中を覗き込む。
雨戸の隙間から漏れる光が、ベッドの中にいる人物を照らしていた。
銀色の髪が、夕陽に当たって微かに紅色を反射している。
譜迩はそっとドアを開くと、足音を立てない様にベッドに近付いた。

「また服着てない…」

布団から覗く肩に、上着を着ずに寝た事を悟って譜迩は溜息をつく。
風邪をひくからいつも何か着ろと言っているのに、琉稀は「寝れない」といって聞かないのだ。

「ズボン履いてるだけいいけどね…」

譜迩は呟いて、仰向けに寝ている琉稀の髪を撫でる。
そういえば、琉稀がこうして寝ているところをあまり見た事が無いかもしれない。
寝ている琉稀の腕の中に居た事はあるが、こうして尋ねてきた時は大抵寝たふりをしていたりする事が多いのだ。
きっと今回も寝たふりをしているんじゃないだろうかと思って近づいたのだが、急にベッドに連れ込まれる事もなくこうして琉稀の寝顔を見ている事に新鮮さを覚える。
でも、万が一という事もある。
譜迩は暫く琉稀の間合いに入ったままその様子を窺う事にした。
すやすやと寝息を立てる琉稀の顔をまじまじと見つめる。
髪と同じ色の睫毛は、光を透かしてしまう為あまり気付かなかったが、こうして眼を閉じていると結構長い。
黙っていればかなりのイケメンだと、今更になって思い知る。
薄く開いた唇は眠っている所為か少しかさついている様に見えるが、毎回この唇に口づけされているのかと思うと、なんだかおかしな気分になった。
無意識に、その唇に指を伸ばす。
思いのほか柔らかくて、譜迩は慌てて手を引っこめた。

一瞬、琉稀が起きてしまうのではないかと焦ったが、琉稀の青い眼は開かない。
ホッと胸をなでおろし、譜迩はもう一度琉稀を見た。

―…キスしたい。

そう思った自分に、自分で驚く。
自分も男だったのだ、という事を今更のように思い出して恥ずかしくなる。
けれど、いうなればこれはチャンスかもしれない。
今、琉稀は眠っているのだし、ちょっと触ったくらいでは起きなかったのだ。
触れるくらいならば、平気かもしれない。
譜迩はそっとベッドに手を突くと、身を屈めて琉稀の唇に自分のそれを押し当てた。

「……」

乾いて柔らかい感触。
譜迩はほんの少しの間だけ触れていた唇を離して顔をあげた。
その瞬間、ばっちりと開いた青の瞳と眼が合ってしまう。



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