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□天気雨
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天気雨。



今日は、空き瓶を切らしてしまったので調達に来ていたところだった。
太陽が照りつけて木々の影をはっきりと映し出しているというのに、青い空からはぽつぽつと小さな雨粒が降り始めた。

傘など要らない程度の雨だったが、雨宿りついでにそろそろ一息入れようか。
アルケミストは木陰に腰を降ろし、手製の紅ポーションを一口飲んだ。
こんな天気に出会うと、思い出さずにはいられない事がある。

人知れず小さな笑いが漏れた。






























そよそよと春の風が吹いている。
草木を揺らす風は、同じように少年の金色の髪を揺らしていた。
少年は膝を抱えて石段の上に座っている。
顔は伏せられ表情は見えない。
しかしその肩は小さく揺れていた。

さくさくと芝生を踏む足跡が少年に近付く。
茶髪の少年は黙ったまま金髪の少年を見下ろすと、無言のままその隣に腰を下ろした。
寄り添うように隣に座り、背中をさすってやろうかどうしようか、伸ばした腕を宙で止めたまま。
言葉をかけようにも、どうしたらいいのかわからない。
茶髪の少年は困ったような顔をして、柔らかい金色に触れた。

「!?」

びくっと肩を揺らした金髪の少年は、驚いた様な表情で茶髪の少年を見る。

「ごめん。脅かすつもりはなかったんだけど…」

茶髪の少年は先程の困った様な表情を一瞬で無表情なものに変えると、そう言い訳をした。
金髪の少年は顔をそむけてごしごしと涙を拭う。

「なんだよ、お前も、同じ事言いに来たのか?」

そして、真っ赤に充血した空色の眼でじろりと茶髪の少年を睨んだ。

同じ事、とは一体何だろうか。
茶髪の少年、カイトは、金髪の少年、リクが言った言葉を胸中で反芻した。













『お前だけずるいんだよ』

少年は泥水に倒れ込んだリクの頭に、バケツに入った水をひっくり返しながらそう言った。

『俺たちには父さんも母さんもいないんだ。その分くらいはこんな目にあったっていいんじゃないのか?』

くすくすと面白そうな笑みを浮かべながら、脚でリクの頭を踏みつける。

『どうした?喉乾いてるだろ?飲めよ。俺たちはここに来る前は喉が乾いたらこんな汚い水でも飲むしかなかったんだ!』
『か、っはっ…!!』

息をしようにも、口を開けば砂利の混じった水が入ってきて呼吸をするのもままならない。

『ほら、どうしたんだよ?止めてほしいなら止めてくださいっていえばいいじゃないか』

少年はリクの髪を掴んで頭を引っ張り上げながらその耳元で囁くように言った。
リクは喉に入り込んでしまった水に噎せる。
少年はもう一度リクの頭を水の中へと押しこんだ。


自分には父親がいる。
けれど、この少年たちには親というものがいないのだ。
リクは父親であるセラフィスの元で普通の暮らしをしてきた。
泥水を飲んで生きなければならなかったこの少年たちの気持ちは、リクにはわからない。
けれど、自分はこんな目に合わなくてはいけないのだろうか。
リクの他に親の居る子供などここにはいない。
セラフィスはその子供たちの父親代わりになる為に、リクともこの少年たちとも同じように接している。
リクは、セラフィスを父親だと思って甘えた事などなかった。
否、セラフィスがリクを特別扱いしなかったと言った方がいいのかもしれない。
リクは、自分はこの少年たちと同等だと思っていた。
しかし、それは自分の思い込みだったのだろうか。
ただ親が存在するというだけで、この少年たちにはリクがうらやましくて仕方がなかったのだろう。
そうとは言え、まだリクは他の少年たちの気持ちを思うほど大人ではなかった。

『っ、離せよっ!!』

父親が目の前にいるのに、手放しで甘える事が出来ない。
リクは人知れず、自分さえも気付かないうちに我慢していたのだ。
そうは思っていなくても、直感的に父親に甘えてはいけないという思いがあった。
我慢して、我慢して、それなのにこんな仕打ちを受けなければいけないのだろうか。
リクは思わず、髪を掴む少年の腕に爪を立てた。

『!!』

少年は慌ててその手を離す。
リクは再び泥水の中に突っ伏す事になった。

『いってぇ…』

少年はビックリしてその場に尻もちをつき、引っかかれた自分の腕をじっと見つめる。
僅かに皮がむけたそこからはぷつぷつと血が滲んでいた。

『おい、みんないくぞ!』

少年は周りで一部始終を見ていた子供たちに声をかける。

『セラフィスさんに言いつけてやるからな!』

少年がそう良い残すと、爪先で蹴った土をリクに飛ばしてからその場を立ち去って行った。
跡に続く子供たちも同じように土を蹴ってから離れてゆく。
足音が遠ざかってゆく中で、リクはゆっくりと起き上がり顔に付いた泥とともに、滲んだ涙を拭った。

こんな事くらいで、泣いてたまるか。

そう思っているのに、眼がしらがツンと熱くなり嗚咽がこみ上げてくる。

誰か、助けて。

誰でもいいから、今すぐに抱きしめて慰めてほしい。

父親に縋りつきたくなる衝動を必死に抑え込み、泣くまいと涙を飲む。
ここで父に甘えたりなどしたら、それこそ他の孤児たちに合わせる顔がなくなる。
今までだって我慢してきたのだ。一度たりとも甘えた事などないのだ。
堪えられるはずだ。自分には父親など初めからいなかったのだと思えばいい。
リクは泥水で汚れてしまった服を着替えるために自分の部屋へと向かった。

