連載

□月光8
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最後の方の言葉は小さすぎて殆ど聞き取れなかった。
キヅカが「よっこらせ」といいながら何時の間にか寄り掛かっていた墓石から体を起こし、譜迩の眼の前に立つ。
冷たい指先が譜迩の頬を拭った。

「そんな顔をしないで下さい」

指の感触に、自分がいつの間にか涙を流しているのとに気付き、譜迩は慌てて袖で頬を拭う。
触れた指の感触が、言葉と裏腹な優しさを孕むあのアサシンのものとダブって感じてしまい、余計に戸惑った。

「…すみません…」

思わず謝ってしまうと、キヅカが困ったような笑みを浮かべた。

「君にとっての幸せが辛いところの上にない事を、僕は願っています。何かあったら、僕の所へ来なさい…」

そう言って、キヅカは綺麗な指先でシタールの弦を撫でながら譜迩の横を通り過ぎていく。
その最中、

「…僕の可愛い息子を、どうか恨まないでやってくださいね…」

聞こえた科白に譜迩は勢いよく振り返った。

「む、息子って…ッ!?」

譜迩の聞き間違いでなければキヅカは間違いなくそう言った筈だ。

「え…?」

しかし、振り返った先には風に揺れる木々のざわめきがあるだけで、キヅカの姿は何処にも見当たらない。
ざわりと地中が蠢く様な嫌な錯覚が体を震わせた。

「っ!」

譜迩は思わず走り出す。
キヅカの姿が無くなった瞬間に言い様のない恐怖が全身を駆け巡っていた。
建物の影を曲がって一目散に教会の入り口を目指し、力任せに扉を開いて開いた隙間から体を滑りこませて勢いよくドアを閉める。
心臓が破れてしまうのではないかというくらい動悸が激しい。

「何をやっているんだ」
「わぁあああああああああああああああああああああっ!!!!!」

不意に隣から声がした事に譜迩は大聖堂中に響き渡る様な絶叫を上げて、挙句の果てにその場で尻もちを付いてしまった。
見開いた視線の先には、燭台を手にした男が心底迷惑そうな顔をして立っているのが見える。

「せ、せりおす…っ」

それが誰であるのか分かった瞬間に、どっと疲労感を感じた。

「…貴様、こんな夜中に出歩くとは…」

全く非常識な奴だ。という思いが込められた科白を吐くセリオスの表情は険しい。

「昨日の今日で、危なげなことはしないだろうと高をくくっていたのだが…私が愚かだったという事か」

不機嫌極まりない様子のセリオスは床に座り込んだ譜迩に手を貸す事をせずに踵を返した。

「ち、違うってば! ちょっとセリオス待ってよ!」

譜迩は慌てて立ち上がると歩調を緩めないセリオスの背中を追いかけて走り出すが、まだ腰が抜けているのかうまく走れない。

「も〜っ! おいてかないでよッ!」

先程の恐怖を思い出して、譜迩は半ば泣きそうになりながら声を上げた。
それに反応したのか、セリオスがピタリと脚を止める。
そして譜迩が追いついたのを確認すると、

「あの男に何を言われたんだ…?」

表情を隠した顔をして訊かれた。

「え…あの男って、キヅカさん?」

セリオスは答えずにじっと金色の眼で譜迩を見つめている。
それが肯定の意味を持つと覚った譜迩は、先程の会話を思い出そうとした。

「…お墓に話しかけてたのと…あ!そうだ…」

一番重要な事を思い出して、声を上げる。

「俺の聞き間違えじゃなければ、確か…息子って…」

神妙な顔つきで言う譜迩の言葉を訊いたセリオスは僅かにその整った眉をひそめた。
そして次の瞬間にセリオスの口からとんでもない科白が飛び出す。

「…俺も、奴の事は弟の様だと思っている…」
「は!?」

セリオスの言葉に、譜迩は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
こう短いスパンで理解不能な事を言われれば、何をどう解釈していいのか分からなくなる。

「ど、どういう意味!?」

裏返った声で聞いてもセリオスは「煩い」とだけ言って、再び脚を動かし長い廊下の先へと進んで行ってしまった。

「ほ、本当に…どういう意味なの…?」

全く何も理解できない。
セリオスの弟というなら、先程のキヅカはセリオスの父親なのだろうか?
しかし、セリオスの父親にしてはキヅカは若すぎる様な気もする。
一体どういう事なのか理解できずに、譜迩は月明かりの漏れる廊下を自室へ向けて歩み始めた。

冷たいドアノブを捻って扉を開ける。
さわりと室内から風が吹きこんできて、譜迩は思わず眼を閉じた。





「よう…」


訊いた事のある声が鼓膜を揺らす。

どきり、と心臓が跳ねた。

それが一体誰の声なのか、譜迩には一発で分かってしまった。

恐る恐る眼を開ける。

開け放たれた窓から吹き込む風がカーテンを揺らし、月明かりを背に受けた男のシルエットが部屋のど真ん中にあるのが見えた。

その風景の中で、一番色鮮やかに見えたのは、机の上に置かれた一輪ざしに挿された深紅の薔薇と、男が手にしている同色の薔薇。


「…お前、忘れてるみたいだから」

男は小さな声でそう言うと、手にした紅を譜迩に付きだしてくる。

「もう一回、渡してやるよ」

風が、まるで月光のように見える銀色の髪を揺らした。




















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