誰にも見つからない様に、誰にも自分がされた事がばれない様に。



服を着替えれば、何事もなかったように笑っていられる筈だと思っていたが、リクの心は晴れなかった。
父親の顔も見たくないし、他の兄弟にも会いたくはなかった。
自分など消えてしまえばいいのにとさえ思いながらこの場所に座っていたのだ。
そこへやってきたのは、孤児たちの中で一番年上だったセリオスとよく一緒にいる少年だった。
茶髪に眼鏡をかけた少年。
リクは口を聞いた事がなかった。

「お前も、同じ事言いに来たのかよ」

リクは、思わずその少年に向かってそう言った。
どいつもこいつも、同じような目で自分を見ているに違いない。
きっとこの少年も、父親の居るリクを疎ましく思っているのではないかと思ったのだ。

「…同じ事?」

茶髪の少年、カイトは、リクに言われた言葉を鸚鵡返しに聞きいた。

リクは、空色の瞳で海の様なカイトの瞳を見つめ返す。
どこか、遠くを見ている様な眼をしてカイトは首を傾げた。
全く意味が分からない、とでも言いたいようだ。

「俺だけ、父さんがいるっていいたいんだろ?」

リクは、視線を背けながら言う。
それを聞いたカイトは漸く理解したようにあぁ、と声を出した。

「俺にもいるけど…?」

小さく笑って、カイトはそう言う。
リクは思わずびっくりした表情でカイトを見た。

「居るの…?父さんがいるのに、ここにいるのかよ?」

リクは怪訝な表情でそう言ったが、カイトは苦笑してしまう。

「居るよ、セラフィスさんが父さんだろ?」

カイトはさも当たり前の様に、そう言った。

「俺たちの父さんはセラフィスさんだよ。他の誰でもない」
「……」
「セラフィスさんはみんなの父さんだから、お前のだけじゃない事は知ってるだろ?だって、お前もみんなと同じようにしか接してないじゃないか」
「…!」

そんな風に思っていてくれるのはセリオスだけだと思っていたリクは、唖然とした表情でカイトを見つめる。

初めて口をきいたカイトに、まさかこんな事を言われるなどとは思ってもいなかった。
リクは、暫く茫然とした様子でただただカイトを見つめている事しかできない。

「跡、付いてる…」

カイトはそう言うと、自分の服の袖を使ってリクの頬に付いていた涙の跡をごしごしと擦った。

「…あ、ありがと…」

リクははっとした様に顔を赤く染めると、カイトから顔を背ける。
さわさわと流れる風が二人の間を通り抜けて行った。



























思えば、あの泣き顔だったかもしれない。自分の心を鷲摑みにしたのは。
不謹慎かもしれないが、自分はあの涙に濡れた青い空色の瞳に心を奪われてしまったのだ。
まるで、晴れ渡った空から降る雨を見ているようだった。
明るく晴れた性格をしたリクしか知らなかったカイトにとって、それはまさに青天の霹靂。
何度も何度もそれを見たいと思う自分は、欲望のままにリクを泣かせてしまうが、それはあくまで愛情の裏返しで、どうしようもなくなったリクを宥めて宥めて、もう一度笑ってくれた瞬間が何よりも愛おしい。
けれどまた、この空の様に涙をこぼすリクを見たくなっては同じ事を繰り返してしまうのだ。
『お前とはもう話したくない!』とリクは何度も言ったけれど、生憎カイトはリクを離してやる気などさらさらない。
溺れるほどの愛情を与えて溺死するまで愛してやりたいのだ。
その為にはどんな卑怯な手を使おうとも厭わない。
虐めて、泣かせて、精神的にボロボロになったとしても、最後に抱きしめてやるのは自分なのだから。

惚れてしまったのは自分が先かもしれないが、本人も気づかないうちに溺れているのはリクの方かもしれない。

「…本当に、可愛いやつ…」

思わず呟く。

照りつけていた太陽の光がだんだんと厚い雲に覆い隠され、辺りを濡らす雨粒が次第に大きくなってきた。


「カイトー!!」

遠くから自分を呼ぶ子が聞こえる。
見れば傘を差したリクが走ってくるのが見えた。

「お前、傘持ってねーだろ!? 今朝セリオスが雨降るかもって言ってたの聞いてなかったのか?」
「ああ、聞いてたけど忘れてた」
「…ったく、もう一本持ってきたから…」
「いいよ、俺が持つから…」
「え、ちょ…これ狭いから…」

肩を抱き寄せてリクの差していた傘を奪い取れば、僅かに頬を染めたリクが慌てた様子で体を離そうとする。

「そんなに俺とくっつくのはいやか?」
「べ、別にそんなこと言ってねーよ…」
「なら、意識した…?」
「ちょ…っ!!」

態と吐息が触れる様に囁けば、リクの肩がびくりと跳ねた。
色のいい反応に、カイトはリクの小さな尻を撫でて細い脚の間にまで手を忍び込ませる。

「俺は気にしないけどな、ここでも…」
「まて、ッどこ触ってんだ…ッ」
「言ってほしいのか…?」
「なんでお前は…ッ、家、帰る・・・」

迎えに来てやったというのに、どうしてこんな事になるのだろうか。
真っ赤に染まった頬を隠す様に俯き、リクは小さな声でそう言った。
























傘を忘れたなど、嘘に決まっている。
きっと、君が来れば晴れると思ったから。



























2009.07.09

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